↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
PR

洗面台の覇者

作者: 孑孑(ぼうふら)
掲載日:2026/07/24

熱帯夜の熱気に狂わされる夏、日常のすぐ隣には怪異の闇が潜んでいます。

これは、蒸し暑さに追われた一人の男が、蛇口の奥に潜む「何か」に侵食され、静かに消失するまでの記録。

深夜の静寂の中、どこからか聞こえる不穏な異音に、どうぞ耳を澄ませてお読みください

ジジジ……と、濡れたような蟬の羽音が洗面所を満たしていた。

真夏の深夜2時。エアコンのない廊下から踏み入れた洗面所は、蒸し風呂のように蒸せ返っている。

会社員の拓海(たくみ)は、蛇口を捻って冷水を手に掬い、顔をうずめた。

——カツン。

水流の音に混じって、硬い何かが陶器のボウルを叩く音が響く。

「……なんだ?」

顔を上げると、蛇口の根元に、体長10センチはあろうかという巨大な黒いカブトムシが鎮座していた。どこから侵入したのか、濡れた黒光りする甲殻が鏡のライトに光っている。

拓海は思わず息をのんだ。虫は大の苦手だ。

(逃がすか……いや、叩くか?)

迷う拓海をあざ笑うかのように、カブトムシは長い角をゆっくりと持ち上げた。

ジジ……ジジジジジッ!

突然、カブトムシの巨体から、鼓膜を刺すような高音の蟬しぐれが弾けた。虫の鳴き声ではない。まるで何千匹もの蟬の死骸をすり潰したような、不快で湿った「ノイズ」だ。

音の波に洗面所全体が共鳴し、壁のタイルが微細に震え出す。

「う、あ……っ!」

耳を押さえてうずくまる拓海の足元で、異変が起きていた。排水口の闇から、無数の黒い爪が這い出してくる。

(ここは……俺の場所だ)

脳内に直接届く、ねっとりとした声。

洗面台の「覇者」はカブトムシなどではなかった。夏という季節の「熱気」と「腐敗」と「湿り気」が凝縮し、形を成した怪異だったのだ。

ジジジジジジジジジジジッ!!!

破裂しそうな音量の中、鏡に映る拓海の顔から、目と口が消失していく。代わりに彼の顔面は、滑らかな黒い甲殻で覆われ始めていた。

冷たい水が、留まることなく洗面台からあふれ続けている。

翌朝、その家からは蝉の鳴き声だけが、いつまでも響いていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

蒸し暑い夏の夜、ふと耳に入る「水の音」。普段なら気にも留めない日常のすぐ隣にこそ、怪異は静かに潜んでいるのかもしれません。

今夜、喉の渇きを覚えて洗面所に向かう際は、どうか蛇口の奥を覗き込まないようお気をつけください。どこからか微かな「喉を鳴らす音」が聞こえてきたとしても、それは気のせいではないのですから――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。