第十八話
鍋島たちが引退してから、数週間が経ったある日の午後のこと…
「ようやく、午前の授業が終わったぜ。さあ、めし食うぞ。サトイチ」
晴翔が、そう言って、カバンの中から弁当を取り出して背後へ振り返ると、
「おっしゃ…俺も食うぞ」
彼の後ろの席に座っていた一郎も、続けざまに弁当を取り出した。ちなみに、“サトイチ”は、佐戸一郎のあだ名である。
「おっ…相変わらず、うまそうな弁当だな。ほんと、サトイチは料理の天才だよな」
晴翔は、一郎の弁当の盛り付けを見て、よだれを垂らすと、
「こういった弁当も、盛り付け具合で、だいぶ変わるからな」
「へへ…頂き!」
おもむろに箸を伸ばして、彼の弁当から鶏の唐揚げをくすねて、食べてしまった。すると、
「おい、てめえ…手間暇かけて作った俺の唐揚げくんを横取りしてんじゃねえよ」
その行為に対して、一郎が思わず怒鳴ったが、
「うん…こりゃ、うめえ…味付けも抜群だな。まるで、プロのシェフが作った弁当みたいだぜ」
そんな彼の様子を余所に、彼は、その美味い唐揚げに大感動した。一郎の家は両親が共働きしており、幼い頃から一人で留守番することが多かったため、自然に自分で料理をするようになり、そこから料理に対して興味が芽生えていった。そして、毎日、遅くまで働く両親のために腕を振るって料理を作るようになり、その絶妙な味付けに対して絶賛されたことも多々あるようだ…
「まあな…料理するのが好きなんで、暇さえあれば料理ばっかしているからな。将来は、料理人にでもなろうかと思っているぐらいだ。なんてな…」
その評価に、一郎がドヤ顔をすると、
「おう…お前なら、いっぱしの料理人になれるぜ。間違いない!?」
「昔、どこかで聞いたようなギャグをかましてんじゃねえよ。この時代錯誤野郎が!」
「てめえ…折角、褒めてやってんのに…何だ、その言い方は!」
「うるせえよ。人の唐揚げを食っておいて文句垂れているんじゃねえ」
「そんな唐揚げ1個くらいで…ほんと、お前は執念深い奴だな…」
相も変わらずふざけ合い、どつき合いながら、にぎやかに昼食を取ったのであった…
昼食後、一郎は、便所で用を足していた。
「もうすぐ、午後の授業か…もっと休憩時間が欲しいぜ」
彼は、ぶつぶつ文句を言いながら、蛇口をひねって手を洗おうとした。と、その時、背後から何者かが声を掛けてきた。
「よう…久しぶりだな」
「み、三好先輩…」
中学時代に野球部でお世話になった1コ上の先輩である三好慶司の姿を見た一郎は、思わず笑顔になった。
「相変わらず、野球やっているようだな」
「ええ…趣味、野球ですから…」
「そうか…それは、何よりだな」
と、一郎は、ふと疑問に思っていたことを彼にぶつけた。
「三好先輩は、野球やらないんですか?」
その問いかけに、三好は苦笑いした。
「俺は、親父のやっている料亭を継ぐことにしたんだ。今は、そこで猛特訓している最中ってわけさ。まあ、高校にでもなったら、少しは将来のことも考えないとな」
「そうだったんですか」
その答えに、一郎は軽く頷くと、
「そういや、お前も料理人になりたいとか言っていたな…だったら、俺の親父の店に弟子入りしたら、どうだ?」
「えっ?」
三好の急な話に困惑し、
「心配するな…俺が、親父にちゃんと話をつけてやるからよ」
思わずうつむいた。そして、
「でも…今、俺は野球をやっているから、料理人の修行と同時進行はできないですよ」
「確かに、お前が野球好きなのはわかる…しかし、お前も将来のことを、そろそろ考えた方が良い時期なんじゃねえのか?」
ついに考え込んでしまったのだった。
「まあ、急ぐ話じゃないから、そんなに深刻な顔をするな…返事はいつでもいいからよ」
三好が、そう言って、トイレを出て行くと、
「将来か…」
後に残された一郎は、ふと、そう小さくつぶやいたのであった。
そして、数日後…
一郎は、職員室へ向かい、野球部の顧問の先生に話を切り出した。
「何っ…野球部を止めたいだと」
その突然の申し出に、先生は困惑した。
「はい。俺、プロの料理人になりたいんです。料理の修行をして、一日でも早く調理場に立てるようにがんばりたいと思っているんです」
「だからと言って、急にまた、そんなことを…」
こうして、一郎と先生の間で、しばらく問答が続いたが、彼の真摯な眼差しに、先生は考えた末、
「どうやら、本気のようだな。だったら、仕方がない…お前が決めた人生だからな。先生は、逆に応援するぞ」
そう言って、笑顔を見せた。
「ありがとうございます!」
彼の了解を得た一郎は、一礼すると、颯爽と職員室を出ていったのであった。その様子を見ていた他の教員が、その先生に近づき、
「いいのかね…そんなに、あっさりと許可して…」
問いかけると、
「あの目は、覚悟を決めた目でしたよ。生徒が、やる気を出して何かやろうとしているんです。暖かく見守ってやるべきでしょう…それに…」
「それに?」
「高校生の時は、とにかく悩んで悩んで悩み抜いた方がいいと思っています。それが、自分に対して、確かな道となっていくのですから…失敗を恐れず、どんどん色んなことにチャレンジしてもらいたいと考えておりますよ」
と、彼は話した…
一郎の退部の話は、すぐさま晴翔の耳に入った。
「な、何っ…サトイチが辞めただと」
あまりのことに、彼は動転し、
「そうなんだ…さっき、先生から聞いたよ」
「何を考えてんだ…あいつは!」
憤慨した。そして、
「彼もよくよく考えた上のことだろうと思う…こればかりは、仕方がないよ」
「でもよう…」
煮え切らない気持ちで、一杯になったが、
「私たちの仲間が、覚悟してやろうと決めたことだ…私は、むしろ彼を、応援したいと思っているよ」
ポリポリと頭をかき、
「そう言うもんかな…あんまし、納得いかねえんだけどよ」
ため息をついたのであった。
その頃、一郎は、三好の父が営む料亭に足を運んでいた。そこは、地元の会社の重役さんたちが良く使う高級料亭で、四季折々の食材を使った料理を出すことで有名であり、テレビ番組で紹介されたほどだ。そんな敷居の高い名店の調理場に入った一郎は、思わず足がすくんだが、前々から興味があった世界だけに、逆に心を躍らせると、
「これからは、ここで、お世話になります。宜しく、お願いします」
割れんばかりの声で、元気よく挨拶した。その様子に、
「おう、がんばれよ…坊主!」
調理場の板さんたちは、一斉に拍手して歓迎の意を示した。
「まあ、そう固くなるなって…もっと気楽にやろうぜ」
三好が、そう発言すると、背後から彼の父である三好利通が大きく声をあげ、
「こらあ、慶司…お前もまだ、料理人を目指す弟子の身だろうが…料理の世界を甘く考えるじゃねえ」
「す、すいません…」
その一喝に、彼はすぐに頭を下げた。
「この通り、うちの愚息はこんな調子だからな…何かあったら、君からも言ってくれよ」
「ははは…そんな…」
一郎は、思わず苦笑いすると、
「まあ、さっきも言ったように、料理人の道はそんなに甘いもんじゃないからな。心して、修行してくれよ。いいな…」
「はい。がんばります!」
威勢よく答えて、大きく頭を下げたのであった…




