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Early Days  作者: Hirotsugu Ko
本編
20/30

第十九話

 そして、月日は流れた…

「しかし、がんばっているな、サトイチもよう…だいぶ、料理の腕は上がったんじゃないのか?」

 午後の授業の終わりに、晴翔は一郎に声を掛けてきた。

「いやいや…まだ、皿洗いとか環境整備とかやっている段階だよ。料理の世界は、下済みから、しっかりやらないといけないからな」

 一郎は、さらりと答えると、

「でも、包丁ぐらいは、握らせてくれるんだろ?」

 晴翔の問いかけに、

「まあ、切ったり刻んだりは、毎日やっているよ。包丁さばきは、料理の基本だからな」

 生き生きとした目をした。

「そう、そう…何にしても、基本が大事だからな」

 晴翔が、チラリと時計を見て、

「おっと、もうこんな時間だ…早く、練習に行かないと…」

 カバンを手に持つと、

「じゃあ、またな…」

「おう!」

 駆け足で教室を去って行き、

「がんばっているな。奴も…」

 それを見て彼は、小さく笑ったのだった。


「うむ。だいぶ、板についてきたようだな」

 調理場で一郎の包丁さばきを見た大将が、ニヤリと笑うと、

「ありがとうございます!」

 一郎は、そう言って礼をした。すると、

「そうだな…そろそろ、簡単なところから調理の方を教えていくかのう」

「ほんとうですか!」

 大将の言葉に思わず唸り、

「お前は、なかなか筋がいい…さらに励めよ」

「はい!」

 大きく返事をしたのだった。

「良かったな…親父から太鼓判押されるなんて、なかなか無いことだぜ」

 三好が、一郎の肩をポンと叩くと、

「ついに、調理ができる…」

 彼は、興奮した面持ちで、拳をぎゅっと握ったのであった。


 そして、夜も更けて閉店となり、一郎は一人家路へと向かっていた。

「だんだん、軌道に乗ってきた感じがするぜ…この調子で、明日もがんばるぞ」

 そう喜びを噛みしめながら歩いていると、前方から晴翔たちとばったり出くわし、

「おう…今日は、やけに遅いじゃねえか」

「お前こそ、こんな時間まで、練習していたのかよ」

 突然のことに、一郎は目を丸くした。

「明日は、交流試合なんだ。みんな、熱を入れてがんばっているところなんだよ」

 晴翔と一緒だった玄奘が、にこやかに言うと、

「そうか…みんな、がんばっているんだな」

 一郎は、穏やかな目で晴翔を見つめた。すると、

「何を言っているんだよ。そう言うお前こそ、めちゃめちゃがんばっているじゃねえか」

 晴翔は、彼の肩を叩き、

「目指すものは違うけど、陰ながら応援しているからよ。めげずに続けろよ」

 笑顔を見せたのだった。

「ああ…」

 一郎が、そう短く返事をすると、

「それじゃ、おつかれ!」

 彼は、そう言って、玄奘たちを連れて、その場を去っていったのであった。

「ほんと、気持ちのいい奴らだぜ」

 一郎は、ため息をつくと、

「俺も、あんな風に野球をやっていたかったなあ…」

 と、こぼしたが…その瞬間、ぶるんぶるんと首を横に振り、

「いかん、いかん…俺は、料理人になるんだった。野球なんか、やってられないぜ」

 頬っぺたをピシャピシャと叩いたのだった…


 次の日の放課後のこと…

「さあ、今日も修行だ…がんばろうぜ」

「はい!」

 一郎は、三好と共に学校を出ようとした。と、その時、三好はグランドに一本のバットが転がっているのを目撃し、

「まったく…大事な物を、こんなところに放っているんじゃねえよ。バカ球児どもが…」

「ほんと、そうですよね…」

 あきれた顔をした。すると、一郎は、そのバットを手に取って、じっと眺めた。そして、

