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「がっ、があああああっ!」
突如、もがき続けた雪姫が咆哮をあげた。
辺りの兵は、誰一人動かなかった。そして自分自身も。
雪姫が両手を振り上げて振り下ろした。巨大な獄火が隕石のように降り注ぎ、一人の兵
を焼き殺した。
どこか遠くで、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。
壁際の兵にも王の側の本隊にも、等しく火隕石が降った。何人もの兵が、撃たれ飲まれ
て命を落とした。
レグナの腕が、身体が震えた。けれど身体は動かなかった、動けなかった。
「ぐああ、我が計画をおおぉぉんっ!」
雪姫が鳴き、吠えた。
その口に真っ赤な炎が生まれ―――
(!)
一瞬覚悟をしたレグナの側を通り、その口から吐かれた炎は王とエルの身体を直撃した。
「エルーーっ!」
気づけばレグナの口から叫びが迸っていた。けれど身体は動いていなかった。
めらめらと燃え、苦悶の表情を浮かべる二人。
「ぉ、のれ、まも……め……」
王の呪詛が耳に届いた。
燃え上がる炎の爆ぜる音を突き抜け、直接脳裏で発せられるかのごとく響いた。
エルは―――
「おと……さま……」
美しい黒髪を焦がし、美しいドレスを焦がしながら。
静かに呟くと、エルの身体がどさりと地に落ちた。
「エル、エル! えるぅぅぅっ!」
どこかで絶叫が聞こえた。
あるいはそれは自分の声なのかもしれないと心の中で自分が囁いた気がした。
何も出来ぬレグナの前で、ゆっくりとエルが、その身を炎の贄として差し出し―――
(える……)
声にならぬ呟きを唇に乗せ。レグナはゆっくりと手を伸ばした。
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気がつけば、辺りを包む炎は消え、熱気も冷め。
雪姫の姿もなく、ただ焼けこげた兵士の遺体と倒れた王だけがその惨劇を物語っていた。
「……?」
レグナは伸ばした自分の手を見た。何も掴んではいなかった。
何も。
武器も、敵も。
エルも、ファリナも。
その手には、何もなかった。
「―――!」
顔を上げた先に、エルの姿はなかった。
あるのは倒れた王の身体、そして―――
「ファリナ……」
凍り付いたエルの身体を抱きかかえた、ファリナの姿だけであった。
「これって……」
確かにその髪が、服が焼け炎の中に消えたエルが。
傷一つなく美しい姿のままで、ファリナの腕の中にあった。
ふと気づき見渡すと、すぐ側にルーマとボーグもいた。
「貴様、なにやつか!
エル王女に触れる忌まわしき魔物め、王女からその手を離せ!」
響くベレンの声。指し示す杖の先にはエルを抱いたファリナの姿があった。
「お断りします。
この身体、あなたのような邪悪なるものには指一本触れさせません!」
ファリナが、初めて聞くような凛とした声で言い放った。
炎も吹雪も、慟哭も止んだ静かな部屋に、その声はよく響いた。
「何を言うか、邪悪なる魔物めが!
兵よ、あの魔物を斬り王女をお救いするのだ!」
「……」
ベレンの声に。
誰かが、腰の武器に手を伸ばし―――それだけだった。
「王女様、さきほど……」
瞳に涙を浮かべた兵の一人が、ぽつりと呟いた。
そう。エルはさっき、確かにレグナの見つめる前で雪姫の放つ炎に飲まれたはずだった。
「……」
レグナの頭の中に。
まるで設計図が浮かぶように、図式が描き出された。
いつもこんな感じだ。レグナにとっての最良は、いつだって突然頭にわき出す。
そして―――
「えぇい、何をしているか、おまえ達!
我が国の王女を、魔物に奪われても良いと申すのか!」
そして、その生まれた答は、いつだって間違ってはいなかった。
少なくとも、その時点のレグナにとっては、いつだってそれが最良で―――
「その力をもって魔物と評するなら、人も魔も差などなきもの。
心なき力こそが魔物であると知り、己が存在を悔い改めるのです!」
後悔のない行動であった。
だからレグナは、誰にも言わずに行動に移すことにした。
「くぅ、えぇい、こんなところで!
ならば私自らがエル王女を取り戻すまでだ!」
ベレンは叫ぶと、手にした杖を高々と掲げた。
「炎よ飛べ!」
掲げた杖の上空より、木の葉より一回り大きい程度の炎が矢のように迸る。その炎は抱え
られた王女を気にせずにファリナへと迫り―――
「堅牢なる守護者よ、気高き壁となれ! ブレイズバイン!」
生み出された巨大な氷壁の前にあっけなく散る。
―――ファリナは、杖も持たずに魔術を行使していた。
互いの魔術の応酬に、兵がわずかにざわめいた。それに気づかず杖を掲げるベレン。
「ならばこれでどうだ、炎よ渦巻け!」
周囲から唸りを上げて迫る炎。かざした杖の先の詠晶石が、一つ、音を立てて弾け飛んだ。
「清廉なる巫女よ、純白なる繭となれ! フリーズレイン」
ファリナを中心に白い冷気が雨のように降り押し寄せる炎をとどめる。双方の魔術が拮抗
し消滅し―――
突然ファリナの上体が揺らいだ。
「っ!」
小さく息を飲むように唇を噛み、きっとベレンを睨むファリナ。腕の中の王女は未だ目覚
めない。
「炎よさざめけ!」
好奇と見てとったか、続くベレンの炎が波のように帯のようにファリナに迫る。ファリナ
は魔術は用いず必死で真横に走り抜けた。
ベレンを大きく迂回するように走るファリナの前方に突如炎の壁が出現し―――
「帰する力、大地の回帰! 破術!」
「走れ、ファリナっ!」
破術と呼ばれる晶力霧散の術が炎を蹴散らし道を開く、ルーマの声を聞く間もなくファリ
ナは部屋を駆け抜けて奥の通路へと飛び込んだ。
「おのれ、貴様らっ!」
「今のあんたに従うやつなんて、一人もいないぜ!」
ベレンの視線を真っ向からはねのけ、ルーマとボーグも奥へと走る。一瞬魔術を放とうか
と考え結局ベレンも走って追った。
兵と騎士は―――誰も動かない。動けない。
あとには二度と動かぬ焼死体と動き出せぬ人間、動けぬ氷像。
それに、倒れた王と変わらぬ冷気が残されることとなった―――