第十六話
そして、試合は3回の表へと移った…
「取られた点は、取り返すまでだぜ」
東亜工業高校の9番バッター・城山が、ゆっくりとバットを構えると、
「いくぜ、城山!」
藤次は、大きく振りかぶって、第一球目を放った。
「ストライーク!」
「少しは、球速が上がったようだな」
それを見て、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「城山は、私たちをよく知っている男だ。慎重にいくぞ」
玄奘がサインを出すと、
「了解…」
藤次は、指示通りの球を放った。
「やはり、フォークできたか」
だが、城山は微動だにせずに、それを見逃すと、
「ボール…」
ワンバウンドしたボールに、主審は、そう声を発したのだった。
「よく見やがったな」
藤次は、小さく笑いながら返球を受けた。
「ふっふっふ…どうやら、まだ気づいて無いようだぜ…ならば、このまま待ち戦法といくか」
そう心の中で、城山はほくそ笑むと、この回の打席をフォアボールで進塁したのだった。
「ちっ…いきなり、1塁をやっちまったか」
「ドンマイ、ドンマイ…」
悔しがる藤次を見て、玄奘が声を掛けていると、おもむろに城山はベンチに向かって“OK”サインを出した。それを見て、
「ふっ…どうやら、俺の考えた作戦がいけそうな感じだぜ」
別駕は、にんまりと笑顔で返した。
「しかし、お前もよく気が付いたな…奴のフォークが、落ちすぎる傾向にあるから、それらは全て捨てて、ボールのカウントを稼ぐなんて…」
「ふはははは…見たか、この俺様のID野球を…この調子でいけば、押し出しのフォアボールだってあり得るぜ」
谷口の称賛に、別駕は、得意満面に大きく笑った。すると、この読みは見事に当たり、1番の服部、2番の四葉もフォアボールで出塁することとなり、試合の展開をノーアウト満塁へと導いたのだった。
「くそ…何で、こんなに球が、入らなくなっちまったんだ?」
困惑する藤次に、
「わっはっはっは…お前は、既に死んでいる」
別駕が、口汚く挑発すると、
「おのれ、この下衆が!」
藤次は、頭に血を登らせながら、ボールを立て続けに投げたのだった。そのため、制球はさらに乱れて、直球まで入らなくなり、
「フォアボール…」
「クソが!」
その押し出しの判定に、イライラが頂点にまで達した藤次は、思わずマウンドを蹴りあげたのだった。
「落ち着け…藤次…」
「ああ、何でだ…何で、ストライクにならねえんだよ」
マウンドに駆け寄った玄奘に、藤次が当たっていると、
「痴話喧嘩か…情けない野郎たちだぜ」
4番の谷口が、バッターボックスでニヤリと笑った。
「ちっ!」
藤次が、そう吐き捨てるように舌打ちすると、
「とにかく、冷静になれ。いいな…」
玄奘は、そう声を掛けて、ポジションに帰っていったのだった。
「おい、知っているか…谷口の武勇伝を…」
東亜工業高校ベンチで、川崎が話すと、
「ああ…確か、奴は小学生の頃から、フェンス越えの場外弾を放っていたって話だろ…よく考えたら、末恐ろしい奴だぜ」
それを聞いて、城山は、思わず苦笑いした。
「舐めてんじゃねえぞ、この野郎!」
激しくいきり立ちながら、藤次がボールを投げ、
「ど、ど真ん中に…バ、バカな…」
やってくる球質を見て、玄奘が愕然とすると、
「ゴー、トゥ、ヘブン!」
谷口は、容赦なくボールを弾き返し、空高く舞い上がらせた。そして、ボールは、みるみるうちに小さくなっていき、フェンスを軽々と越えて消え失せてしまったのだった。
「ああ、嘘だろ…おい!」
それを見て、晴翔は頭を抱えながら叫ぶと、
「や、やられた…」
藤次は、がっくりと膝から落ちたのであった。
「これで、6-6の同点か…あっと言う間に、追いつかれちまったな」
マウンド上に集まっていた大志高校野球部たちは、スコアボードを見ながら、大きく落胆した。と、その時、
