11.
風呂を終えて、濡れた髪をタオルで拭きながら脱衣所を出る。
最初に風呂へ案内されたときは、凪の後ろをついて行くだけで精一杯で、周りを見回す余裕なんてなかった。
改めて一人で廊下に立つと、ふと好奇心が湧く。
……ここは、いったいどんな家なんだろう、と。
左右に複数のドアが並ぶ廊下を、足音を忍ばせて歩く。
そっと開けて覗いた先には、白を基調としたシンプルなキッチンがあった。次の部屋には、ソファと大きなテレビが置かれたリビング。窓の外には、広大な都会の景色が広がっている。
――高い。
見下ろせば、豆粒みたいな車が列を作って、ゆっくりと動いているのが見える。
この高さ、この内装。……聞いた事がある、いわゆるタワーマンションってやつだろうか。
さらに奥の部屋を覗くと、整然としたデスクや本棚が並んだ書斎らしき空間。
生活感はあるのに、どこか現実離れしていて、妙に息苦しさを覚える。
(……こんな場所に、凪が……1人で?)
そんな一抹の疑問を覚えながら、自分が繋がれていた部屋へと戻る。
ドアを開けると、布団の上に腰かけていた凪が、こちらを見てにっこりと笑っていた。
「ほらね。お兄さんは逃げなかった」
その言葉は、まるで確信していたことを確認するみたいに、やさしく響いた。
「……」
何も言えなかった。
否定しようと思えばできたのに、喉が動かなかった。
ただタオルを握りしめたまま、立ち尽くしている俺を見て、凪は満足そうに目を細める。
「おかえり、お兄さん。愛してるよ」
――『愛してる』。
その響きが、胸の奥を鋭く抉った。
一番、思い出したくなかった人の声が蘇る。
一番、触れたくなかった記憶が、容赦なく瞼の裏に浮かび上がる。
俺を抱きしめて、掠れた声で縋りついてきたあの女――。
「……『愛してる』なんて、気軽に言っちゃダメだよ、凪ちゃん」
ようやく絞り出した声は、自分でも情けないほどか細かった。
凪はきょとんとしたあと、少し笑って首を傾げる。
「そう? 『愛してる』以上に気軽に言える魔法の言葉ってないと思うけど」
「……そっか」
その軽やかな言葉に、反論もできず、息だけが漏れた。
そんな俺の様子を見て、凪はふわりと髪を揺らしながら、布団に腰を戻した。
少しの沈黙のあと、ふと、言葉が口を突いて出る。
「……ねぇ、凪ちゃん。……親は?」
「え?」
「今……どうしてるの?」
一瞬だけ、凪の笑みが止まる。
その空白が、不自然なほどに長く感じられた。
「……親はね」
彼女はそう言って、テレビのリモコンを手に取る。
画面に映るバラエティ番組の音が、わざとらしく部屋に流れ込む。
「――凪には、もう関係ないよ」
その言葉とともに、彼女はリモコンのボタンを指先で弄びながら、まるで何でもないことのように笑った。
「6年……いや、7年前だっけ? どっちでもいいや。とっくに死んでるんだ、あの人たち」
「……死んでる?」
あまりにあっさりした言葉に、思わず復唱してしまう。
凪は、少しだけ目を細めて頷いた。
「そう。火事。夜中に家が燃えたんだよ。……運良く、凪だけ助かった」
淡々とした声で、恐ろしいことを言う。
俺は息を飲んだ。
「……放火だったらしいよ。犯人は、未成年だったんだって」
「未成年……」
「うん。それで少年院に入ったって。……今はもう出てきてるのかな。知らないけど」
そう言いながら、凪はテレビに視線を戻し、何でもないように笑った。
凪の両親の死――それは、俺にとって仇の死でもあった。
胸の奥が、焼けた鉄で押し潰されるように重くなる。
安堵か、虚しさか、わからない。
ただ――笑う凪の横顔が、やけに遠く見えた。




