母親と子
家を出ると視界がぼやけて、一瞬目の前が真っ白になる。そのあと、その一帯にあった光を何かが吸い取ったようにだんだんと見慣れた風景の像を映し出す。
朝は嫌いだ。朝に出る太陽は誰を差別することもなく照らす。全員がこれからの一日を希望をもって生きていくのが当たり前だと言ってるみたいに。
「ママー、早く」
そう言って私の気持ちを考えもしないで、息子のカイトがどんどんと先へ進む。
誰のせいでこんなにしんどい思いをしていると思っているのだろうか。
昨日もなかなか寝付くことができなかった。ベッドに入ったとしても激しい頭痛のせいでのたうち回っているだけだ。
知り合いからもらった睡眠薬を常用しているが改善することはない。
そろそろ病院へ行った方がいいと言ってくれる同僚もいるがそんな余裕もないことを同時に思い出す。
そしてもし下手をして精神科などへ行こうものなら、近所から何を言われるか。
この睡眠薬をもらっただけでも鬱陶しい噂が絶えないというのに。
私はカイトの日常生活に支障を来たさせたくない。カイトには独立するまで、こんなストレスの関係のないところで育ってほしい。
今日は珍しく、カイトが早く起きて、家でじっとしていないので朝の散歩に来ることにした。だが。もう少ししたら学校の登校時間になるのでそろそろ家へ帰らないといけないだろう。
いつもの散歩コースを半分に行ったところでもう見えないほど遠くに行ってしまったカイトへ声をかける。
「カイトー!そろそろ家に帰るわよ」
返事は返ってこない。ふざけているのか、まだ帰りたくないのか。
だが、今帰らないと学校に遅れてしまう。
「ふざけてないで、早く戻ってきなさい!」
だが、返事が返ってくることはない。
少し異変に感じて、どんどんと歩を進める。
あれ、いない。
あの子が、カイトがいない。
どこ?
なぜ?
そんな思考ばかりが廻る。目は離していなかったのに。どうしよう、どうしたら。
そうやって探し回っている内に散歩コースを一周してしまった。
見慣れた風景なのに、あの子だけがいない。
どこに行ったのだろうか、あの子はまだ危険な物の区別がついていない。
今日もすぐに道路の真ん中にふらふら歩いていったりする。
道にはだんだん人が増えてきて、車が通り始めた。
もう社会人の通勤時間となっている。
早く、早く見つけてあげないと。怪我をして一人で泣いているかもしれない。
「れ、連絡しないと」
自分だけで探すには限界があると思い、近くの通報用のネットワークへとアクセスできる場所を見つけ、そこへ向かう。
だが突然、私の世界の上下が反転した。
一瞬何が起こったか理解するのに時間がかかった。
空が上にあり、平衡感覚がない。
私は倒れたのだ。
何をしているんだ、早くあの子を。
そう思うもなかなか体が言うことをきいてくれない。スーツを着た男の人が私に声をかけてくる。
私はいいから、早くあの子を、
そんな言葉ですら、頭の激痛で喉から空気を出すことで精一杯だ。
だんだんと痛みが強く、はっきりとなってくる。
私はひたすらに頭痛をどこかへ逃がそうとする本能で歯を食いしばり続ける。
痛みの強さは小さくなるどころか、天井知らずで襲いかかってくる。
ああぁ
痛い、痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛いたいいたいいたいいたいたいたいいたいいたいいいいいい
このまま死んでしまいたい、死んだら楽になれるのだろうか。なら早く死なせてほしい。
意識が途切れる直前、私がそれでも生きなければいけない理由の子の顔が浮かぶ。
まだ、死ねない。
*
「ごきげんよう」
アイクがオフィスへ入った時にはもう全員揃っていた。アイクはまずフランと目を合わせた。彼女もアイクの方を見ている。
以前の事件を解いてから一週間が経過した。
その間は部下の三人は仕事の経験を重ね、アイクは今日アリソンから返ってきた。
久しぶりの再会となった彼らだが特別な感慨どころか、今までどこへ行っていたんだという怒りしかない。
アイクのいない期間、この部署は上司なしで動いていた。しかもそれは入りたての新人三人。
