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第5話「スライム、王都を目指す」

黒翼の森の最果て、ひときわ高い断崖の上で、ヌルは風に髪をなびかせていた。


セレフィーネの姿を写した身体。その肌は人間と変わらず、声も、瞳も、仕草も――けれどその奥にあるものは、確かに別物だった。


森で幾つかの死体を喰らい、記憶を読み、感情を学んだ。


それらが今のヌルを形作っている。


小さな声で、かつての主の名を呼ぶことはもうなかった。


森の外へと向かう古道――かつてセレフィーネが通った道を、今度はヌルが逆に進み始める。



森の外れ、廃村となった集落。


数軒の朽ちた家と、石造りの井戸。


その一角に、ヌルは身体を溶かして隠れていた。


人の気配。馬の足音。


「……検問が強化されたらしいぜ。王都への街道は、今どこも目が厳しい」


「そりゃそうだ。王女様が“失踪”したって話が、裏じゃもう広まってる」


旅人風の男たちが、廃村の木陰で密かに話していた。


ヌルは地面に溶けたまま、泥の中から人の耳の形だけを浮かび上がらせていた。スライムとしての柔軟な身体が、音に最適化された受容器官を形成し、旅人たちの会話を一言一句逃さず拾い上げる。そして、彼らの会話から地図を思い描いた。


ギョームの記憶にあった街道筋と、今聞いた情報が交差する。


――王都南門の警備が強い。北門は商人と聖職者が多い。


「情報屋なら、旧市街の“蝙蝠通り”だな。変な噂が集まるのは、いつもあそこだ」


その言葉に、ヌルの視線がわずかに動いた。


蝙蝠通り。


それは、廃寺で後に喰らう盗賊の記憶にもあった地名だった。


薄汚れた、地下水路に近い一角。薬草屋、拷問具の職人、獣人娼館。


“あらゆる端物はしものが棲みつく場所”


ヌルの目が細くなる。


「情報は、力」


かつてセレフィーネが言った言葉だった。


そして今、その言葉の意味を、ヌルは自身の選択として理解していた。



夜、王都近くの廃寺にて。


ヌルはひとり、焚き火の火に当たっていた。


体内でゆらめく記憶の残滓。


ギョームに金を渡した男。その服装、声、立ち振る舞い。


王都行政庁の下吏――記録管理部。


名は不明だが、手にした印章は王都の正規文書局のものだった。


「王国の内側に、“主を殺した者”がいる」


その事実が、ヌルの内側にわずかな熱を生む。


それは怒りではない。


ただ、赦せないという判断。


そして、次に何をすべきかという思考。



その夜、ヌルは人を一人、喰った。


廃寺に忍び込んだ盗賊。


殺す意図はなかったが、彼が剣を抜いた瞬間、反射的に体が動いた。


肉を取り込み、記憶を抽出し、その名と過去を味わう。


街の構造。検問の位置。裏道。


「……下水路、蝙蝠通りへ繋がってる」


そして、もうひとつ――


「セレフィーネ」という名が、裏では危険な記号になっていることも。


王都ではすでに、第三王女失踪の話が不穏な連鎖を呼び始めていた。


ヌルは、焚き火の火を見つめながら静かに呟く。


「私は、ノイル」


空虚を意味する音、null。その残響を残しながら、より“人間の名前”に近づけた音。


それは、ヌルが“誰かになる”ための最初の仮面。


「ヌルは、主の名。ノイルは、私の名」


その囁きには、用心深さと決意があった。


“人ではない者”が、“人の仮面”を使って歩き出す。


主の敵を探すため。


主の正義を、今度こそ、この手で果たすために。


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