第一話「目の下にUSB」
下谷豊、25歳。
ガバリ、と起き上がる。
小奇麗に整った部屋。
カーテンは閉め切られ、まばらに光が差し込んでいる。
午前7時12分。
「あっちぇ~!」
額には、汗が滲んでいる。
暑かった。豊は怖い夢を見たのだ。
「くそ、嫌な夢を見た」
死刑宣告を受ける夢。
夢の不思議で、豊はそれが本当に身に起こるものと信じているから、
非常な恐ろしさを感じ、家族に助けを求める。
しかし、家族は、皆黙って視線を斜め下のテーブルクロスにむけ、無意味にその模様をなぞっている。
「あ、ああ、死ぬしかないのか、怖い、死ぬってなんだ、俺、今ここにいる俺が、無くなる、消滅するって、ことか、ああ、こここ、怖い、」
子供の頃、皆一度は経験する、漠然とした死への恐怖に、大人の想像力が加わって、その恐怖は何倍にもなって豊を襲った。
「すっごい嫌な夢だった」
「お兄ちゃんおはよう」
豊の妹であるとき子は21歳。大学4年生。
ガラリと無遠慮に戸を開けたその姿は、すでに外出の準備万端といった様子。
「はやいね」
「今日やることがあるからさ」
「ふうん」
とき子は戸を閉めると、ベットの上でまだ半分朦朧としている兄へ、そのくりくりとした大きな目を細め、柔らかな視線を向けた。
「お兄ちゃん、大丈夫だよ。人間は死んでも死後の世界へ行くことが出来るから」
「ん?」
「お兄ちゃん叫んでたからさ「死にたくない、ああ、いやん、ああん」って」
「感じてない? おれ」
とき子は、何も聞こえていないという風で、女子大生に似つかわしくない、無愛想な黒のPCバックを肩から降ろすと、おもむろにノートパソコンを取り出した。
「お兄ちゃん、死後の世界って、どんなところだと思う?」
「え、なんか、あの、白い、かんじの、かんじで、フワ~ってしてる」
「どうしてそう思うの?」
「え、なんか、見た」
「どこで」
「あの、なんか、ドラマとか、アニメとか」
「出典雑魚すぎるなあ。てめえみたいなやつが絶景見て「ジ〇リみたい」とか抜かすんだよ。例えられるジ〇リの身にもなってみろよ」
とき子は、なにか着々と準備を進めているが、豊にはそれが何なのか、なぜそれをそうしているのか、何一つ見当がつかなかった。
「お兄ちゃん。この世は意志によって形成されているの」
「とき子――」
「この世に存在するものは意志。それ以上でもそれ以下でもない。意志がすべてを形作り、意志によって息づいているの」
「とき子、お兄ちゃんちょっとモン〇ンやりたいから出てって――」
「裏を返せば、意志が望めばそれはあるという事。つまり死後の世界だって、存在するの」
「とき子、あの、あれか、なんか、怒ってる?」
「いいえ、興奮してる。今から私がやることに、フフ」
そう言いながらとき子の取った行動は、豊を困惑の沼の底へ叩き落した。
「えーと、このへん」
とき子は豊の体へ馬乗りになり、顔面を爪の先でカリカリ掻きだしたのだ。
「と、とき子! なんでお兄ちゃんの顔面を爪の先でカリカリ掻くんだ! こ、怖い! あと、あのあまり近づかないで、寝起きで、口が臭いから、や、いやん、やめて!」
「大丈夫気にしないから」
「ああ、臭いのはやっぱり臭いんだ! ああ、分からない! 妹が分からない! なんで、なんでこんなことに! 平日の朝から、なんでこんなことに! 俺が仕事を休職してモン〇ンばっかりやってるから!? こ、こんなことになるならモン〇ンしなきゃよかった、う、うわ~ん、CAPC〇Mめ~」
「あれ、どこだっけ」
「何が……?」
「Type-Cの挿し口」
「お、お兄ちゃんの顔面にUSBポートは無いよ……?」
「あるよ」
