はじまり
暇だ。
暇だ。
暇だとも!
正式サービスが開始し七時間。つまりデスゲーム化して六時間が経過したわけだが見事に誰も来ない。
新しい血の通った人間たちとの出会いを期待していたというのに今日はその訪れのないままに店じまいをすることになりそうだ。
店じまいまであと三十分。
あと十分。
あと五分。
あと三分…
カラン
待ちに待った客!
とはいえ急な動きはできない。システム通りゆっくりと突いていた頬杖から顔を上げて、視線を向ける。交友値が低い相手用の低い声で、
「何だ、客か?」
と問いかける。そこにいたのは、
(ジャックじゃないか!)
もちろんこれは音声にはならなかった。
このゲームのNPCには交友値というものが設定されている。ギャルゲーみたいだとかって笑うなよ?出来るけどな、ギャルゲー。女性プレイヤーには乙女ゲーか?
俺の店の場合、初めてのプレイヤー客に20点、二番目以降は初来店時に10点だ。以降、商品の売買ごとに一日一点まで自己裁量で上げてやることが出来る。ほかの店もおそらくはそんな感じで、町人Aだの町娘Bだのには話しかける毎に一日一点までというのが相場だ。
全NPC共通で30点で会話の傍受、50点で自由な会話、80点で接触という風に出来ることが増えていく。これを上げとかないと出ない職業なんかもあるから実はこのゲームNPCとの交流は必須だ。
ちなみにNPC同士にもあるが初期値が必ず30点と多少の優遇はある。生まれたてのころ、あまりに退屈で休み毎にだれかれとなく話しかけまくって、システム通りの返事されてを繰り返して、一季近くが過ぎてようやく会話が出来るようになって馬の合う奴と会わない奴がいるんだなということを学んだのも今となっては懐かしい。
まぁこんなの二週間のベータテストで気づいた奴はいないと思うけどな。たとえどこかの店で初めての客になれたとしても、二週間のうち十日通ってやっと会話に変化が出る。それも自分以外の相手との。むしろここまでやれた奴がいただけで賞賛ものだな。
そんな電気信号のやりとりを俺の中だけで繰り広げている間にジャックはふらふらとカウンターによってきて怒鳴りだした。
「おいジャック、これはどういうことなんだ。説明しろ!」
そんなことを言ったって、これは我らが親父殿のかねてからの夢なんだ。やめさせようにも彼ほどに頭のいい奴はいないだろうから不可能だろうな。―――そんな説明すらもシステムによって阻まれるのだ。俺にどうしようがあると?
「説明、してくれよ。頼むから……」
怒鳴っていたジャックは最後には消え入るような声で懇願し、あまつさえ俺の手に触れようとしてくる。
交友値の低い今、そんなことをしたって効果音とともに弾かれて終わるのにな、
バチィッ
案の定起きた鋭い光のエフェクトと効果音。だが、弾かれたのは俺だった。
……俺?
俺は座っていた背のない椅子を押し倒し、床にみっともなくへたり込んでいた。
「どうなってやがる!」
音声にしたつもりはなかった。だが現に怒鳴ってしまった。本当にどうなっているというのだ。ジャックもさぞや驚いているだろうと首を伸ばして届きもしないカウンターの向こうを見ようとする。と、
「よっ、と。お客さん、買うものがねぇなら帰ってくれないか?そろそろ店仕舞いの時間なんだ」
いつの間にやら俺の背後に回り、俺が数週間前初めて口にしたせりふを言ったのは、
転げた椅子を起こして、俺の店のカウンターにどっかりと座ったのは、
―――ジャック?
反射的に立ち上がった俺はつい先ほどの彼の行動をなぞるように怒鳴る。
「おい、ジャック、これはどういうことだ。説明しろ!」
だがジャックは、やはり先の俺と同じように、軽く視線を向けただけで返事もしない。退屈そうな鍛冶屋の店主――眼鏡の優男がやっていると少々滑稽だが――そのものだ。
「おい、頼む。説明してくれよ、ジャック……」
奴にふらふら触れようとしてまたバチィッという効果音。だがやはり弾かれたのは俺だった。
へなへなとそのまま力なくいる俺にジャックは無常にも閉店を告げる。
「おら、とっとと帰ってくんな」
抗う気力もなく俺は彼の声に押されて店を出る。俺の後ろで戸にカタリとロックがかけられた。
……うん?
……どこに帰れと?
いや待て落ち着け俺。状況を整理しよう。
第一に、俺は今店の外にいる。よし、これが大問題だ。
今日は二日目、休日でもなんでもない。俺が外に出ることは不可能なはずなのだ。
ありえる可能性としては……ないな、ありえる可能性がそもそもないな。まさかとは思うがバグか? それこそ冗談みたいな話だが。バグだとすると今の俺はシステムの管理外なのだろうか……。
いいや、次!
第二に、ジャックが今俺の店の中にいる。
プレイヤーは交友値が一定を超える場合を除き閉店後の店内にはいられない。こんな決まりベータテストのときにはじめて知ったんだけどな。閉店は決まった時間を越えて店内に人のいないとき、自動でロックがかかる。
試しに閉じられた戸を開けようとしてみる。うん、ぴくりとも動かない。正常だ。ちなみに今の時間の俺がこんなことをしているのは異常だ。
うんもういい、次!
第三に、何でシステムが俺がジャックに触れることを阻んだのかということだ。
交友値の低いNPCにプレイヤーから触れることは不可能だがその逆は可能のはず。プレイヤーの交友値は誰に対してもMAXということだろう。節操のない奴らだ。別に奴らのせいではないが。
まさか俺の交友値がすべてゼロにされたのではあるまいな。もしそうだったら泣くぞ? 俺の三年はどうなる!
これはなんとしてでも確かめねばなるまい。
俺は生まれて初めてシステムの制限のないらしいことに随分な戸惑いと、そしてどうしてか、紛れもない好奇心を覚えつつ、暗くなった町に一歩踏み出した。