12.
俺の名前である冬木透は本名じゃない。本名は冬木徹だ。もっと言うなら昔は隠木徹だった。
貧乏な家庭で育った。
――別に悪い意味じゃない。そのまんまの意味だ。
狭いアパートで、父さんと母さんそれから3つ下の妹と6つ下の弟と暮らしいてた。家族仲は良かった。
遊園地だとかは行けなかったけど、近くの公園で十分だった。
――本当にそれだけでよかったのに。
それが終わってしまったのは俺が7歳だった時。
家の固定電話にかかってきた1本の電話が始まりだった。
「もしもし?」
「……はい……はい……えっ!?」
「それは本当ですか!?うちの主人が?」
「……はい……わかりました。すぐに向かいます」
ガチャン
暑い夏の日の昼間だった。窓を全開にしていたから窓に吊るしている風鈴の音がよく鳴っていた。
暑かったからなのか理由は分からなかったけど、弟が泣いていたから俺と妹でうちわで扇いであげてた。妹もまだ4歳だったのに、弟思いの優しい子だった。
母さんが電話に出たと思ったら、何やら焦ったような口調で声を荒らげたものだから、その声に驚いて弟はまたいっそう泣いていた。それに釣られて妹も泣き始めて、俺はどうしたらいいのか分からず母さんの方を見あげていた。
すると、電話が終わった様子の母さんが抱っこ紐を取りだしていた。どこかに行くのだろうか。
母さんはすぐに泣きじゃくる弟を抱き上げて俺に「ちょっとだけ外に出てくるから、いい子で待っていてね。妹から目を離しちゃいけないよ」と強く言いつけて、妹の頭を撫でた後にすぐにどこかへ出かけて行った。
「ママどこにいっちゃったのかな……」
少し落ち着いた様子の妹がそう語りかけてきた。
――そんなこと分からないよ
そう言いたかったけど、心配そうな顔をする妹にかけられる言葉は限られていた。
「大丈夫。ちゃあんと帰ってくるから」
その言葉どおり、母さんはその2時間後に帰ってきた。何も言わずに、眠っている弟を布団に下ろす。
母さんの顔色が何だか悪そうだった。フラフラとした足取りで俺と妹の前に来て口を開く。
「……パパ、もうお家に帰って来れないんだって」
「なんで?パパかえってこないのー?」
「うっ……うぅ……」
無邪気な声を出す妹を抱きしめて、母さんは泣き崩れた。
母さんの弱々しい姿を見たのは、それが初めてだった。
母さんはいつでも強かったから。弱気でいつもニコニコと微笑を称えていた誰にでも優しい父さんと、子供3人を育てていた強気でいつでも明るい元気な愛情深い母さん。2人は足りないところを補い合っているような2人だった。
だからその時、俺は理解した。
もう父さんとは一緒に居られないということを。
もう日常は帰ってこないのだということを。