「汚いな…どれだけ、練習しているんだか」

 そうぼやいてから、ぎゅっとバットを握りしめると、

「こんなとこに置いていると、俺がもらっていくぞ」

 おもむろに、素振りを始めた。

「ははは…まだまだ、カンは鈍ってなさそうだな」

 三好は、笑いながら一郎を冷やかした。しかし、彼はその冷やかしを余所に、何かに憑りつかれたようにバットを振り始めたのだった。

「おい、おい…」

 三好は、一郎を止めようとしたが、

「お前は、まだ野球を捨て切れていないんだな」

 優しい目で、彼を見つめたのであった。


 その日の一郎は、調理場で大将に怒られっぱなしだった。

「何度言ったら、わかるんだ…大きさが、全部まばらじゃないか」

「す、すみません…」

「謝ることは、誰でもできる…しっかりせえ!」

 大将は、そう怒鳴って見据えると、彼に仕込みを続けさせたのだった。と、その時、一郎の包丁さばきに、問題があることに気付いた。そして、

「おい、包丁が震えているぞ…何か、迷いでもあるのか?」

 そう問いかけると、彼は作業をピタリと止めてしまった。

「佐戸…」

 三好が、一郎を不安そうな目で見つめると、

「何か迷いがあるならば、その一切を捨てろ…でないと、一流の料理人にはなれんぞ」

 大将の目は、さらに厳しさを増した。すると、

「…」

 一郎は、ついに目をつぶってしまった。それを見た大将は、ふうっとため息をつき、

「やれやれ…まあ、仕方がないか…まだ、高校1年生なんだからな」

 怖い顔を崩した。

「お前、他にやりたいことがあるんだろ?」

「えっ…」

 彼は、躊躇した。

「しかも、何をやったらいいのか、どうしたらいいのか、全くわからなくなって、混乱してやがるな…まあ、若い時は、誰でもそんなものだ」

「…」

 その様子を見ながら大将は、

「もういっぺん、じっくり自分と向き合って考えてみな。自分は、本当は何をやりたいのかを…その答えが、料理なんだったら、いつでも受け入れてやるよ。でも、違うんだったら、それはお前のやりたいようにやればいい…」

 と、言うと、一郎はうつむき、

「俺…そのやりたかったことを、一度捨ててしまったんだ…もう、今更そこへは戻れないよ」

 そう弱音を吐いた。すると、

「逃げるじゃない!」

 大将は、ふいに一喝したのだった。

「若い時は、きりがないくらい失敗しろ…ゼロからスタートしているんだから、迷ったり、失敗したりすることなんて、当たり前なんだからな」

「お、親父…」

 三好は、父の言葉に思わず目を細めた。

「ボロボロの雑巾になっても…例えみじめになっても、本当の自分を見つけることに手を抜くな…そうやって、行動を起こしていくことこそが、一番大事なんだぞ。それに、その経験は、大人になってから長い人生を生きていく上で、大きな力となり、活きてくることになるのだからな」

 大将の話に、一郎は涙を流し、

「はい…」

 そう小さく返事した。

「がんばれよ、坊主…決して、くじけるんじゃないぞ」

 大将は、そう言うと、彼の肩をポンと叩いたのであった…


 次の日のこと…

「さあ、今日も練習すっぞ!」

 晴翔は、そう言って、部室のドアを開けると、なんと目の前に一郎が練習着に着替えて立っていたのであった。

「あ、あれえ…どったの、サトイチ?」

「どったのじゃねえよ…遅えよ、お前!」

 彼の発言に、晴翔は目をパチクリした。その様子を見て、一郎が少し照れくさそうな顔をして、

「また、野球やることになった…ヨロシクな!」

 そう発すると、

「しゃあねえな…」

 晴翔は、頭をかきながら、そう答えた。そして、彼らは、再びお互いの顔を見合わせると、大きな声をあげて笑い出したのだった。

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