第二十六話
ある日のこと…
晴翔のいる孤児院で、毎年恒例の学園祭が行われた。
「今年は、すごい人の数だな…これじゃあ、いくらペースを上げて焼いても間に合わないぜ」
軽食コーナーを担当していた晴翔が、テントの中で汗にまみれながら、次から次へと焼きそばを作っていると、
「そうだな…だが、その分やりがいがあるってもんだぜ」
同じ孤児院で暮らす同い年の前田光喜は、コテを巧みに操りながら、そう言った。
「ほんと、お前が羨ましいぜ…常にプラス思考でいられるもんな…」
「何を言っているんだ。お前こそ、野球をがんばっているじゃないか…自分のやりたいことを見つけられることは、幸せなことだぜ」
前田が、そう言って、彼を見据えると、
「まあな…」
晴翔は、小さく笑いながら頭をかいた。と、その時、うどんコーナーの方から、
「ちょっと…あんたたち。油を売っている状況じゃないでしょ…手を動かしなさい、手を!」
華原が、横で手伝っている正岡にめんを茹でる指示を出しつつ、おつゆを注ぎながら晴翔を叱咤すると、
「おっと、やべえ…やべえ…」
彼は、再び手を動かし始めた。
「しかし、こうして見ていると親子連れが多いな…あの仲の良さそうな親子とか見ていると、何だかほっとするよな」
前田が、穏やかな顔をすると、
「ああ…まったく、そうだな…」
晴翔は、視線の先にいる親子を見つめた。そして、
「俺は、赤ん坊の時に孤児院の前で捨てられたから、親の顔なんて全くわからないからな…だから、一度でもいいから俺の親がどういう奴か見てみたいもんだぜ」
その発言に、
「なんだ、お前…急に寂しくなったのかよ」
「ちげえよ…俺は、自分が何者なのか、知りたいだけだ。それさえわかりゃあ、あとは俺を捨てたクソ親父なんざ、ぶん殴って、しまいだよ」
晴翔がからかうと、すぐに前田は顔を紅潮させた。それを見て、
「まあ、俺もほんとのことを言えば、少し寂しいんだけどな…」
彼は、ため息をついて手を休めると、再び華原の怒鳴り声が聞こえてきた。
「こら、あんたたち…サボるなって言ったでしょ…何回言わせれば、気が済むのよ!」
「そんなことは、わかっとるわい…いちいち、怒るんじゃねえよ!」
晴翔は、思わず言い返し、
「…ったく。調子狂うぜ…」
ぶつぶつと言いながら、そばに水をかけて蓋をすると、
「ほんと、先生には頭が上がらないぜ…だが、俺たちがこうしていられるのは、先生のおかげなんだけどな」
前田の言葉に、小さくうなずいた。
「俺には、親はいないかもしれないが、その代わりに先生がいるもんな…お転婆なのが、玉に瑕だけど…」
晴翔が、感慨深そうに言うと、
「おい、おい…先生だけじゃないぜ。俺やここにいる孤児院の奴らも全て、お前の味方だからな。そこのところを忘れているんじゃねえぞ」
前田は、怪訝そうな顔をした。すると、
「けっ…百も承知だっうの…そんなことを、わざわざ言わせるんじゃねえよ。毎日、寝食を共にしているお前らのことを、どうやって忘れるんだよ」
「まあ…そりゃ、そうだな」
二人は、互いに顔を見合わせて大きく笑った。と、そこへ、大志高校野球部1年生たちの一行が、ひょっこりと姿を現したのだった。
「よう…がんばっているな、少年!」
優希が、ニヤニヤすると、
「なんだ、お前ら…揃いも揃って、冷やかしにでも来たのかよ」
晴翔は、じとっと見た。それを聞いて、
「そんなわけはないだろ…俺たちは、お前らの売上に、少しでも貢献をしてやろうと思って来たんだぜ」
横にいた藤次が言うと、優希はふいに真顔になり、
「えっ…そうだったのか。俺は、てっきり、ただ飯が食えるんだとばかり思っていたんだけどよう。しかも、おみや付きで…」
