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第7話「抹消予定」


王都行政庁舎――その石造りの楼閣は、天を衝くほどに高く、そして深く地に潜っていた。


ノイルがこの場所に足を踏み入れてから、すでに一月が過ぎていた。


記録局。その中でも下層に位置する古記録庫に、彼女は名もなき補助記録員として潜り込んでいた。


案内したのは、ザランディーンだった。


蝙蝠通りの裏路地と、庁舎の地下搬入口はかつて秘密裏に繋がっており、政争や非常時の脱出口として使われていた。


今では表向き平和となった現在の王国では使われておらず、“記録に残らぬ入口”として知る者もわずか。


ノイルはその隙間から、血と記憶の気配を嗅ぎつけて潜入した。



彼女は盗賊の姿を借り、庁舎内では常に影のように動いた。


誰にも話しかけず、命令も求めず、ただ淡々と“次に必要とされる書類”を先回りして机に置く。


その正確さに、やがて周囲の職員は彼女を「有能な無名」と認識し始めていた。


その裏で、ノイルは“血”を使って情報を得ていた。


わずかに触れた指先。こぼれた紙片の端についた血痕。


あるいは、握手の瞬間、指に生じた見えぬほど細い針――。


「血を得れば、記憶に触れられる。だが、微量では深層には届かない」


ノイルはそれを理解していた。


だからこそ、彼女は“今、その者が何をしようとしているか”という一点に集中して読み取ることにした。


目的。行動。優先順位。


それさえ分かれば、次に動くべき紙束を察することができた。


職員たちはそれを「気が利く」と評した。


だが彼女が本当に読んでいたのは、血の流れに宿る“意図”だった。



季節が変わり、街には秋の風が吹き始めていた。庁舎の窓から差し込む光も、わずかに柔らかく、低くなっている。


セレフィーネの失踪や生死については、誰も触れようとはしなかった。市井の人々も、最初はその行方を気にしたが、日々の暮らしに追われ、次第に記憶の隅に押しやられていった。


そんな中、ノイルはついに、その名を掴んだ。


カルセ・ロヴァン。


ギョームに金を渡した“記録局の下吏”。


だが、それは偽りの肩書だった。実際には、彼はすでに“特記官”という地位にあり、名を隠して動いていたのだ。


ノイルは、潜入を通じてその事実を突き止めた。


記録の改竄。消去。


表の顔は善良な管理者だが、裏では“存在の削除”を請け負う、庁舎内部の闇そのもの。


ノイルは、その足跡を追っていた。



庁舎最深部――通称“血の記録室”。


そこには、かつてこの国に存在したが、今は歴史から消された者たちの名が保管されていた。


羊皮紙ではなく、染め抜かれた血布に、名と日時が綴られている。


ノイルは、密かに忍び込み、その布帳の一枚を開いた。


そこに――あった。


セレフィーネ・レイエル・アーデルリオ。


その名に“抹消予定”の印が押されていた。


ノイルの指が、震える。


記録が抹消されるということ。


それは、この国の歴史から、その存在が完全に消されるということ。


存在が消えるということは、“いなかった人間”になるということだ。いなかった人間が失踪したところで、公的には何の声明も発表されない。家族も友人も、何も知らぬまま、問いかける権利すら奪われる。


文字通りの“抹消”だった。


彼女の死を、“記録”という枠組みで完全に消し去るという行為だった。


「……許さない」


声は、掠れていた。


それは怒りではなかった。


もっと静かで、冷たい、決意の温度だった。


――第8話へ続く。


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