俺の世界
俺はジャック。ディグレス通りにひっそりと存在する鍛冶屋の店主だ。
ディグレス通りはコンクリートワールドのダーンタウンにある、気をつけないと見過ごしてしまいそうなほっそい通りだ。入るために特別な条件があったりするし、店の立地としては最悪と言っていいな。
そしてコンクリートワールドは親父殿の創った世界だ。名前から想像されるような無機質な灰色の世界じゃない。空があって大地がある。森があって川がある。そして、必ず果てのある、美しくも残酷な俺の現実。
世界を創るなんて親父殿は神なのかって?
そんな馬鹿なことあるわけがない。彼はちゃんと血の通った、少しだけぶっ飛んだ思考の人間だ。
まぁその息子である俺に血は流れていないんだけどな。親子ったって向こうからしちゃ数万いる創作物のひとつだし。
おいおいおい、創作物っても俺はそこらにあるような、詰まらない、喋らない物なんかじゃないせ?
喋るだけじゃなく、考えたり、怒ったりもできる。
何を隠そう、俺はNPCなのだ。
いやいや、だからちゃんと自分で考えて行動出来るんだって。機会はものすごく限られてるけどな。
偏屈で、ぶっ飛んでて、とんでもなく頭のいい親父殿の作り上げた自立思考の出来るAI、それが俺だ。
親父殿の夢見た世界、怪物が跋扈し、それに抗おうと武器を取る人間たちの住む世界であるこのコンクリートワールドはヴァーチャル・リアル・マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム、つまりはVRMMORPGとして血の通う人間たちの世界にお目見えした。
お目見えしてすぐ、デスゲームと化した。
より親父殿の望む世界に近づけるために。より具体的に、現実味のある世界にするためにな。
とはいえデスゲームになったって俺たちNPCにとっては大した事はない。
親父殿のお慈悲なのか手抜きなのか俺たちが死ぬことはないからだ。
俺たちの生態――生きてないな、死態っつーのは嫌だし――まぁ行動について簡単に説明しよう。
まず、朝起きて、飯食って(味はするが摂らなくてもどうということもないはずのもの。空腹って何?おいしいの?)、店の掃除して、店番。昼の休憩札をかけて、昼飯食って、また店番。規定の時間になって最後の客を見送ったら店仕舞い、もう一度掃除をして(意味あるのか?)、晩飯食って、ごろごろして、風呂入って寝る。―――寝る意味もないな。
これが俺の一日だ。退屈だろ?しかもシステムで決められた行動範囲から出ることは出来ないからサボってシャンクの店に行くことも出来ない。
次に七日に一度の休日。
―――っと、説明忘れてた。この世界にもちゃんと――『ちゃんと』の基準は後でだ。忘れてるわけじゃないぞ?――日が昇って沈む。
それが一周で一日、七日をひとつのサイクルにして一週間、それが四つで一月、一月が三つで一季、この季って単位は血の流れる人間の世界にはないらしいがこれが一番面白い。なんといっても退屈な日常の中景色が変わるんだからな。四回変わればまた元通り、春夏秋冬で一年だ。
それで休日だがこの日にだけ名前がついている。ダーンの日ってんだ。あとはダーンの日から何日目かであらわす。ダーンの次の日が一日目、そのまた次が二日目。七日目はまたダーンの日だ。
もっともダーンの日が休日って店ばかりじゃないけどな。俺の店の休みがこの日だから特に思い入れがあるのかも知れん。よくわからんが。
それで俺の休日だったな。
朝起きて、飯食って、店の掃除――いや、こっから代わり映えするんだって――ここまでやると行動範囲の制限が店内から一部屋内を除いたダーンタウン全体になる。シャンクのところに行ったり、普段冷蔵庫に補充される物とは違った味を楽しんだりと、まぁ今のところ娯楽に不自由はしていない。
夕方の掃除に間に合うような時間で行動範囲が狭まり、後は平日と同じだ。
こんな生活を生まれてからの三年続けていたんだが、つい一月前にクローズドベータテストというものがあった。この世界に人を呼び込むための準備。
その期間での奴らとの交流が俺の『血の流れる人間たちのちゃんと』の基準だ。
最も俺の店に来たやつなんて二週間で十七人だけどな。テスターは三百人いたはずだぞ?リピーターなんて偶然同名だったジャックただ一人だよ。
奴も今この世界にいるのかねぇ……。