「何なんだ、お前は…勝手に、無銭飲食を企てているんじゃねえよ。しまいには、つまみ出すぞ!」
その発言に、晴翔は思わずキレた。そして、
「なんだと、こらあ…それが、客に向かって吐く言葉か!」
「金を払わない奴が、客だと…よく言えるな、そんなことが!」
いつものように、二人は、お互いに顔を近づけて睨み合った。
「また、始まったか…毎度毎度、あきないことだぜ」
将人が、ふうっと大きくため息をつくと、ふいに華原と正岡が割って入り、
「すみません…うちの晴翔が、どうかしたのですか?」
彼女が心配そうに、そう口にすると、
「いや…大したことじゃないですよ。奴らは、いつもこんな感じですから…」
藤次は、笑いながら答えた。
「先生…こいつらは、俺が所属している野球部のメンツなんだ」
「まあ…そうだったの」
それを聞いた彼女は、途端に笑顔となり、
「私は、ここで先生をしています華原です…晴翔のことは、いつもお世話になっております」
深くお辞儀をすると、
「おい…美人だな、お前の先生…なあ、彼氏はいるのか?」
「何を言ってやがる…てめえなんざ、相手にするわけねえだろ…」
優希の小声の質問に、晴翔は白い眼をした。そして、
「はじめまして…僕は、正岡登と言います。よろしくです」
続けざまに正岡が、自己紹介をすると、
「やあ、君が正岡くんか…もう心臓の方は大丈夫なのかい?」
晴翔から彼のことを聞かされていた将人は、そう気遣った。それに対して、
「ええ、この通り万全ですよ」
彼は笑顔で、元気よく答えた。すると、
「俺もこいつに負けないようがんばろうと思っているんだ。だから、俺にも木のバットを作ってくれよ」
「おい、おい…お前の打撃で、木製バットは無謀じゃねえのか?」
「なんだと、てめえ!」
将人と晴翔が、笑いながらど突き合いを始めたのだった。と、その時、
「ところで、玄奘の奴は、もうここへ来ているのか?」
藤次が、さらりと話題を変えた。実は、大人の僧侶たちが集まって、合同でお経をあげるイベントに、玄奘が参加するため、気になっていたからだった。
「ああ…今、まさに、講堂であげている最中だぜ。ほんと、有り難い話だ」
晴翔が、小さく笑うと、
「しかし、奴は別格だな…俺たちとは、根本的に何かが違うもんな」
小平太が、腕組みし、
「神様…仏様…玄奘様…ってもんだな…」
通は、手を合わせながら冷やかした。すると、
「そうだ…僕たちも何か手伝おうぜ。これだけたくさんの来場者がいたら、さぞかし大変だろうからな」
「なるほど…それは、いいかもしれんな」
「お前の腕の見せ所だぜ!」
「任せときな!」
勉の提案に、一郎は自分の胸をポンと叩いた。だが、晴翔は、それを見て、すぐに首を横に振り、
「いや、大丈夫だ…そこまで、気を使う必要はないぜ」
小さく笑って、
「それよりも、この焼きそばを買っていってくれよ。売上の貢献に来たんだろ?」
と、聞いた。すると、優希は眉をひそめ、
「少しは、まけろよ…」
小声で言うと、
「しつこい野郎だな…お前は!」
一同は、どっと笑った。そして、
「もう、しょうがないわね…まあ、食べ盛りの年頃だから、出血大サービスで大盛りにしてあげるわね」
「ひょ…さすが、先生…話がわかるぜ!」
優希が、彼女の言葉にはしゃぎ、
「あのなあ、作るのは俺らなんだけどさ…まあ、晴翔の友だちだし、よしとするか」
前田が、そう皮肉を言うと、
「先生や光喜たちだけじゃなかった…俺には、こいつらもいるんだったぜ。寂しいなんて言ったら、バチが当たるよな…」
晴翔は、その光景を目の当たりにしながら小さく笑い、そう自分に言い聞かせたのであった。
だが、和気あいあいとやっている彼らを余所に、少し離れたところから招かざる客たちが悪意を抱きながら、じっと様子を伺っていたのだった…
