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夜を待つ  作者: 斎藤海月
白崎凪
2/8

1.

 白昼夢みたいな恋だった。

 目を逸らせばすぐに消えてしまうような、手を伸ばせば壊れてしまうような、そんな儚くて脆い恋。

 揺らめく陽炎の先に彼がいた。鳴る風鈴の音に彼を重ねた。潮風の隙間に彼を見た。


 あの夏を今も私は夢に見ている。風の匂いに、蝉の声に、彼の面影を探している。


 だから私は、夜を待っている。




 ❖❖❖❖



 煌びやかな家。

 いつも完璧に整ったリビングに、傷一つない食器棚。

 モデル出身の母は、どこへ出しても恥ずかしくないほど美しく、父は名の知れた企業家で、お金には困ったことがない。

 友達はみんな口を揃えて「羨ましい」と言った。まるでおとぎ話みたいだと。


 でも私は、そうは思えなかった。


 誰かが作ってくれた温かい料理が、テーブルの上に置いてある。

 それだけでよかった。

 今日一日どうだった?と聞いてくれる、そんな「お母さん」がよかった。

 私が欲しかったのは、豪華なドレスでも、誰かの称賛でもない。

 ただ、人のぬくもりが欲しかった。


「今日から夏休みです」


 担任の先生の声が教室に響く。

 その言葉を合図に、教室の空気がふっと軽くなる。

 椅子が引かれ、机の上がぱたぱたと片づけられ、あちこちから弾むような笑い声がこぼれ出る。


 私は、自分の席に座ったまま、窓の外をぼんやりと見ている。

 強い陽射しが校舎の白い壁を照らし、アスファルトの上に映るゆらゆらとした陽炎。

 遠くから聞こえるセミの鳴き声が、耳の奥でじりじりと響いていた。


「夏休み、楽しみだね」


 隣の席の子が笑顔で話しかけてくれて、私は、小さくうなずく。


 誰にも言えなかった。

 私は、家に帰るのが怖い、なんて。


 あの煌びやかな家のドアをあけると、いつも冷たい空気が待ってる。

 お母さんは、きれいに笑ってるのに、その奥にあるのは怖い目で。

 お父さんは、全然喋らなくて、私のことなんて見てもくれない。

 けれど、そんなことを口にしたところで、誰も信じてくれない。

 誰も私のことなんて助けてくれない。それが、齢九歳の私に、突きつけられた現実だった。


「あ、凪ちゃん、もうお迎え来てるよ!」


 誰かがそう言うと、クラスの何人かが一斉に窓の外を覗き込む。

 黒くて長い車――いかにも特別な人が乗っていそうなその車に、子どもたちの目が輝く。


「うっわー!いいなー!凪ちゃんのパパってお金持ちだもんね」


「凪ちゃんって、夏休みどこか行くの?」


 教室の後ろから、明るい声が飛んできた。

 私は振り向かず、小さく首を横に振る。


「ううん。……用事があるから」


「えっ、やっぱドラマの撮影でしょ!?」


「いいな〜!テレビのやつだよね、あのCMのやつ見たもん!」


「うちのお母さん、凪ちゃんのことかわいいねぇ〜って言ってた!」


「私もテレビ出たいー! アイドルになるー!」


「無理でしょ〜、あんたおばけ屋敷で泣いてたじゃん!」


「それ関係ないし〜!」


 小さな教室の中で、わっと笑い声が広がる。

 ランドセルの金具が揺れ、椅子がガタガタと鳴った。

 小さな世界の中で、みんなが元気にはしゃぎ、明るく笑っている。

 私は目立たないように教室の入り口に立って、笑顔を崩さずに、そっと振り返る。


「……じゃあ、またね」


 そして何人かが手を振って、「ばいばーい!」と返す。

 その声を背に私は駆け出した。

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― 新着の感想 ―
自分も学生主人公の物語は執筆していますが、凪さんの背景、彼女から見た学校の描写が丁寧ですね。 周りにはわからない事情、ここからどうなるのか気になります。
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