青い川
薬屋姉弟への印象ががらりと変わってしまったことにちょっぴりショックを覚えつつ、次の客が入ってきたところで暇を告げる。
いや、な。うん。まあ、新しく知った親友のこの一面によって俺たちの仲が変わるわけじゃない。ひょっとして俺についてシャンクのやつが知らないこともあるかもしれないしな。ばれて困るもんはないが。
表に出て大門を目指す。沈痛な面持ちのプレイヤーと険しい顔のプレイヤーと楽しげな顔のプレイヤーと6:3:1ぐらいか。いや、最後のはもうちっと少ないかもしれない。あとぬぼーっと通りの隅に座り込んでるやつなんかもいた。
門をくぐって、フィールドへ。草を踏みしめると同時に湧き上がる高揚感に任せ、剣を振りぬき走り出す。
ひゃっほう!NPC様の御通りだ!
ホーンラビットなんぞ踏み潰せ! アーミースネークは剣の錆だ!
ぎこちない動作のプレイヤーが駆けながら、流れるように獲物を狩る俺の動作に目を見張っている。
すばらしい天気じゃないか! 弾ける赤が青い空にかかる。
なんていい風だ! 鉄錆の匂いを振り切り川を目指す。
できるだけ拾う努力はしたが、走るほうに気をとられた。ティティよ、土産は少ないかもしれんが気にするな。
俺はここが好きなんだ! 全速力で駆けて、壁にぶつかることのない広い世界!
果てはあるのか知らんが、今この大地に途切れるところは見当たらない。
なんて広く、美しい、世界よ!
などと考えてる間にブルーリバーへとたどり着いた。
うむ、俺は多分このあたりじゃ最強だな。なんてったって俺の進行を十秒と妨げることのできる敵はいなかった。おかげで気分よく走ることができたんだ。
ベータテストのときから街中で理由なく走り出すのが禁止されてたんだよ。単に走りたいじゃ理由にはならないらしい。
ブルーリバーはその名の通り青い川らしい。そして今、らしいではなく本当にそうだと確かめることができた。
緑の草原の中に、比喩でなく青々とした草が一筋。その間を流れる青い川。川幅は6m37cm、水の中に俺の求める石やら貝のモンスターが覗える。ちなみにさっきから蟹なんかも出てきてる。硬かった。これに一番手間取った。
そうっと一掬いして、手の中にあるのは透明に青みがかかった液体。知識によると飲んでも害はないらしい。ごくりとそのまま口へ、と、
「大丈夫なんすか!? これ飲んで」
「ぶっ」
何でヤマダがここにいるんだ!? 驚いて液体をふきだしてしまった。
まさか本当に外で夜明かししたんじゃないだろうな、こいつは。
「ブルーリバーの水には疲労回復の作用があるらしいぞ」
口を手でぬぐいながら彼の質問に答える。
ちなみにこの液体、武器を鍛えるときの素材としても使える。店にいくらでもある井戸水より上位であるはずだが、<水筒>がないから今は汲めない。
「ま、まじっすか……」
ヤマダは俺の隣で身をかがめると恐る恐るといった体で青い液体を飲む。
「ぶ、そ、ソーダ!?」
「そうだ」
いや、俺も初めて飲んだんだから偉そうに言える筋合いじゃないんだけどな。しかも口に含んだだけで飲み込んだのはほんのちょっぴしだけどな! だけどここは言うべきだろ!
