最終話
次の日の朝、晴翔は前田たち孤児院の仲間たちと共に施設を出て、とある郵便ポストの前で佇んでいた…
「本当に、それでいいんだな…晴翔?」
前田が聞くと、
「昨晩、言った通りだ。覚悟はできている…」
晴翔は静かに口を開いた。
「僕には、どうも解せないんだ。本当に、それでいいのかって…」
正岡は、昨晩に聞かされた彼の話に対して納得がいかなかったが、
「結局、寂しいんだよ。親父も…そして、俺もな…」
それを聞いて、長年一緒に暮らして来た仲間の決意を尊重したいと、必死に歯を食いしばった。
「お前の力になれなくて、本当にすまん…」
「謝ることはないさ。これは、俺と親父の問題なんだからさ」
晴翔は、そう言って、前田に手を差し伸べると、
「今まで、ありがとうな…」
「晴翔…」
彼は、その手をぎゅっと掴んで大粒の涙を流した。
「さあ、このくらいにしようか…先生も待っていることだしな」
晴翔は、大志高校宛ての書留を取り出し、郵便ポストへ投函すると、
「まさか、こんな形で退学届と退部届を出すとは思わなかったぜ」
一呼吸をおき、口を震わせながら、
「これで、お別れだ。今まで、ありがとうな…野球部のみんな…」
言った。そして、気の迷いを振り捨て、前田たちに向き直り、
「じゃあ、行って来るぜ…」
そう言い残して、郵便ポストをあとにしたのだった…
まもなくして、晴翔は、組長の屋敷へたどり着くと、
「ここに、クソ親父がいるのか」
大きく息を吸って、大声をあげた。
「来てやったぜ、親父…早く、中に入れろ!」
その声を聞いた組長は、ニヤリと笑い、
「相変わらず、威勢のいいガキだぜ」
下っ端に玄関を開けさせ、中へ招き入れた。そして、晴翔は組長の部屋まで案内され、そこで彼と対峙した…すると、そこには組長とその幹部たちの他に、自身の背後で両手を縄で縛られ、床に両膝を落とす格好で身動きの取れない華原の姿があったのだった…
「は、晴翔…」
晴翔の姿を写した彼女の目から一筋の涙が頬を伝うと、
「せ、先生…」
その力の無い声を聞いた彼は、高鳴る鼓動を抑えるかのように、ぐっと拳を握った…
「よく来たな…待っていたぜ」
彼が、冷笑しながら言うと、
「俺は、親父の組に入る決心をした…だから、早く先生を解放しろ…」
晴翔は毅然とした態度で、そう言い放った。すると、傍にいた華原は、ふいに大きな声を上げた。
「ダメよ、ヤクザになっちゃ…絶対にダメ。私のことなんか、どうなっても構わないんだからね!」
「うるせえ…黙っていろ!」
彼女の発言に、組長が怒鳴り声をあげると、
「いいんだよ、先生…俺は、生みの親のもとへ帰るだけなんだから…」
晴翔は、彼女に対して優しく微笑んだ。
「全然よくないわよ…お願いだから、早く孤児院に戻って!」
彼女は、涙ながらに、そう訴えた。その様子を見た彼は、胸が張り裂けそうになりながら、
「ありがとう、先生…俺は、先生に出会えて、本当に幸せだったよ。だから、これからも俺みたいな子たちを、たくさん導いてあげてください。お願いします…」
深く頭を下げた。そして、組長に向き合い、
「まだまだ、未熟者ですが…組長のお役に立てるようがんばりますので、今後とも宜しくお願いします!」
そう言い放つと、
「ふはははは…よく、決断した。さすが、俺の子だ!」
それを聞いた彼は、大きく勝ち誇った。そして、
「その女に、もう用はない…外へ放り出してこい…」
手下たちに合図すると、
「晴翔!」
彼女は、泣き叫びながら手下たちに連れて行かれ、屋敷の外へ投げ出されたのであった。
「さよなら、先生…いつまでも、お元気で…」
そうこぼすと、晴翔は静かに目を閉じたのだった…
そして、次の日…
晴翔の退学届と退部届は、大志高校に届き、野球部の部室では、騒然となっていたのであった。
「虎頭が、野球も学校も辞めただと…一体、どうなってやがるんだ」
優希は、声を荒げながら目に入った椅子を、ところ構わず蹴とばした。
「わからない…だが、何かただごとでは、無さそうな気がする…」
玄奘は、そう案じると、