「間違いない…奴が、虎頭晴翔だ」
絶えず、晴翔を観察し続けるコンビの一人が、そう小さく発すると、
「まさか、この孤児院にいたとはな…だが、これでうちの親分も大喜びだろう…」
もう一人の男が、続けて言葉を漏らした。そして、
「よし…すぐに仔細を報告しに戻るぞ」
その黒づくめの男たちは、来場者たちの波間をくぐり抜けながら、疾風の如く姿を消し去ったのであった…
次の日のこと…
晴翔は、いつものように家路へと向かっていた。そして、
「今日もがっつり練習したな。明日も早いから、さっさと帰って寝るか」
背伸びをしながら、大きな欠伸をした。と、暗い路地に差しかかった時、ふいにいかつい男たちが、彼の目の前に立ちはだかったのだった。
「よう、晴翔…久しぶりだな」
「誰だ、お前?」
見知らぬ男に声を掛けられた晴翔は、警戒しながらも首をかしげた。
「まあ…幼い頃にお前を捨てたんだから、覚えてないのも当然か…」
男が、そう小さく笑い、
「ならば、教えてやるぜ…俺は、お前の父・虎頭健人だ」
「えっ?」
そう話すと、晴翔は思わず言葉を失った。だが、すぐに気を取り直して、
「本当に、お前が俺の父親なのか?」
眉をひそめた。
「こんなことに、嘘をついてもしょうがないだろうが…」
自分の父だと名乗る男が、笑いながら、そう答えると、
「だったら、なんで俺を捨てた?」
憎悪の念にかられた晴翔は、彼をきっと睨んだ。すると、横に控えていたいかつい男たちの一人が、
「貴様…うちの組長に向かって、なんて口を利きやがるんだ!」
と、吠えたので、
「組長?」
晴翔が不審がると、ふいに父と名乗る男は、険しい顔になり、
「よさねえか…そいつは、俺の息子だ。お前こそ、口を慎みな!」
「す、すいません…」
そのいかつい男を、詫びさせたのだった。
「俺は…今、ヤクザ者を集めて組長をやっている…あの時は、俺も下っ端で色々と面倒なことがあったからな。まあ、しょうがねえと思えよ」
「お、俺の親父が、ヤクザの組長だと…」
衝撃の事実を知った晴翔が、途方に暮れると、
「俺もお前が生きていることを知って、驚いているところだ。いつの間にか、こんなに大きくなってしまっているしよ」
組長は、大きく高笑いした。
「今更、何の用だよ…」
「お前は、俺の子だ。俺のところへ来い」
「俺を跡継ぎにでも、しようってことか?」
彼の問いかけに、組長が首を振ると、
「違うな…今じゃ、俺にも新しい家族がいるんでな。俺は、お前を憐れんで、俺の組の一員にしてやろうと考えているわけだ」
晴翔は、再び眉間にしわを寄せた。
「断る…」
「なんだと…親の言うことが、聞けんのか」
その答えに、組長は声を荒げ、
「今、志高で、野球をやっているんだ…俺は、それを自分の生きる道だと思っている…だから、お前に憐れんでもらう気は、さらさらないぜ」
その話に、大きく笑い、
「わはははは…野球を自分の道だとは、ガキの考えそうなことだな。片腹が痛いぜ」
「人が必死になってやっているのに、バカにするんじゃねえよ」
「いや、お前はバカだ…面白すぎる!」
そう言い放った。そして、
「だが、その一本気なところが気に入ったぜ…ごちゃごちゃと、ごたくを並べてないで、さっさと俺の組に入りな」
誘ったが、晴翔は首を振り、
「これ以上、話しても無駄だな…帰らせてもらうぜ」
さっさと歩き始めたのであった…
「貴様…なめてんのか!」
彼の態度に、連れの男の一人が怒鳴ると、
「構わん…行かせてやれ…」
「しかし…」
「なかなか強情そうな奴だ。そう簡単にはいかんだろう…ならば、別の手を打つまでだ…」
組長は、息子の後姿を見ながら、ニヤリと笑ったのだった…