「いやなに駄洒落てんだ、ですか! じゃなくてなんでこんなとこに!?」
「そりゃこっちのせりふだ」
「俺はクエストだ……っすよ。ここの青い草を二十」
そうじゃなくてだな、昨日の段階でこいつのレベルは2だったはずだ。対してここのモンスターはLv.3~4。
「あっ、あの後結局Lv.4までいったんっす。それより師匠こそなんでここに?」
ほう。すごいな、血の通った人間。寝たのか? 俺は不眠不休だが、1しか上がらなかった。うーん。
で、ここにきた理由だったな。
「お前と似たようなもんだ」
クエスト、ブルーリバーでの狩猟、採取。
言った俺は一旦はしまった剣を抜いて川に入る。
膝がつかるくらいまで来たとたん、飛び掛ってきた大きな化け物貝、ブルームッシェル。倒して殻をむしればいいんだよな。
いきなり戦闘に入った俺を、ヤマダが驚いた顔で見ている。
おっと、水に足が浸かっていると動きが阻害されるみたいだ。下手に動くよりもしっかり構えてきるほうがいいだろうか。
飛び上がった瞬間だけぱくりと開く隙間を狙って攻撃を当てる。しまったな、ここはかなりの溜まり場だったらしい。うーん、格好つけずにいい場所探してからにすべきだったな。
じゃばじゃばと、のろい足を動かして水から上がる。まだ飛び掛ってくる貝。それでも三つ四つと切り捨てるとそれ以上はこなくなった。
取れた貝殻は陸地に転がる四つと、水中で殺して回収した十数個のうちの三つか。こりゃもう一回やらなきゃだな。水にぱっと入ってぱっと出て陸地で殺す感じか? でもあいつら後ろからでも容赦なくぶち当たってくるからなぁ。
ジャックから買ったポーションで体力を回復する。
お、肉も出た。食えるのか。調理器具ないが。
「……あ」
あ、なんだ? ヤマダ。あ、あ……いうえお?
「あっぶねぇだろうが!」
どうしよう。なんかものすごく怒らせたらしい。怖い顔をしたヤマダはものすごい剣幕でまくし立てる。
「何だよあれかてぇだろ、レベル表示見えなかったぞ! こちとらあんたと違ってまだよえぇんだ! それなのにわけのわからねぇ貝の巻き添えにしやがって死んだらどうする! てめぇと違って俺は死ぬんだよ! あ? 死んだらどうなるかわからないってか? こっちもしったこっちゃねぇ! そもそも捌ききれねぇ量の群れに気取って飛びこんでんな! 周りに迷惑だろうが!」
そういや、なんか、斬った分と死体の数が会わなかった気がする……ヤマダのほうに飛んでって戦う羽目になったってことか。
「悪かった」
いや、ほんとにすまん。これ以上に謝意を示す言葉がない。
「ったりめぇだろうがぁっ!」
本気でこわいっす。
とりあえず落ち着いてほしいのだが、こいつにとって死とはよほど重大なことであるようなので迂闊なことを言うとさらに興奮させそうだ。つまり謝罪を重ねるしかないな、うん。
頭を下げてもう一度。
「すまん」
「いいか、MMOのマナーもしらねぇ奴が人のそばで狩りすんじゃねぇ! MPKも擦り付けも今の状況じゃ殺人なんだよ、人殺しだ。NPCだかなんだかしらねぇが生き延びたいんなら人様を敵に回してんな!」
人様って血の通った人間には様付けする必要があるのかとかMPKも擦り付けも知らないとかはあるんだが、えと……とりあえず、心配されたっぽいか? 生き延びるどうこうって、そういうことだよな?
とりあえずヤマダは怖いがいい奴らしい。怖いが。
うん、こういう相手の忠告は聞くもんだ。なんたってこっちに対する配慮込みでものをいうからな。
だが、しかしだ、ヤマダ。マナーとは何ぞ? 生き延びるに必要らしいが、あいにくとMMOには縁がない。できればご教授いただきたいのだが……ですが。ってどう伝えりゃいいんだろうな?
うーん、教えを受けるにふさわしい台詞は見当たらない。まあ、この世界の住人がこの世界について説明されることなんて、想定されちゃいないわけだしな。よし。
「すまないが、それについちゃわからねぇんだ」
言って、地面に手と膝をつき、頭をがばっと下げる。orzみたいな感じで。
これなら誠意みたいなものが伝わる気がする。口調はまあ気にすんな。仕様だからな。
ヤマダはいきなりの俺の行動に驚いたらしかった。
「お、おい、あ? っと、何がだ?」
おー、さっきの剣幕が消えたな。
「マナーってもんがあるだろ」
口調については……(以下略)。これは店内で暴れた奴への注意勧告だ。すまんな、ヤマダ。
「あん? あ、え? つまり、何だ?マナーがわからねぇ、で、土下座、で……教えろってことか!?」
「おう!」
いやープレイヤー相手の会話って大変だな。うん。でもなんでだろうな? それなりに、そこそこ、ホーンラビット狩るよりはずっと、面白いんだ。
困惑したままのヤマダが困惑したまま「え、いや、はい?」とかいったのを承諾と受け取り俺は、「よろしくな」と笑顔を作ってごり押したのだった。