「とにかく、孤児院へ行ってみようぜ。あの華原先生なら、何か知っているかもしれないからな」
藤次の提案に、大きく頷いた。
「そうだな…すぐに、孤児院に向かおう」
こうして、玄奘たち一年生は、野球部の練習をほったらかしにして、孤児院へ向かったのであった…
玄奘たちは、孤児院にたどり着くやいなや、華原に会うと、彼女は、ポロポロと涙を流し始めたのだった…
「晴翔が…晴翔が…」
彼女は、泣きながら事情を話すと、
「何だって…虎頭が、ヤクザになっただと」
玄奘は、思わず声をあげた。
「私が、あいつらに捕まらなければ、こんなことにはならなかったのに…」
彼女が、そう声を詰まらせると、
「ゆ、許せん…親の都合で、自分の子を道具のようにしやがって…」
優希は、怒りのあまりバットを握りしめた。
「おい、落ち着けよ…まさか、組長の屋敷に討ち入りでもする気かよ」
「じゃあ…お前は、このまま、奴がヤクザになっちまっていいのかよ」
将人の発言に、優希が怒鳴り返すと、
「いいわけがないさ…あいつには、だいぶ世話になったからな」
「僕も同じだよ…彼がいなかったら、僕は野球をやっていなかったと思うからな」
一郎と勉は、そう続けて声を発した。
「しかし、どうする…ヤクザ相手に喧嘩なんて、無謀すぎるぜ。それに、そんな大問題を起こしたら、野球部は間違いなく廃部になるぞ」
「その通りだな…それに、警察沙汰になると、虎頭まで変に巻き込まれるかもしれないしな」
小平太と通の言葉に、一同は静まり返った。と、その時、その静寂を破るかのごとく、優希はゆっくりと口を開き、
「虎頭は、俺たちの大切な仲間だ…そして、みんな、奴にたくさん世話になったんだ。そんな奴を、放っておくわけにはいかないぜ」
かっと目を開いた。
「俺は、誰に何と言われようとも、虎頭を奪い返しに行くぜ。たとえ、流れ弾に当たって、くたばっても後悔はねえ」
優希の言葉に、玄奘は真剣な眼差しで頷き、
「私も同感だよ…野球部には、迷惑がかからぬよう退部届を出す覚悟だ。いや、退学届もだ…」
その覚悟に、藤次たちも声を上げ、
「学校も野球も大事だが、虎頭の方がもっと大事だ…虎頭あっての俺たちで、俺たちあっての虎頭だもんな!」
「そうだぜ…誰ひとり、欠けてもダメなんだよ。俺たちは!」
途切れる間もなく、自分たちの思いを口にしたのだった。
「よし…みんなの腹は、決まったな…」
玄奘は、一人一人の顔を見渡し、
「これより、大志高校野球部は、虎頭を取り戻しにいく!」
表情を引き締めて、大きく言い放つと、
「おおっ!」
みんなは、大きくそれに応えた。こうして、玄奘たちは、力強く駆け出し、晴翔の奪還に向かったのであった…
そして、大志高校野球部一年生たちは、組長の屋敷の前に集結したのだった…
「ここに、奴がいるのか…」
“天誅”と書かれた鉢巻を巻いた優希が、無数に釘が打ちつけられたバットを構えると、
「待っていてくれよ。今から、助けてやるからな…」
野球ボールが一杯に詰められた袋を腰にぶら下げた藤次は、手に持っていたボールを指先の上で回した。そして、
「言っておくが、私たちは喧嘩をするために、ここに来たのではない…虎頭を取り戻すことが最優先なのだ。それゆえに、奪還ができたら、すぐにでも脱出するから、各自そのつもりで行動しろよ」
三度笠をかぶり、袈裟で身を包んだ玄奘が、鉄の錫杖を掲げると、
「その割には、大層な装備品じゃねえか」
そのいでたちを見て、優希は小さく笑った。と、その騒ぎに感づいた組長の手下たちは、屋敷から一斉に躍り出てきて、
「わりゃあ、どこの組の者じゃあ!」
そう声を張り上げた。
「私たちは、大切な仲間を取り返しにきた。虎頭晴翔を、引き渡してもらいたい…」
「寝言を、言っているんじぇねえ…おどれら、やっちまえ!」
そう発すると、彼らは一斉に銃を構えた。それを見て、
「うっ…」
一年生たちは、思わず怯んだ。しかし、玄奘だけは、それに怯むことなく、ゆっくりと前へ進み、
「返してもらうぞ。私たちの大切な仲間を…」
そう発すると、
「撃て!」
…パン、パン、パーン!!!
