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夜を待つ  作者: 斎藤海月
10年後┊ 冬木透
15/15

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 凪が「仕事」とだけ言い残して家を出ていったあと、部屋には久しぶりに静寂が戻ってきた。

 俺は、枕元に置かれたままだったスマホに目をやる。

 あの日――凪に与えられてから、一度もまともに起動させていなかったそれを、ようやく手に取った。

 怖かった。変わってしまった世界を見るのが。


 画面をスライドし、電源を入れる。

 ゆっくりと立ち上がっていく光の中に、自分の映ったぼやけた顔が、しばらく揺れていた。


 ──白崎 凪。


 検索バーに、その名前を打ち込む。

 文字を打つ指先が、微かに震えていた。


 ……こんな馬鹿なことをしようと思ったのは、やはり彼女が俺に執着する理由を突き止めようと思ったから。それ以外にほかならない。

 俺にとって白崎凪は罪の象徴。――だとするならば彼女にとって俺はなんだ?


 検索ボタンを押すと、画面に無数の情報が表示される。

 ニュース、芸能記事、SNSの切り抜き、インタビュー映像、そして過去のワイドショーのアーカイブ。


 スクロールする指先は止まらない。

 次々と流れていく文字と画像の洪水。その中に、俺の知らない「白崎凪」がいた。


 ──白崎 凪。現在19歳。


 芸能活動は小学生時代から始まっていた。

 もともとは、元人気モデルである花村香澄の娘として注目を浴び、その後、透明感のあるビジュアルと物静かな性格で、子役として一定の人気を得る。


 写真の中の彼女は、たしかにあの頃の凪だった。

 今よりもっと小さくて、あどけなくて、どこか不安げな眼をしている。


 そして、次の見出しで俺の指が止まる。


【白崎凪・誘拐事件──当時9歳の人気子役、1週間の監禁から無事保護】


 脳が、ざらりとした感触に包まれる。


 ──加害者・冬木透(当時19歳)


 無意識に息を詰める。

 まるで他人事のように綴られたその文字列に、吐き気が込み上げる。


「……クソが」


 思わず、声に出ていた。

 しかしすぐに頭を切りかえて、その続きを追いかけるように指を動かす。


 ──10歳で再び芸能界に復帰。


 事件からわずか1年後、子役として再出発した凪は、ドラマや映画に出演しながら徐々に注目を集めるようになった。

 周囲は「強い子だ」「奇跡の復活」と讃えた。

 そして、次の転機。


【13歳・白崎凪、両親を火災で喪う】


 その見出しに、またしても指が止まる。

 そして、そこに記されていた言葉が、胸を抉った。


 ──火災は深夜に発生。

 ──遺体は凪の両親、花村香澄と、彼女の夫であり実業家の白崎誠と確認された。

 ──放火の疑いで、当時の凪の同級生が逮捕。未成年のため、実名は非公開。


 ……放火。

 ……同級生。


 言葉の断片が頭の中で重なっていく。


「凪だけが助かった……って、言ってたな……」


 ぽつりと呟いた声は、自分でも気づかないほどかすれていた。


 この事件が凪に何をもたらしたのだろうか。

 今の凪は10年前より笑うのが下手になった。

 10年前。あの時の凪はそもそもあまり笑わなかった。それでもたまに俺の話で小さく笑うことがあったからわかるのだ。

 今の凪の異常性が。彼女の微笑が、彼女の紡ぐ言葉が、彼女の行動全てが、どこが嘘くさい。何よりあの目だ。『男』の扱いを弁えているような。


 ――『愛してる』以上に気軽に言える魔法の言葉ってないと思うけど


 ふと、以前の彼女の言葉が脳裏をかすめる。

『愛してる』という言葉が持つ魔力を、俺は身をもって知っている。……別に、女に誑かされた過去があったわけじゃない。


 ただ、それでも。

 思い出したくない過去が、脳の奥底から、じわりと滲み出すように顔を出すだけの事だ。

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