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夜を待つ  作者: 斎藤海月
10年後┊ 冬木透
12/15

11.

 風呂を終えて、濡れた髪をタオルで拭きながら脱衣所を出る。

 最初に風呂へ案内されたときは、凪の後ろをついて行くだけで精一杯で、周りを見回す余裕なんてなかった。


 改めて一人で廊下に立つと、ふと好奇心が湧く。

 ……ここは、いったいどんな家なんだろう、と。


 左右に複数のドアが並ぶ廊下を、足音を忍ばせて歩く。

 そっと開けて覗いた先には、白を基調としたシンプルなキッチンがあった。次の部屋には、ソファと大きなテレビが置かれたリビング。窓の外には、広大な都会の景色が広がっている。


 ――高い。


 見下ろせば、豆粒みたいな車が列を作って、ゆっくりと動いているのが見える。

 この高さ、この内装。……聞いた事がある、いわゆるタワーマンションってやつだろうか。


 さらに奥の部屋を覗くと、整然としたデスクや本棚が並んだ書斎らしき空間。

 生活感はあるのに、どこか現実離れしていて、妙に息苦しさを覚える。


(……こんな場所に、凪が……1人で?)


 そんな一抹の疑問を覚えながら、自分が繋がれていた部屋へと戻る。

 ドアを開けると、布団の上に腰かけていた凪が、こちらを見てにっこりと笑っていた。


「ほらね。お兄さんは逃げなかった」


 その言葉は、まるで確信していたことを確認するみたいに、やさしく響いた。


「……」


 何も言えなかった。

 否定しようと思えばできたのに、喉が動かなかった。

 ただタオルを握りしめたまま、立ち尽くしている俺を見て、凪は満足そうに目を細める。


「おかえり、お兄さん。愛してるよ」


 ――『愛してる』。


 その響きが、胸の奥を鋭く抉った。

 一番、思い出したくなかった人の声が蘇る。

 一番、触れたくなかった記憶が、容赦なく瞼の裏に浮かび上がる。


 俺を抱きしめて、掠れた声で縋りついてきたあの女――。


「……『愛してる』なんて、気軽に言っちゃダメだよ、凪ちゃん」


 ようやく絞り出した声は、自分でも情けないほどか細かった。

 凪はきょとんとしたあと、少し笑って首を傾げる。


「そう? 『愛してる』以上に気軽に言える魔法の言葉ってないと思うけど」


「……そっか」


 その軽やかな言葉に、反論もできず、息だけが漏れた。

 そんな俺の様子を見て、凪はふわりと髪を揺らしながら、布団に腰を戻した。


 少しの沈黙のあと、ふと、言葉が口を突いて出る。


「……ねぇ、凪ちゃん。……親は?」


「え?」


「今……どうしてるの?」


 一瞬だけ、凪の笑みが止まる。

 その空白が、不自然なほどに長く感じられた。


「……親はね」


 彼女はそう言って、テレビのリモコンを手に取る。

 画面に映るバラエティ番組の音が、わざとらしく部屋に流れ込む。


「――凪には、もう関係ないよ」


 その言葉とともに、彼女はリモコンのボタンを指先で弄びながら、まるで何でもないことのように笑った。


「6年……いや、7年前だっけ? どっちでもいいや。とっくに死んでるんだ、あの人たち」


「……死んでる?」


 あまりにあっさりした言葉に、思わず復唱してしまう。

 凪は、少しだけ目を細めて頷いた。


「そう。火事。夜中に家が燃えたんだよ。……運良く、凪だけ助かった」


 淡々とした声で、恐ろしいことを言う。

 俺は息を飲んだ。


「……放火だったらしいよ。犯人は、未成年だったんだって」


「未成年……」


「うん。それで少年院に入ったって。……今はもう出てきてるのかな。知らないけど」


 そう言いながら、凪はテレビに視線を戻し、何でもないように笑った。


 凪の両親の死――それは、俺にとって仇の死でもあった。


 胸の奥が、焼けた鉄で押し潰されるように重くなる。

 安堵か、虚しさか、わからない。

 ただ――笑う凪の横顔が、やけに遠く見えた。

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