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第二話「ビックお兄ちゃん」

これまでの登場人物


下谷(ゆたか) 25歳。独身。休職中。目の下にUSBポートを作られる。

下谷とき子 21歳。大学生。兄の目の下にUSBポートを作った。かわいい。

するすると優しく戸を開ける音がして、下谷家の長男、久幸(ひさゆき)がその姿を現した。


「あれ、とき子」

「あ、ビッグお兄ちゃん」

「どうしたの」

「ちょっと、私たち本来の姿に戻してあげようと思って」


久幸は分からない顔をした。

しかし理解しようという気も最早失せてしまっているので、その表情はポーズでしかなかった。

『お兄ちゃんはそれ分かんないよ。知ってると思うけど』

という意思表示、それ以上でもそれ以下でもない。


「私たち本来の姿って?」

「ああ、そこからか」


うざ。

久幸はごく単純にそう思った。


「私たちはね、本来体を持たない、意志そのものでしかない。情報生命体なんだよ」

「ふうん」

「わかる?」

「まあ説明しておいてもらってなんなんだけどさ、分かんないや」


久幸はかねてから感じていた。

ビッグお兄ちゃんって、なんや。


「豊はまだ寝てるか」

「いや、さっき起きたんだけどね、私が眠らせたの」

「どうして」

「だから、さっき説明したじゃん」

「説明したんだ」

「うん」

「朝ごはん、出来たよ」

「はーい」


スキップしながら階段を下りる後ろ姿は、出来すぎるぐらい出来た、明るい、良い妹だった。

しかしこの妹に、どこか手が届かないもどかしさを感じてしまう。

長男の責任感の強さは、こういう時裏目に出てしまうのだった。


「こいつがヤングお兄ちゃんで、俺がお兄ちゃんだろ……」


眠れる次男、豊の寝顔を見るともなく見ながら、久幸はつぶやいた。

その声というよりも、えも言えぬ雰囲気に気づいたとき子は、

階段の上、豊の部屋の前に仁王立ちする我が兄の方を振り返った。


「なに?」

「……いや、何も」


下谷久幸、30歳。独身。家族の事を大切に思う、一人の男。

県警の刑事、10年目。その仕事ぶりは、誠実。

しかし彼には、妹が全く分からない。

妹にプレゼント一つ買うのに、半日はデパートを歩き回らねばならない。


***


本日の朝食、キーマカレー。

そう、この一家は、朝からしっかりお腹がすくタイプばかりが揃っている。

匂い、関係ない。スーツに染み? 気を付ければつかないでしょ。

朝から用意が大変では? いや、別に。

世間の常識というものは、集団の平均的感覚でしかなく、

各家庭よって大なり小なりギャップがあるものだ。

この家では母と娘が理系で、父と長男、次男が文系であるように。


「お母さんごめん、朝ごはん済んでからにするべきだった」

「どうしたの」

「お兄ちゃんを、ちょっと私の実験台にしてみてるんだけど、あと132日と7時間は起きてこないの」


カチャカチャと食器の音、連続ドラマの俳優たちが必死に芝居をする声。

窓の外から、遠く車の行きすぎる音。子供たちの声。理想的な日本の朝。

今年の連続ドラマは大阪放送局製作のようで、関西小劇場俳優たちがテレビタレントの邪魔をしないよう、それでいて目を引くよう、お茶の間に伝わらない努力の跡いじらしく、必死に仕事をしている。

この家の父親は、その俳優たちの機微に気づくのか気づかないのか、テレビへ釘付けになっていた。

半面、母親は、言葉少なに語られた娘の不安を感じ取ったようであった。


「なるほどね。問題はファイルサイズなわけか」

「そうなのよ。構成から見直して考えてみたんだけどさ」

「お母さん一回見てみようか?」

「え、本当? ごめんね」

「いいよいいよ」


母は言いながら台所で軽く手を洗い、エプロンを肩から外し、軽く袖畳みにすると、

その細く、年齢を感じさせない白く美しい手をタオルで拭い、居間を出た。

と、顔だけ戻ってきて、


「お父さん、きょうの晩御飯何?」

「天ぷらそばにしようかと思ってるけど」

「お買い物は大丈夫?」

「うん。もう済ませてある」

「ありがとう」


――この家はうまくいっている。

久幸は我が家のことながらそう感じていた。

母は朝食、父は夕食を担当し、そのほか細やかな家事分担が適材適所に行き届いている。

豊が休職して家に閉じこもるまで、この家は経済的にも精神的にも非常に豊かな生活を送っていた。


「お兄ちゃん何か手伝うことある?」

「ない」


と、とき子。

孤独な首長竜が仲間を探すかのように、首を伸ばし振り返る兄を無視し、母と妹は行ってしまった。


「時間かかりそうだな」

「そうなの?」

「買い物のこと聞かれたからさ。朝ごはん中には戻って来れないんだろう」

親父(おやじ)、母さんのこと、どう思う」

「愛してるよ」


『おお、ちゃんとキモいな』

悲しいかな、久幸の日本人的感覚に照らして考えると、この感想が妥当だった。

久幸が妹に対して感じるもどかしさは、母に対しても同様で、

近頃さらに強く感じるようになったこのモヤモヤを父と共有しようとしたのだが、


「失敗だ」

「なにが」

「何でもない」


久幸はキーマカレーの上に乗った卵黄をやさしく潰した。

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