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朝から王城は荒れていた。
もっと言うと、昨晩、王がさらわれた時から荒れに荒れていた。
だが、それを王女の一喝が静めた。
『兵を動かせば父上の命はないと言うのです。
あなた方は王の命を危険にさらしたいのですか?』
エル王女の一喝をもってその場は静まったが、本質的な解決には何もなっていない。
理由も言わず、突然守護神たる雪姫を討つと言った王。
そしてその晩のうち、長い歴史の中一度だって姿を表したことのないはずの雪姫が、王
城まで出向きその王をさらったのだ。
兵達はもはや、何を信じればいいかわからなくなっていた。
いや、わからなくなりかけていた。
そんな兵達に道と方向性を与えたのが、やはりエル王女の言葉であった。
『まだ兵を動かして攻める気はありませんが、戦の準備はしておくべきです。
総員、いつでも戦いに出られるよう入念な準備をしておきなさい!』
王城でそんな騒ぎがあったことなど露知らず、レグナは今日も作業に没頭していた。
この分なら、今日中に納得行くものが出来上がりそうだった。
テーブルの椅子には、朝早くから訪れたファリナが腰を下ろしてぼーっとしていた。レ
グナは理由を聞かず、ファリナの好きにさせてやろうと決めていた。
エリュセア=ファン=ゼルデア。
あと四日で成人の儀を、そして本来ならその後に雪姫との契約を迎え、ゼルデアの新女
王になるはずだった、いまだ齢十七の少女である。
騒ぎを静め、各部署の見回りを済ませたエル王女は、自室に入ると、一度ベッドに横に
なって大きく息をついた。
「どうしてお父様が突然雪姫様と戦うなんて言いだしたのか。
―――このままじゃいけない、私は私のできることをするんだ。」
顔を棚に向け、彼女の『勇気』の源を見つめて。一度だけ強く目を閉じると、彼女は起き
上がった。
覚悟は―――決めた。
「私は、雪姫様に会う。
お母様とお父様、どちらが正しいのか、私自身で判断するわ!」
そうしなければならないから。
それが自分の使命だと思ったから。
あるいは―――
「……」
もしかしたら、これを乗り越えることができれば、自分は資格を得られるのかもしれない
から。
だからエルは心の中で『勇気』に誓った。
(私は、自分がやるべきこと、自分で決めた道を頑張るよ。だから―――)
それから一時間の後。
エルの姿は、雪姫の祠の前にあった。
「―――行きます。」
その両手には、昨夜連れさられた王、エルの父サバルの姿もあった……
王族のみに開かれるという祠の封印を解き。
まだ成人になっていないエルは、祠の中を進み。
そうして―――
「……」
唾を飲み込む。乾いた唇を舐める。
負けないように、自分に負けないように、じっと。睨むように。
真っ直ぐに、初めて見る守護神、雪姫を見つめた。
何かに呼ばれた気がして、レグナはふと顔を上げた。
相変わらずファリナは無反応。窓の外には雪。
ただ暖房機具の立てる鳴き声だけが響く部屋を見渡し、レグナは再び作業に戻った。
それは、間違いなく幻聴、ないしは錯覚であった。
けれど、奇しくもその幻聴は、まるで予感であるかのごとく―――
雪姫は―――美しかった。
場違いなほど、今まで見た何よりも美しかった。
自分と似た容姿、似た髪。けれど、何もかもが自分より美しい気がした。
その瞳を見つめて―――
「……」
エルは、その美しさの名前を知った。
その名は、悲しみ。
苦しみ。絶望。悲哀。
今の自分にはわからぬ、涙の美しさであった。