「今まで見てきて、思ったのだが…」
その沈黙を破って、玄奘が口を開け、
「どうも、奴らは、藤次のフォークを全て見逃す腹のようだ…球が落ちすぎるため、振ってくれれば空振りを取れるが、振らなければ当然の如くボールになるからな」
そう述べると、
「と、言うことは…そうやって、フォアボールの山を築かせ、ちょこちょこと点を取っていこうってことなのかよ…き、きたねえ!」
それを聞いた将人が、いきり立ち、
「まさか、落ちすぎるフォークが、仇になっていたとは…」
藤次は、苦虫を噛み潰すかのような顔をした。
「とにかく、これからはフォークを控えて、直球で勝負していこう…藤次の制球力をもってすれば、縦や横にと変幻自在にコースを突くことができるはずだからな」
「わかった…緩急もつけて、奴らの汚い根性を叩いてやるぜ」
玄奘の話に藤次は、そう力強く答えると、大志高校野球部たちは、再び各自のポジションへと散っていったのだった。
「長い井戸端会議だったな」
5番打者の猿谷が皮肉を言うと、
「ぬかせ…そのへらず口を永久に閉じさせてやるぜ」
藤次は、大きく振りかぶって、威勢よく投げた。
「ストライーク!」
「よし、この調子でいくぞ」
玄奘が、そう声を掛けながら、返球すると、
「そうだよな…フォークがなくても、直球だけで十分だぜ」
藤次は、直球を連発させて、猿谷を三振させたのだった。
「どうやら、方針が変わったみたいだな」
それを見て、6番の市川は、顎をしゃくると、
「ならば、ヒッティングで勝負してやる」
甘く入った藤次の球を流し、ライト前ヒットで出塁したのであった。
「ぎゃはははは…ノーコン、ノーコン…ピッチャーは、まだ乱調モード継続中だぜ」
ベンチから、別駕が大いにヤジったが、
「あんなヤジなど、気にすることはない…次で、ゲッツーを取っていこう」
「ああ、任せておけ…」
玄奘は、彼の精神状態を気遣い、すぐさまフォローした。だが、
「ふっ…ならば、手堅くいくか」
7番の福造のセーフティバントを食らい、瞬く間にツーアウト2塁とされてしまったのだった。しかし、玄奘は、その展開に負けまいと、
「ツーアウト!」
と、声を上げ、味方の士気を高めようとした。すると、大志高校野球部たちは、それに呼応して同じように声を上げていき、彼らの心は一つに纏まっていったのであった。
「奴は、キャプテンに打ってつけだな」
その光景を見て、鍋島は、おもむろに小さく笑った。
「ふっ…フォークが無いとわかれば、球種を絞ることは容易い。ここで、逆転してやるぜ」
8番の川崎が、ヘルメットを深くかぶって打席に立つと、
「そうは、問屋が卸さないぜ」
怯むことなく、藤次は、第一球目を放った。
「うおりゃあ!」
そのボールに対して、川崎はフルスイングでとらえると、大きく引っ張り、ダイレクトでレフト側のフェンスにぶつけた。
「よっしゃあ…回れ、回れ!」
東亜工業高校のベンチが、そう沸き立つと、2塁にいた福造は3塁ベースを蹴って、一気にホームへと駆け込もうとした。
「バックホームだ!」
「合点承知の助!」
玄奘の大声に、晴翔はボールを掴むと、渾身の力を込めてホームに投げ返した。すると、ボールは光の矢の如くライナーで飛んでいき、福造を追い越して、玄奘のキャッチャーミットに収まったのだった。
「やべえ!」
それを見て、彼はすぐに引き返そうとしたが挟まれてしまい、とうとうアウトになってしまった。
「スリーアウト、チェンジ!」
「何て、肩をしてやがるんだ。あいつは…」
別駕は、あっけに取られたが、
「よし…でかしたぞ、虎頭!」
晴翔のレーザービームで、逆転の危機を乗り越えた大志高校野球部たちは、彼を大いに称賛したのだった。