うまくいくはずもなくここでの働くためのノウハウを周りに聞きまわり何とか一週間持ったという感じだ。
「お土産だぞ」
アイクはそう言いながらカバンから菓子折りを取り出した。
フランは何も言わず仕事を続ける。
「何かあったんですか?」
それへとすぐに飛びついたマイクが違和感を持ち、尋ねる。
「・・・寝たんだ」
「冗談はやめて」
すさまじい速さでフランがそう否定する。
マイクはもう興味をなくしたのか今はお土産に夢中になっていた。
「切り替えて、仕事の話をしよう」
フランと煙草の件もあるが考えても仕方ないとしてアイクは思考を切り替えた。
その言葉を聞いたフランが真っ先に声を上げる。
「犯人が判明している無差別殺人事件について」
フランが資料を配る。だがそれを途中まで読んでから、放り出した。
却下ということだ。
その後にまた声がした
「存在しない行方不明になった子供」
これはフーベルトだ。アイクは聞いた瞬間にピンときたが、マイクが意見を聞いてほしそうにしていたので、彼と目を合わせた。
「人工地震について」
すぐにマイクから目を離し、二度とそちらの方を見ないようにする。
「今の流れで分かったのはフランにはセンスがなく、マイクが陰謀論者だったといことだけだ。フーベルトを見習え。なかなかに刺さったぞ、詳しく話せ」
厨二病の獣人と魔法の才能なしの魔人族が不満MAXの顔をするなか、優越感に浸った神童がマウント気味に話す。
「昨日の早朝、母と息子とでほのぼの散歩をしている途中に息子が迷子、でもって母親はショックからか現在も意識不明の状態」
アイクがフーベルトの作った資料に目を通し始める。
「母親の気絶の詳細は?」
「脳障害、気絶する直前まで激しい痛みに襲われていたらしい」
対魔特捜部の仕事内容が決定した。
*
「さて意見はあるか?」
前回と同じく、まずは部下たちに意見を求める。
「存在しないって?」
「そのまま意味さ、行方不明になった少年の名前が入った名簿は近くの小学校にはなかった」
フランの問いかけに対して、フーベルトが簡単にそう答える。
近くの学校の名簿にないだけで、私立とか郊外の学校に行っている可能性はある。
しかし、家庭的な事情を考えると確率としては低いということだ。
「君のような例もある」
マイクがフーベルトのような例、つまり飛び級して中学校などに通っているという線だ。
「残念だが、被害者の年齢は7歳。飛び級するにはあと3年は必要だな」
この場でこの制度に1番詳しいであろう神童がそう否定する。
彼は最年少でこの職業に就いたが、もちろん、それは既存するルールに乗っ取っている。
この世界で飛び級が可能になるのは10歳から。
そこからはそれぞれの教師、試験、運にも左右されながら一つずつ上げていくしかない。
彼は10歳からたった6年足らずで、小学校上級、中学、高校、大学、魔法院、そこでの研修を修了させるという前例のないスピードでそのままこの地を踏んだ。
故に神童と呼ばれている。
「勉強不足な獣人は多めに見てやれ。他には?」
アイクが黙っているフランの方を見る。
「・・・これは魔法が関係しているようには思えません。ただ、何というか」
フランが気まずそうに口を噤んでいる。彼女の性格からしたらあまりはっきりと言いたくはないだろうことがわかる。
「母親がイカれて、それに俺たちが付き合わされていると言いたいのかわけだな。酷い女だ」
「そうは言ってません」
アイクが思いやり0の言い方をする。
「だが、肝心の狂人疑惑の母親は昏睡中、彼女からは何も得られません」
その可能性を確かめる術はないとマイクは言うが、アイクの考えは違う。
「別に母親自身から聞く必要はない。本当にイカれてたならまともに話を聞く方がバカだ。家を調べるんだ。嘘をつくことはない」
アイクの言葉を聞いた部下たちは沈黙した。
「それは、勝手に家に入るということですか?」
恐る恐るフランが聞く。
「当たり前だ。行儀良く玄関から入らなくても煙突から入りたいのか?」
「不法侵入です」
それはできないとフランが反抗する。
だがアイクはもともと気が弱く、正義感の強いフランに任せるつもりは無かった。