手下たちは、一斉に弾いたのだった。すると、
「はあっ!」
…ビュウゥゥ!!!
玄奘は、錫杖を超人的な速さで回転させて、
…カッカッカッカッカーン!!!
全ての弾丸を弾き返した。その尋常でない光景に、
「…!!!」
手下たちは、逆に怯んでしまったのだった。
「宝生院流武術を、バカにしてもらっては困るな…お前たちの放つ、鉄砲玉など、私の前では無意味だ…」
玄奘が、涼やかに笑うと、
「す、すげえ…お前…野球なんかやるより、自衛隊に入った方が絶対にいいぞ…」
優希は、思わずこぼした。と、その時、屋敷の中から、晴翔が飛び出し、
「み、みんな…」
玄奘たちの姿を見て、思わず声をあげた。
「無事だったか、虎頭!」
優希は、そう言って、駆け寄ろうとした時、続けざまに組長が姿を現し、
「待ちな…若僧どもが!」
ドスを利かせながら発すると、
「うちの息子の友達か…遠路はるばる、ご苦労なことだぜ」
ニヤリと笑った。
「私たちは、あなた方と争う気はありません…それに、虎頭は、自分の意思でヤクザになったのではありません…虎頭を、返して頂けないですか?」
玄奘の要求に、彼が大きく笑うと、
「それは、どうかな…晴翔は、帰りたくないと言っているが?」
「そんな訳はねえだろ!」
優希は、猛然と反論した。だが、
「いや、親父の言う通りだ…俺は、ヤクザになる…」
「な、なんじゃそりゃあ!?」
晴翔の意外な答えに、彼は仰天したのだった。
「だんだん、よくわからなくなってきたよ…こんな親父でも、俺が生きているってことを知ったら会いに来てくれたし、お前は俺の子だって言ってくれるしよ。腹も立ったが、正直うれしくもあったんだ…」
「虎頭…」
彼の発言に、玄奘が言葉を失い、
「親がいないってのは、子どもにとっちゃ、ほんとに寂しいんだよ…少なくとも俺は、自分の親に会うことができて、何だかほっとしちまっているんだ…」
「そ、そんなバカな…」
将人が、頭を抱え、
「ここまで覚悟して来たって言うのに…俺たちは、一体何をしにきたんだ…」
藤次が呟くと、ふいに優希は、かっとなり、
「おい、このクソ野郎!」
晴翔を睨みつけた。そして、
「それじゃあ、俺たちよりもそっちの方が大事だって言うのか…確かに、俺たちもお前とは、そんなに長い付き合いじゃねえが、今まで一緒に苦楽を共にしてやって来たあの時間は、何だったって言うんだ…俺たちの関係は、そんなに薄っぺらいものだったのかよ!」
「くっ…」
彼が、そう叫び、
「俺は、刺し違えてでもお前を取り戻しに来たんだ…それは、俺にとってお前は、俺の命に代えても惜しくないほど、かけがえのないものだからなんだ!」
「うう…」
その心の声が、晴翔の心に響き渡ると、
「野球をやろうぜ、虎頭…俺たちも退部届を出しちまったから、また一からやり直しだけど、俺たちだったら、きっとできるさ。まだ、俺たちの夢は、始まったばかりなんだ。こんなところで、挫折なんかしてられるかよ!」
「た、竜岡…」
彼は、思わず涙を浮かべたのだった。
「晴翔…」
それを見ていた組長は、静かに目をつぶった。そして、ゆっくりと目を開け、
「いい仲間じゃねえか…俺にも、こんな仲間がいればなあ…」
「お、親父…」
と、呟くと、晴翔は目を丸くし、
「俺の負けだよ…お前らの絆は、半端じゃねえ…俺のわがままで、お前を束縛しようとした俺が、間違っていたようだ…」
「虎頭さん…」