不意に見つめあう二人。
我が妹ながら、整った顔をしているな、
と、これは豊の感想。
「この間作ったんだよ」
「い、いつ!」
豊は、自分の返答が真っ当なようで、どこか的を得ていない気がして、
というか一連の出来事にひどく混乱して、まるで夢の中で走っている時のような無力感に苛まれた。
そんな兄の様子に一切動じることなく、とき子は相変わらず兄の顔面に作ったという
Type-CのUSBポートを探し続けていた。
「何これ……、夢……?」
「寝ぼけちゃって……、フフ……、あ! あった!」
パコリ、と骨伝導で直接豊の脳内に響いたその音は、一周回って豊を冷静にさせた。
「空いたね、今、フタが。お兄ちゃん分かったよ。左目の下だ」
「分かったか……、フフ」
もうとき子は半分以上話を聞いていない。
いそいそケーブルを取り出し、なにがしかの準備を進めている。
「あひょ」
左目の下、1.5センチ程度の所、当たり前のようにそのケーブルは刺さった。
「刺さったね」
「いつ作ったの……、こんなもん」
「お兄ちゃんがアニメの話に夢中になってるとき」
「起きてる時!?!?!?」
豊の叫びはこの一軒家の隅々にまでこだました。
しかし、世界が丸ごと無視をしたかのように何の反応も返ってはこなかった。
「……寝ている間とかじゃなくて?」
「うん……、Thunderbolt4に対応してるやつをね……、」
とき子はもう、ノートパソコンのモニターに夢中だ。
「サンダー、なに?」
「通信規格だよ。40Gbpsでるやつ」
「お兄ちゃんよくわからないけども」
豊は病人よろしく、腰まで布団をかけ半分体を起こし、おなかの上で両手を組むと、不安げな表情で妹の挙止を見守った。
体から線が出てるという一点において、
『入院患者のひとみたい』
と考え、いや、今考えるべきことはそれじゃないと頭を振った。
「なんで目に下に?」
それでもない。
「ええ? ル〇ィみたいでかっこいいじゃん」
「かっこ、うーん……。かっこ、うーん、か、うーん、かっこ」
「かっこいいよ」
「かっこいいか」
「あと、視神経から間脳の視床下部通して、直接中枢神経にアクセス出来るし。」
「……フフ」
豊はこう思った。
「ちゃんと理由あって草」
「じゃ、始めるね」
豊はその一言で一気に目が覚めた気がした。
「何をかだけ教えてくれ!」
「だってお兄ちゃん死ぬのが怖いっていうから!」
「ど、どういうこと!」
「私が作った身体デバイスエミュレータをインストールして、身体デバイスと意識を隔離し、生きながらにして、疑似的に我々情報生物本来の姿に戻れるってわけ」
「ってわけ。じゃなくて」
「132日間と7時間かかるから、がんばってね」
「え、あ」
「ちょっとファイルサイズがね。でも安心して。寝てる間の食事とか排泄とかは先行でインストールされるプログラムが何とかしてくれるから。モノ食べたいとか、うんこしないといけないとか、あれ全部思い込みだから」
「思い込みなの?」
「うん。もういい? いいかげん」
「とき子がイライラするのは絶対違うからね」
とき子は高らかな音と共にノートPCのTabキーを押下した。
(Enterキーじゃないんだ)
豊はもう、何も考えられなくなっていた。
(思い込みなんだ、うんちとか、おなか減ったとか……)
だんだんと、豊の意識は白濁し、深い眠りに落ちていった。
「よっしゃ……」
呟くと、とき子は不安と期待に満ちた面持ちで、兄の顔を見つめていた。
「お兄ちゃん、寝顔ブッサイクだね……」
ヒヨドリの鳴く声が聞こえる。
けたたましく、品のないその声に、とき子は少しばかり慰められた気がした。