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凪が「仕事」とだけ言い残して家を出ていったあと、部屋には久しぶりに静寂が戻ってきた。
俺は、枕元に置かれたままだったスマホに目をやる。
あの日――凪に与えられてから、一度もまともに起動させていなかったそれを、ようやく手に取った。
怖かった。変わってしまった世界を見るのが。
画面をスライドし、電源を入れる。
ゆっくりと立ち上がっていく光の中に、自分の映ったぼやけた顔が、しばらく揺れていた。
──白崎 凪。
検索バーに、その名前を打ち込む。
文字を打つ指先が、微かに震えていた。
……こんな馬鹿なことをしようと思ったのは、やはり彼女が俺に執着する理由を突き止めようと思ったから。それ以外にほかならない。
俺にとって白崎凪は罪の象徴。――だとするならば彼女にとって俺はなんだ?
検索ボタンを押すと、画面に無数の情報が表示される。
ニュース、芸能記事、SNSの切り抜き、インタビュー映像、そして過去のワイドショーのアーカイブ。
スクロールする指先は止まらない。
次々と流れていく文字と画像の洪水。その中に、俺の知らない「白崎凪」がいた。
──白崎 凪。現在19歳。
芸能活動は小学生時代から始まっていた。
もともとは、元人気モデルである花村香澄の娘として注目を浴び、その後、透明感のあるビジュアルと物静かな性格で、子役として一定の人気を得る。
写真の中の彼女は、たしかにあの頃の凪だった。
今よりもっと小さくて、あどけなくて、どこか不安げな眼をしている。
そして、次の見出しで俺の指が止まる。
【白崎凪・誘拐事件──当時9歳の人気子役、1週間の監禁から無事保護】
脳が、ざらりとした感触に包まれる。
──加害者・冬木透(当時19歳)
無意識に息を詰める。
まるで他人事のように綴られたその文字列に、吐き気が込み上げる。
「……クソが」
思わず、声に出ていた。
しかしすぐに頭を切りかえて、その続きを追いかけるように指を動かす。
──10歳で再び芸能界に復帰。
事件からわずか1年後、子役として再出発した凪は、ドラマや映画に出演しながら徐々に注目を集めるようになった。
周囲は「強い子だ」「奇跡の復活」と讃えた。
そして、次の転機。
【13歳・白崎凪、両親を火災で喪う】
その見出しに、またしても指が止まる。
そして、そこに記されていた言葉が、胸を抉った。
──火災は深夜に発生。
──遺体は凪の両親、花村香澄と、彼女の夫であり実業家の白崎誠と確認された。
──放火の疑いで、当時の凪の同級生が逮捕。未成年のため、実名は非公開。
……放火。
……同級生。
言葉の断片が頭の中で重なっていく。
「凪だけが助かった……って、言ってたな……」
ぽつりと呟いた声は、自分でも気づかないほどかすれていた。
この事件が凪に何をもたらしたのだろうか。
今の凪は10年前より笑うのが下手になった。
10年前。あの時の凪はそもそもあまり笑わなかった。それでもたまに俺の話で小さく笑うことがあったからわかるのだ。
今の凪の異常性が。彼女の微笑が、彼女の紡ぐ言葉が、彼女の行動全てが、どこが嘘くさい。何よりあの目だ。『男』の扱いを弁えているような。
――『愛してる』以上に気軽に言える魔法の言葉ってないと思うけど
ふと、以前の彼女の言葉が脳裏をかすめる。
『愛してる』という言葉が持つ魔力を、俺は身をもって知っている。……別に、女に誑かされた過去があったわけじゃない。
ただ、それでも。
思い出したくない過去が、脳の奥底から、じわりと滲み出すように顔を出すだけの事だ。