玄奘は、真摯な目で組長を見つめた。
「晴翔…もう二度と、ここへは来るなよ…お前には、もはや帰るべき場所がある…いや、帰らなければならない場所があるんだからな」
「親父…」
晴翔が、そう口にすると、
「お前は、長い時を経て、本当に信頼し合える奴らと出会えたんだ…大切にしろよ…」
組長は、玄奘に振り返り、
「息子を、宜しくお願いします…」
頭を下げたのであった。それを見た優希が、
「さあ、親父さんは納得されたみたいだぜ。あとは、お前次第だ…」
小さく笑って尋ねると、晴翔は体を震わせながら、
「こんな俺を許してくれるのか?」
そう問い返した。すると、彼は、明るい顔で、
「あったり前だろ…俺たちは、仲間なんだからよ!」
手を差し伸べたのだった。
「ありがとう…」
晴翔が、みんなのもとへ駆け寄り、肩を組み合って喜びを分かち合うと、
「達者でな…晴翔…」
組長は、その光景を、いつまでも微笑ましく見つめたのであった。
この後、晴翔たちは、自分らの住む町へ戻ったのだが、退学届と退部届を出した彼らは、すぐに大志高校へは戻れなかった。それに加えて、ヤクザの屋敷に殴り込んだこともあって、その話が学校中で話題となったからである…
そして、この一件は、職員会議にかけられ、大きな論争となった…
しかし、彼らの勇気ある行動と固い絆に感動したほとんどの教員が、彼らの復学と野球部への復帰に賛成する事態となり、晴翔たちは、再び大志高校へ通うことを許されたのであった…
俺たちは、まだ野球ができる…
甲子園を目指して、がんばることができるんだ!
晴翔たち一年生は、涙が枯れるまで互いに抱き合い、心の底から喜びを分かち合ったのだった…
さらに、その最中で、彼らは、こう決意している…
俺たちは、高校球児として、野球を極め、その道を貫き通すと…
“生命”とは、単に寿命を意味するものなのだろうか…
もし、それが、“生きるために与えられたもの”と言う意味に達するのであれば、
彼らは、その“生命”に目覚め、今しかない命を自らの手で最大限に活かし尽くし、思う存分に燃え果てることを尊きとした者たちだったのかもしれない…
そして、月日は流れ、晴翔たちは3年生となり、夏の甲子園を賭けて地区大会に出場することになった…
「初戦の相手は、因縁深い東亜工業高校だ。みんな、しまっていくぞ!」
「おおっ!」
キャプテンで、5番・キャッチャーの宝生院玄奘の号令で、勇ましい声をあげた大志高校野球部たちは、円陣を解いて、それぞれのポジションへと散らばっていった…
「お前は、最高のピッチングをすることに集中しろよ…バックは、俺たちに任せな!」
大志高校のスラッガーである4番・ライトの竜岡優希が、去り際に、そう発破をかけると、
「わかっているさ…この期に及んで、臆病風に吹かれるかよ…」
大志高校のエースである9番・ピッチャーの烏丸藤次は、ニヤリと笑って、それに応えた。
そして…
1番・センター、八百屋小平太…
2番・サード、浜村通…
6番・ショート、佐戸一郎…
7番・セカンド、井出将人…
8番・ファースト、二ノ宮勉…
それぞれが、心中に闘志を秘め、元気のある笑顔で、気合いのこもった雄叫びを上げている中…
「さあ…俺たちの夢を実現する時がやってきたぜ」
大志高校の不動の3番・レフトの虎頭晴翔は、目を輝かせながら、レフトのポジションへと駆け抜けたのであった…
~完~




