愛の蜃気楼
わたしの名前は、リラン。
帝国の皇妃らしい。
というのは、何も覚えていないから。
とても 悲しいことがあって 心が壊れてしまったみたい。
誰も 何があったのかは、教えてくれないの。
あまりに 複雑すぎるから そう簡単に 口に出すことができないんだって
「こんなところにいたのか、リラン」
振り返る先に立っているのは、わたしの夫だという人。
この帝国のトップである 皇帝陛下なんだって。
本来なら 安易に こんな場所に来る時間があるはずがない。
でも 毎日のように 転移石を使って 彼は、この帝国の外れにある この屋敷を訪れる。
別に 彼を繋ぎとめようとは、思っていない。
でも 周囲の人々は、そう思っていた。
だから 毎日のように 皇帝から身を引いてほしいと 貴族達が、頭を下げにやってくる。
わたしの心に 皇帝に対する気持ちは、ない。
あるのは、この状況に対する 戸惑いだけ。
一体 何を思って わたしは、この国にやってきたのか。
だって わたしは、王族でも 貴族でもない ただの少数の民族の長の娘。
他のみんなと違って 何の取り柄もない。
どうして わたしが、選ばれたのか?
何があって わたしの心が壊れてしまったのかも わからない。
でも 確実に わかっていることが、あった。
それは―――――――
「リラン………ロランが、目が覚めて 君がいないと乳母を困らせていた」
「まぁ 申し訳ございません。すぐ 参ります」
わたしが、そう言うと 皇帝は、どこか 寂しそうな顔をしている。
まるで 構ってほしいかというように。
でも わたしは、振り返らない。
だって 心は、戻ったけれど 皇帝に対する 愛情は、何も残っていないのだから。
この場所に留まっているのは、あの子の存在があるから。
たとえ わたしが、政略結婚の為 この国に嫁いできたのだとしても 関係ない。
どうせ わたしの生まれ故郷は、とうに 焼け野原となってしまっているのだろうから。
侍女達の噂話によれば わたしの実家に当たる 民族は、この帝国に刃向ったことで 皆殺しにされたらしい。
でも わたしは、ロランの母だから 命だけは、取られなかった。
わたしの存在のせいで 泣いている 側室も多いと聞く。
でも 今は、ごめんなさい。
ロランが、わたしがいなくなっても 大丈夫になったら ここを出ていくから。
だから それまで 待っていてください。