そして、試合は未熟な1年生たちならではの展開となり、両校がミスを交互に繰り返し、激しい点の取り合いとなったのであった…だが、両校は汗と泥にまみれ、必死にもがき苦しみながら、中学野球から高校野球の壁を越えようとがんばったのだった。こうして、両校の得点は、20-20のイーブンとなり、ついに9回表を迎えたのである…
「しかし、ひでえ試合だな…もっとましな試合はできないのかよ」
鍋島は、思わず苦笑いすると、
「ただ、この泥試合の経験は、彼らが高校野球に臨むにあたって、どうあるべきなのかを考えさせる良い機会になるだろうな」
と、考えたのだった。
「はあ、はあ…ぜえ、ぜえ…」
藤次は、マウンド上で息を切らしていた。球数でいけば、200球近くになっていたため、当然と言えば当然であるが…
「すまんな、烏丸…打撃においても、守備においても俺たちのミスが無ければ、ここまでお前を苦しめることにはならなかったはずだ」
晴翔は、肩で息をしている藤次を見るに堪えられず、
「まだまだ、俺たちは修行が足りなさ過ぎるぜ…もっと、練習しないとな…いや、何のために練習するのか…そして、どうやったら上達をするのかを考えなくちゃな」
目を反らしたのだった。
「打順は、1番の服部からか…油断は禁物だぞ」
玄奘の真剣な眼差しに、藤次はこくりと頷くと、歯を食いしばって第一球目を投げた。すると、服部は、無我夢中でボールをとらえ、それを思い切り引っ張ったのであった。
「くおっ!」
ライナーで三遊間を抜けようとした打球に、一郎は、懸命にグラブを伸ばしたが、あと一歩及ばなかった。
「よし…抜けるぞ!」
別駕が、ベンチから立ち上がった時、晴翔は、必死の形相で外野より前進してきた。そして、
「そう簡単に、ヒットにさせるかよ」
…ズザッ!!!
大きくジャンプして、
…パシッ!!!
その打球をキャッチした。
「アウト!」
「な、何っ…あの打球を取っただと」
谷口は、彼のファインプレーに、思わず大声をあげた。それを余所に、
「サンキュ…助かったぜ」
藤次は、晴翔に感謝の言葉を送ったのだった。
「ふっ…どうやら、こんな試合の中でも、奴らは貪欲に成長し続けているようだな」
鍋島は、晴翔のファインプレーだけでなく、彼がワンバウンドで取った場合に送球のフォローをしようと、近くまで走ってきた通や彼が取り損ねた場合に、すぐボールを捕球できるよう背後へまわった小平太たちの動きを見て、そう評価したのであった。
「みんなのがんばりは、決して無駄にはしないぜ」
勇気付けられた藤次が、続く2番打者の四葉をあえなく三振させると、
「けっ…野球は、ツーアウトからなんだよ」
別駕は、そう言い捨てて、打席に入った。
「最後の最後まで、へらず口な野郎だぜ」
藤次が、大きく振りかぶって、第一球目を投げると、
「しゃあっ!」
別駕は、それをフルスイングで応戦し、はじき返した。そして、打球は、空高く舞い上がり、ぐんぐんと飛距離を伸ばしていったのだった。
「まずい…」
玄奘は、思わず立ち上がり、マスクをはぎ取った。と、その時、彼の目に、その打球を懸命に追う男の姿が映った。
「まだ、あきらめるには早すぎるぜ」
晴翔は、フェンスに到達すると、
…ガチャガチャ!!!
それをよじ登り、
「ホームランにさせてたまるか」
その頂点に達すると、懸命にグラブを伸ばした。すると、打球は、グラブに吸い込まれるかのように、その中へ収まったのであった。
「アウト!」
「やった…すごいぞ、虎頭!」
玄奘が、思わず声を上げると、
「あれを取っただと…信じられん…」
別駕は、その一部始終を見て、がっくりと膝を落としたのだった。
「最後まで勝負をあきらめない不屈の闘志…彼らは、技術だけでなく、精神面でも、絶えず成長を続けているのだな」
その気迫に満ちたプレーに、鍋島は心を打たれ、
「いいぞ…彼らは、きっと良いチームを築きあげてくれる」
そう確信したのであった。




