第3話「失われた姫と、残された違和感」
セレフィーネ第三王女が、王都を発ってから五日が過ぎていた。
その間、護送の行列は“野盗の襲撃”という建前のもと壊滅。
それを任務として遂行した王国騎士団〈隠密分隊〉は、森を離れ、最寄りの駐屯地で密かに報告をまとめていた。
だが――報告の内容に対し、王城からの返答は予想以上に早かった。
「遺体の確認が不十分。再捜索を行え」
それが命令のすべてだった。
確かに殺したはずの姫の遺体が、公式に“未確認”とされたことは、騎士たちに妙な静けさをもたらした。
再捜索が開始されたのは、任務終了からさらに三日後のことだった。
黒翼の森――神々の忘れた地。その入口に、再び騎士たちの馬蹄が鳴り響く。
「ここだな……護衛馬車が倒れていた場所は」
副隊長が手綱を引いて馬を止める。
深い霧の残る森の奥、陽も差さぬ湿地帯。そこに、確かに“それ”はあった。
――朽ちかけた馬車の残骸。
轍の跡。引き裂かれた幕。割れたランタン。踏みにじられた地面。
「……だが、遺体がない」
誰かがつぶやいた。
そう、そこには人の死体も、血の痕すらほとんど残っていなかった。
あるのは、わずかな骨の欠片と、焼け焦げた布の断片だけ。生々しい死を示す証拠は、まるで意図的に取り除かれていたようだった。
「野盗にしては、随分と“痕跡の消し方”が上手いな」
「いや、あまりに“綺麗すぎる”。まるで……何もなかったみたいだ」
一人の若い騎士が、気配を探るように周囲を見回す。
風に揺れる木々の陰が、どこか冷ややかに見返してくるようだった。
「……姫は、ここで死んだんだよな?」
問いに答える者はいなかった。
隠密分隊は、命令通り任務を遂行したはずだった。
しかし、確かに自分たちが殺したはずの姫の遺体は、そこにはなかった。
騎士たちは何も言わず、痕跡を記録し、報告の書式を整える。
だがその目の奥に、ひとつの“異物”が巣食っていた。
「本当に……終わったのか?」
誰もが飲み込んだその疑問が、やがて王城へと届くことになる。
その頃、王都では別の火種が燻り始めていた。
「セレフィーネ王女、失踪――遺体未確認」
王国の諜報局は、この報を密かに上層部へと伝え、ある者たちは騒ぎを抑えるための“新たな筋書き”を求め始める。
「野盗の犯行」という脚本が、徐々に綻びを見せていた。
そしてそれを感じ取った者が、ただひとり。
かつてセレフィーネの剣術指南役であった老騎士――ガロス・ベイルハート。
王国近衛騎士として多くの戦場をくぐり抜け、王の命を救って片目を失い、名誉と共に一度は剣を置いた男。
今は王都西区の自邸にて静かに隠居していたが、かつて近衛騎士団時代に諜報局との合同任務に携わっていた経歴から、今なお一部の情報士官との繋がりを持っていた。その旧知の一人から非公式な密報が届き、ガロスはかつての記憶を静かに呼び起こしていた。
そして、あの少女の懇願に応え、もう一度だけ剣を抜いた日々を、心の奥で繰り返していた。
「……あの子は、簡単に死ぬような子じゃなかった」
そのつぶやきは、記録には残らなかった。
だがその感情は、確かに、物語の奥で火を灯し始めていた。