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今日もレグナは暇だった。
もともと一日に二、三人くる程度の客が、ここ数日はぱったりとゼロ。工房の片隅の惰
眠用長椅子に腰掛け大きなあくびをし、レグナはその青みがかった黒い瞳を軽く閉じた。
少しだけワイルドな―――もとい、少しだけぼさぼさ気味の短めの髪が、自分達をあま
り気にかけない主人の眠りを妨げるかのように、窓からの涼風でわずかに揺れた。
レグナ=レスルダ。中肉中背の青年、年は十九才。立派な成人である。
実際はともかく容姿と雰囲気からは、何事に対しても無気力さ、あるいは無関心さを感じ
させるような青年だった。その髪とくたびれ気味の濃緑の上着、額のゴーグルが良くも悪く
も彼の人柄の一端を表している。
そう、レグナは無頓着だ。
無頓着だが、別段不潔でも不摂生でもない。ただ『彼にとっての』必要以上に気を使う
ことはない、それだけだ。
だから全体的に、少しぼさぼさ、少しよれよれ、少しぼんやり無関心。そんな少しずつ
な彼の姿が出来上がったのだ。
毎日おおざっぱに、機具まかせの洗濯もするし料理だって作る。必要だから。そのぐら
いの中途半端なものぐさ度合いが、ある人曰く『レグナらしさ』なのだそうだ。
ともあれ、上着ほどよれてはいない黒の作業ズボンに包まれた足を軽く組み、シャツと
上着をまとめてひっつかみ首元をゆるめて。
一度片目だけ開けて窓の方を見てから、彼は眠るように身体を休めた。
ちなみに、顔つき、目鼻立ちは美形の部類に入る。
あるいは彼のぼさぼさ感にベストマッチしている、なのかもしれないが。たまに街の少
女達がこの工房を訪れるのは、彼の腕前や機具の修理ではなく、彼本人が目的だかららし
い。
―――もっとも、顔を目的に来る客がいたり、今現在閑古鳥が鳴いているからと言ってレ
グナの腕が悪いわけではない。
昔は城で、師の弟子として王宮機工技師見習をしていたくらいだ。まだ年若いが、その
腕前は一流と言っていい領域にある。
腕の善し悪しによらず、機工技師自体が、もっと言うと機工技術自体が下火なのだ。
「暇だねぇ……」
五十年前の魔術の復活により、機具を用いずとも手軽に詠晶石から力を引き出すことがで
きるようになった。
しかも、機具を用いる場合と異なり、石の『詠声』は響かない。さらに魔術ならば、機
具にはできない精神的な作用すら可能である。機具を用いる場合どうしてもその場所に人
為的な自然現象を起こすような形になってしまうが、魔術になら限界はないといわれてい
た。
有名でかつ最高峰なところでは、離れた場所へと瞬時に移動する空間転移や、自分と同
じ、あるいは自分のイメージしたとおりの別人を作り出して、本体と魔術で作られたのと
二人の人間を同時に動かす分身の術などがある。どちらも、いったい国に何人使い手がい
るのかというほど難易度の高い術ではあるのだが、素質と修練の双方が合わさればそれだ
けのことができるということだ。
対する機具の場合、どうしても機械で行えることが基本になるため、自然現象的なもの
が中心となる。やはり洗濯機や冷蔵機、調理器具などの日常品が機具の代表として人々の
頭にあった。機具の超常品、最高級を探すなら、臨界点にある詠晶石を撃ち出して敵を攻
撃する機動砲や現代では技術の失われた使用者の意識を移し変えて戦う機工鎧、双方に機
具を設置することで遠距離でも会話ができる通信機などがあった。
ともあれ魔術は、手軽で静かで、機具を要さず幅広い。軍事利用も進んだ現在では、機
工技術は人気を落とし、若干影を薄めていた。
(まぁでも、日用品とかはほっといても売れるし)
力の源たる詠晶石だけあれば魔術は行えるが、そのかわり高度な真似は相応の努力や素質
を要する。
その点機具なら、押すボタンなどを知っていれば誰にでも扱える。ボタンを押すだけの
便利さを知っていると、人間どうしても改めて努力しようとは思えないものだ。
使用者に修練を要する、手軽で静かな魔術。
機具と騒音を必須とする、誰でも扱える機具。
結局は、どちらが優れるだのどちらが消えるだのでもなく、用途と好みによって使い分
けられるだけだ。
(……と、ぼくは思うんだけどね)
「ふあぁ……」
あくびを一つし、別段なにも心配せずレグナは瞼の上から目をこすった。
ちなみに、ここ数日客がゼロなのは、魔術がどうとか機工技術がどうとかのせいではな
い。
この国のエル王女の十八才の誕生日、すなわち成人の儀があと一週間ほどに迫っていた
からだ。
エリュセア=ファン=ゼルデア。成人を間もなくにひかえた、見目麗しいお姫様である。
雪に映える、輝くような黒瞳と腰まで伸ばされた漆黒の髪。ゼルデアの至宝と讃えられ
る、美しさと可愛らしさの極限にあるかのごとき少女。
この国の王女は成人するとともに雪姫の祠と呼ばれる聖なる地へ赴き、そこで新たにこ
の国の守護者たる雪姫と契約をして王を引き継ぐ。エル王女の母、先代の女王を早くに亡
くし、父親が代理の男王としてこの国を治めて十二年。エル王女が成人すれば、十二年ぶ
りに女王統治の復活となるのであった。
ゼルデアは女系の女王国家であり、長子が男であったことはここ数十代に片手の指ほど
しかいない。雪姫との契約後に生まれた一人目の子供は、全員が女であった。
―――無論のこと、契約の実体を国民達は一切知ることはない。ただ、この国が雪に覆わ
れつつも良質の詠晶石の出土によりそれなりに潤い賑わっていることで、国民達はみな満
足していた。
ともあれ、エル王女の成人まであと一週間。
雪姫の祠にて契約が終われば、その後は城にて王位の継承と戴冠式が行われる。大人達
は祭の準備に忙しく、子供は子供ではしゃぎ自分の家の壁に手製の花飾りなどをつけてい
た。
「エル王女の成人の儀、か……」
露店にも飾り付けにも興味はないが……レグナは半ば眠りながらそんなことを呟き。
「あいっかわらず寂れてるねー。」
無遠慮な少女の声に、意識を呼び戻された。