第二十一話
そして、勉が通う塾の全体試験は行われたのだった…
「あれだけ、がんばったんだから、奴を抜いてトップに立てたはずだ」
成績発表の当日、勉は緊張した面持ちで、塾にたどり着くと、
「よう…遅かったじゃないか」
彼よりも早く塾へ到着していた野口は、ニヤニヤしながら、そう声を掛けてきた。
「お…おう…」
勉は、余裕をかます彼の態度に、嫌な予感を感じながら、
「ちょっと、どいてくれ…」
掲示板に貼られた成績順位表を見ると、残念なことに野口が1位で、自分は2位となっていたのだった。
「ふっ…お前が、全体で2位の成績とは、驚きものだな。それについては、褒めてやるよ」
野口が、そう言って、鼻で笑うと、
「そんな…」
勉は、がっくりと肩を落としたのであった…
その夜、塾から帰った勉は、食卓の上がご馳走であふれていることに気付いた。
「な…なんだよ、これ…」
勉が目を丸くしていると、台所から彼の母・二ノ宮英子が満面の笑みで、彼を出迎えたのであった。
「おかえりなさい…ほんとに、よくがんばったわね」
「なんのことだよ?」
彼が、聞き返すと、
「塾の先生から電話があったのよ。勉が、全体試験で2位の成績を取ったって…だから、今日はそのお祝いよ」
母は、嬉しそうに、そう答えた。
「そ…そうだったんだ…」
勉が、そうこぼした時、奥の方から彼の父が、ゆっくりと現れた。
「うむ、ご苦労だったな。母さんが一生懸命作ってくれたんだ。さあ、冷めないうちに早く食べなさい」
「う…うん…」
彼が、勧められるままに椅子へ座ると、
「しかし、大したものだぞ、2位と言う成績は…これなら、一流大学への受験は問題ないだろう」
父は、機嫌よく、ビールをぐいっと飲んだ。
「でも、僕は結局、目標としていた男の成績を破ることができなかったんだ…だから、何だかあまり良い気分になれないよ」
勉の話に、
「うむ、頼もしい限りだな…がんばって、1位を目指しなさい」
彼は、大きく頷いた。
「でも、例え1位になっても、結局気は晴れないような気がするんだ」
「どう言うことだ?」
その一言に、父は聞き返すと、
「父さん…やっぱり、僕は野球がやりたいよ」
それを聞いて、急に不機嫌になった。
「何を言っているのだ。今回の試験で、お前の能力が証明されたのだぞ。折角、それだけの実力をもっていると言うのに、それを無駄にするつもりなのか?」
さらに、問いかけると、
「確かに野球は、将来、何の役にも立たないかもしれない…でも、今、僕がやりたいことは野球なんだ。大切な仲間たちと一緒に、甲子園を目指したいんだよ」
「バカなことを言うな!」
怒りのあまり、テーブルをドンと叩いた。
「学生は、学業が本業だと何度も言わせるな…そんな甘いことを言っていたら、すぐに出し抜かれて、みじめな人生になるのはお前なんだぞ」
父が、そう声を荒げると、勉はじわっと涙を浮かべ、
「父さんには、わからないよ…僕の気持ちなんて…」
「なんだと!」
ふいに立ち上がり、
「このわからずや!」
そう声を発して、家を飛び出していった。すると、
「ちょっと、勉!」
母が、止めようと追いかけようとしたが、
「追いかけなくてもいい…どうせ、気が収まったら、すぐに戻ってくる」
機嫌を損ねた父は、そう言うと、ぐびぐびとビールをあおったのだった。
「なんでだよ…なんで、野球をやったらいけないんだよ」
勉は、そう叫びながら、町内を走り続けた。と、その時、帰宅途中で、その光景を目撃した晴翔は、
「二ノ宮…」
一抹の不安を覚えたのであった…
次の日の朝…
晴翔は、いつものように朝練をするため、孤児院から出ると、
「さあ、今日もがんばるぞ!」
大きく背伸びした。と、ふと昨晩の光景が思い起こされると、
「そういや、二ノ宮の奴…大丈夫なのかな…」
彼は、立ち止まり、
「ちょっと、奴の家に寄ってみるか」
いつもの通学路から反れて、勉の家へ向かったのだった。
晴翔は、勉の家に着くやいなやテレビ付きインターホンを鳴らした。すると、
「誰だ…こんな早くから」
インターホン越しに、彼の父は不機嫌そうに、そう声を発した。そして、
「二ノ宮の友人の虎頭です。二ノ宮くんは、いますか?」
と、彼が聞くと、
「君は、野球部だな。勉は、もう野球など、する気はない…とっとと帰ってくれ!」
父は、怒鳴り散らしてインターホンを切ったのだった。
「ちっ…何なんだよ、あのガンコ親父は!」
晴翔は、そう愚痴ってから、家の二階を見上げると、二階の窓から勉が顔を出した。
「なんの騒ぎかと思えば、虎頭だったのか」
彼の顔を拝んだ晴翔は、ニカッと笑って、
「おう、おはよう…寝ているところを、起こして悪かったな!」
そう声をかけたが、
「今から朝練かい…僕の分まで、がんばってくれよ!」
「僕の分までってか…」
その言葉を聞いて、少し寂しさを覚えた。すると、
「そうだ…」
何かを思い立った彼は、おもむろに野球ボールをバックから取り出し、
「かくかく、しかじか…と…」
マジックペンで、何かを書き始めた。
「何をやってんだ…あいつ?」
勉は、不審そうな顔をして、晴翔を見つめた。そして、少し経ってから、晴翔がそれを書き終えると、
「二ノ宮、俺のメッセージだ…受け取ってくれ!」
二階の窓を目がけてボールを投げたのだった。
「おっと…」
勉は、よろめきながら、そのボールを受け取り、
「何だよ。藪から棒に…」
ぶつぶつと言いながら、書かれたメッセージを読むと、そこには、“一緒に野球やろうぜ!”と、書かれていたのであった。
「虎頭…」
勉は、思わず心を熱くし、ボールを強く握りしめた。と、突然、彼の部屋に、父がなだれ込み、
「何をやっているんだ…勉!」
そう声を荒げたのだった。すると、
「父さん…」
勉は、父の剣幕に怯むことなく、向き合ったのであった。
「どうなったんだ…親父さんが、奴の部屋に入り込んでから、急に静かになっちまったが…」
晴翔は、そう口にして、勉の身を案じていると、ふいに玄関のドアが開いた。そして、練習着姿の彼がバックを担いで現れ、
「よう、おまたせ…」
笑顔を見せたのだった。
「おお、二ノ宮…その格好は、もしかして…」
「説得は、大成功だ…ありがとな、虎頭!」
勉が、親指を立てると、
「そうか…じゃあ、朝練いくぞ。そんでもって、完全に遅刻しているから、全力疾走するぜ!」
晴翔は、学校の方へと指差した。そして、
「合点だ!」
二人は、疾風のごとく駆けていった。
「いい友達をもったものだな…勉…」
父は、玄関から二人の姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしたのだった。そして、世の中の競争社会にもまれている内に、無くしてしまった大切なものを、再び見つけたような気がしたのであった。