「だからエルフは差別されるんだ、抗議の果てには公民権を獲得した獣人を見習え」
アイクはそう言いながら当事者のマイクの方を見る。
「それは関係ないでしょ。あなたはやるつもりなの?」
フランをマイクの方に顔を向ける。
「・・無理です、見つかったら職を失いかねない」
マイクは首を左右に振りながら、体全体で否定する。
だがアイクの中では配役はもう決まっているのでむなしい抵抗だった。
「3・・・いや4か?」
「・・・・やばくなったらすぐに撤収しますからね」
満足そうな顔をしたアイクとは対照的にフランの顔は信じられないというような表情だ。
「さて、調査開始だ。フーベルトは事件当時の状況の詳しい聞き込み、マイクは現場調査、オールフォーワンの心を忘れるな」
「理不尽だ」
マイクが仕事内容の違いに異議を唱える。
「さあ、早く行け。うっかり現場捜査の護衛隊と鉢合わせでもしたら俺は責任取りかねるからな」
そう言って、マイクの反対意見を黙らしてから二人をそれぞれの仕事のために外へと出した。
だが、一人だけ部屋に残っている。
「あれ、私は?」
「お前は俺と昨日の続きだ」
アイクは今のうちに頭のこぶは排除しておくことにした。
*
「なぜ通報しなかった?タバコの違法製造を知っていながらそれを隠していた者も処罰されることぐらい知っているだろう」
このオフィスにはアイクとフランの二人きり。アイクがフランの真意を探る
「頭痛ですか?」
「誰から聞いた?」
「・・・いえ、以前にそういう人を知っていたので。先生もご存じかと思いますが、私の故郷では煙草が蔓延していました」
アイクはフランの言葉を聞いて頭の中を探り、引き出す。
今となっては衰退したものだが、かつての煙草産業は戦後の後遺症に悩む世界には最高の薬となって流行し、熱烈な煙草ブームが起きた。
だが、世界の煙草の生産の約半分を占めていたエルフが生産を中止したこと、使用による危険性が明らかになったこと、煙草の代替品の登場により喫煙者もどんどんと少なくなっていき、今では道端で煙を吐いている人は数えるほどしかいないようになったのである。
「エルフの国か、俺にとっては夢のような場所だな」
「今ではもう瓦解寸前ですが」
「大戦の英雄も時が経てば、だ」
長引く大戦に終止符を打った、この世界で唯一の人権を獲得した魔族改め、魔人族。
アイクは人族の短い人生で彼らの全盛と隆盛を一度に見ることになるとは思ってもいなかった。
「・・私の推測ですけど以前の戦争に参加されていたんですよね。そしてその後遺症で悩んでる。戦争の傷は癒えないものも多いと聞きます。先生の気持ちは分かりませんが行動は理解できる」
フランが慈悲を含んだ目でアイクを見る。
アイクはその目で見られるのが嫌いだった。
「ならこれからも好き勝手やらせてくれ」
「それでは私は納得できませんし、先生の身も今以上にボロボロになってしまいます。なので、代替案を」
アイクはフランが煙草に過剰なアレルギーを起こすのは分かった上で採用した。
フランがどんな反応をするか気になったからだ。
「私は先生の行為を通報しません。その黙認の見返りとして、医師から処方される薬を飲んでください、それが私の妥協点です」
アイクは純粋に悪くない条件だと感じた。アイク自身から見てもメリットの方が大きだろう。だからアイクはフランの目を見て答えた。
「断る」
アイクは即答した。
提案は悪くなかったが、悪いのは相手だった。
アイクは通報程度にビビる段階はすでに通り過ぎている。
「つまりどっちでもいいぞ。通報しても、せずとも俺の生活が変わることはない。そしてお前の生活も変わることはない」
そう言って、一人オフィスで茫然と立ち尽くすフランを置いて、アイクは部屋を出た
そして帰ってきた。
「言い忘れていた。お前は母親倒れた場所の付近を調べろ?」
それだけ言ってからフランの方を見ずにドアを閉めた。
*
「先生の望み通り犯罪者になって帰ってきましたよ。これで満足?」
「よくやった、やはり顔つきが違うな」
マイクは隣にいたフランへと確認を求めるが、彼女は取り込み中のようだった。
