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ごく短い通路を抜けた先には、輝くような部屋があった。
この部屋の光景と比べてしまえば、さきほどの部屋などただの白塗りの壁に過ぎなかっ
た。
どのような原理か、天井から降り注ぐ満月と星々の光が巨大な柱の各所で反射し、この
世のものとは思えぬような光景を作り出していた。
その巨大な広間には、たった一つの柱が、山があった。
おそらくは少しずつ積み重なっていったのだろう。
巨大な、氷のように透き通り煌めく、無数の光を抱えた柱。
その内に、雪を冠された守護神を抱いた、何よりも巨大な詠晶石の山。
氷か剣で作られたかのごときその山は、満月の光を反射させながら、じっと入ってきた
者達を見下ろしていた。
最初にその部屋に飛び込んできたのはファリナだった。
ファリナは抱えたままのエルに一度だけ視線を注ぐと、詠晶石とその中の雪姫を見つめ
て大きく深呼吸をした。
苦しげだった表情が一瞬で元に戻り、瞳には強い意志の光が煌めく。
「どうしましょどうしましょ、これであたし達立派なお尋ね者かしら!」
「黙って走れ、むしるぞ!」
「いやん、大事な髪に触らないで!」
どこか緊張感を置き忘れて来たような二人が、ファリナの次に部屋に駆け込んで来た。
そして―――待ち受けた光景に、圧倒される。
変わらず雪姫は美しかった。
けれど、美しさの質が、いつ見ても違った。
さきほどの雪姫を悲しい美しさとするなら、今眼前で眠る雪姫は気高い美しさを持って
いると表せた。
と、我に返り通路から離れる二人。すぐに通路から火球が一撃部屋の中へと撃ち込まれ、
一瞬おいてベレンが部屋へと入ってきた。
「おぉ、おぉ……
正体を現しおったな雪姫、今こそ貴様を殺す!」
詠晶石の山に目を奪われたベレンが、まるで歓喜するかのように、祈るように両手を掲げ
た。手から落ちた杖が地面で甲高い音を立てるのも気にせず、ベレンが鳴き叫ぶ。
「炎よ、全てを焼き尽くせ!」
ベレンの声に、詠晶石の中の雪姫の身体が突如炎に包まれ―――
『不浄なる炎よ、眠るがいい!』
響いた雪姫の抑揚のない声に、その勢いを減じまた増し、そうして冷気と炎のぶつかり合
いが始まったのだった。
おそらく―――
互いに、恐ろしい勢いで晶力を使い続けているのだろう。
気づけば柱に完全に囚われていたはずの雪姫の回りに、小さな隙間ができていた。
砕ける暇もないのか、あるいは何か別の作用か、そもそも球形ではなく巨大な柱である
詠晶石の中と外で、激しい炎と冷気の戦いが繰り広げられていた。
「これが―――」
自分を包む炎に必死に抗いながら、ふと雪姫の声が響いた。皆の視線が集う。
氷の中で燃える炎、美しすぎる守護神、降り注ぎ煌めく光。
恐ろしくも幻想的な光景の中、皆の視線を集めた雪姫が口を開いた。
「これが、我が生きてきた意味であると言うのか―――?」
誰にも答えられなかった。
伝承には、雪姫は己の子孫に救ってもらうために生き続けるとある。
雪姫が生き続けたのは―――
「我は、我が血を引く者に焼かれるために生き続けたと言うのか!」
「そうだ、貴様はここで私に殺されるのだ、私のために!」
雪姫の絶叫に、ベレンが叫びをあげた。
「我が曾祖父は、長子でありながら男であったからと王になれなんだ。
その苦しみと嘆きが貴様にわかるか!
長子でありながら、第一王子でありながら王になれなかった男のむごさがわかるか!」
「ならばお前は、祖先のために祖先を討つというのか!」
「ふはははは、そんなことは言わん、私は私だ!
私は自分の意志で、この国に巣くう雪姫と言う名の魔物を退治する、それだけだ!」
炎が一段と勢いを増した。
それに伴い冷気がさらに激しく荒れ狂い、雪姫の周りにはもはや寝返りをうてるほどの
空洞が出来上がっていた。
「貴様はこの国の王を殺し、その後この国を滅ぼそうとした魔物だ!」
「違う、私は―――!」
「違わぬ! お前を愛したために王は死に、結果お前にこの国を乗っ取られることとなっ
たのだろう!」
傍目にはわからぬような、激しすぎる攻防。
ただただ、急速に溶けるようにその量を減らす詠晶石だけが。
あるいは、どれだけ減ろうとも全体からは目に見えぬほど微量の詠晶石だけが、この血
のつながったもの同士の戦いを表しているかのようであった。
「死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇっ!」
「……」
ファリナに言葉はなかった。
「答えよ、我が子よ答えよ!
これが、これが生き続けた意味であると言うのか!」
「……」
凍りつき、眠り続けるエルにも言葉はなかった。
「そうだ、魔物は闇へと還り、死する定めなのだぁっ!
ふはははは、死ね、死んでしまえぇっ!」
「……」
ルーマとボーグにも言葉はなかった。
「いやだ、私はまだ死にたくはない!」
爆発的に冷気がその量を増し、一瞬炎を覆い尽くすほどに膨れ上がる。
「黙れ、貴様は私のために死ぬために生きてきたのだぁっ!」
そうして今度は、炎が激しく荒れ狂い、膨れ上がった冷気の全てを飲み込む。
満月の下で、二人の力は際限なくエスカレートしていく。
満月の光は、狂気の月の光は依然部屋に降り煌めき続けていた。
日付が変わるまで、エル王女の誕生日まで、もう間もなくであったが―――
「誰か助けて、私を救って、助けてぇぇっ!」
すなわち、日付が変わるまでは、まだ幾ばくかの時間を要するということでもあった。
「ひゃは、ひゃはははは、燃えてしまえぇっ!」
ベレンの声が、明らかに変わったのはその時だった。
雪姫とその身を包む攻防を見つめていた二人の視線がベレンに注がれる。
乱れた髪は心なしか伸び、目は飛び出すように血走り。
いつの間にか両腕はむき出しとなり、わずかに黒く変色していた。
―――が、今はそれだけだった。
雪姫がわずかに苦悶の表情を浮かべる。
炎に、一筋の黒い色が混ざる。
その身の周りの空洞はもはや雪姫が立てるほどに巨大化しており、中で舞い踊る炎と冷
気の動きを悲しいほど綺麗に描き出していた。
兵に肩を借りたサバル王が、そして後から兵達がこの部屋に入ってきたのは。
まさに攻防が加速しきったかのごとく、互いがもはや言葉もなくただ魔術を奮っている、
ちょうどそんなこの時であった。
「ベレン!」
「ひゃは、王よ、我が王よ!
ご覧あれ、にっくき雪姫を! 我が国に巣くう魔物を、その姿を!」
王が頭を上げた。
何が起きているのだろう。これは夢なのだろうか?
記憶を辿れば、多少の会議を兼ねた夕食の後、気がつけば先ほどの部屋で兵に起こされ。
そうして右も左もわからぬままこの場所に連れてこられて。
―――目の前に、巨大な柱があって。
あの宿敵、仇がその中にいた。