アイクはマイクのカバンから黙って一枚の紙を取り出した。
「これは、成績表か?」
その紙にはA、B、Cが書かれた紙だった。
マイクがその神について補足する。
「カイトのね。彼は確かに存在しています。これに加えて家にはランドセルや勉強机、靴から制服まで全て確認できました」
カイトの存在を示す証拠ともいえるものが複数見つかったとマイクが言う。
「それだけでは何とも言えない、近隣住民もあんまり関わり合いはなかったらしい」
フーベルトの方もハズレだったと告げる。
「フランは?」
「・・イマイチです。通報した人によるとその周辺には子供はいなかったと。ですが彼女の友人は数年前ですが、子供と一緒にいたところを見たところがあると言っています」
情報が錯綜している。カイトの存在を支持する情報、存在がないことを支持する情報、整理しないといけないだろう。
つまりどっちかが嘘をついているということ。
「まずはカイトの存在について何が考えられる?」
アイクが除法を整理するために問いかける。
「単純に、今も迷子中ということは?」
フランが一番考えられる可能性について指摘する。
「捜索では見つからなかった。だから周りの小学校に聞きに行ったんだ」
フーベルトがありえないと反論する。
「なら制服は?」
マイクが自分の手柄である重要な手掛かりのことを挙げる。
この世界の公立の小学校の制服は一律であり、何より政府が管理していて、売買が禁止されている。つまり政府を騙しでもしない限り制服を手に入れることはできない。
「成績表の説明もつかない」
マイクが畳みかける。
「母親が子供のために作った」
フランがカイトの実在論を粘る。
「残念ながら成績表は担任の朱印と名前のサインがないと正式なものとしては認められないんだ、魔族は知らないかもだが」
フーベルトがフランを煽る。
フランがついには何も言えなくなる。
この成績表には学校名は書いていない。
だが担任のサインが書いてある。アイクはそこから辿っていくしかないと考える。
「そこに書いている担任の名前がある私立、公立を含む小学校をこの地域にある全部の学校の中から探し出すんだ」
「簡単に言いますね」
黙っていたフランがたまらず口を開く。
「ああ、やるのは俺じゃないからな。戸籍も調べろ、生まれた病院もだ。そいつが本当に母親の腹から生まれた人間かを確認するぞ」
部下たちがオフィスから出ていく。
*
「部下たちの前では吸っていないのか」
ここはこの建物内にある一般開放されている食堂だ。アイクは入った時にワシントンを見かけたので迷いなく向かいの席に着き、ありがたく彼の目の前の皿に乗っていたサンドイッチの半分をもらった。
「部下たちの前では吸っていないのか」
そのことについて何も言わず、以前相談していた煙草について尋ねた。
「当たり前だ、あいつらに受動喫煙はさせられないからな」
アイクはサンドイッチについていたコーヒーすらも飲みながら答える。
「俺は違うのか?」
ワシントンは笑いながら尋ねる。
「お前の気に入っているところはその解毒体質だけさ、気にしなくていい」
サンドイッチの中に入っていた生の魚の刺身だけを抜き、皿へと戻す。
「お前と友人の条件は解毒体質であることか」
「あと、金を貸すことも忘れるな」
アイクがワシントンに金をせびる。
彼はポケットから財布を取り出し、札を二枚ほど渡した。
「いつまでも隠し通せるものでもないだろ」
アイクはもうバレてしまったことを言うか迷ったが、結局何も言わないことにした。
そしてワシントンがらしくなくアイクの身を心配したことに疑問を覚える。
「やめられたら困る、俺が吸えなくなるからな。通報されないようせいぜい首輪をつけておけ」
ワシントンは心配しているのは自分のことだけだと言う。
こいつは何があっても自分本位、そこが変わることはないし、それを変えられるものはこの世界にはいない。
アイクはポケットに入っている銀色の箱から二本の煙草を取り出し、一本はワシントンに、もう一本は口に咥えてそのまま食堂を去った。
*
「グッドモーニング、いい朝だ。顔色がよくないぞ?」
アイクはあれから何の連絡もなかったのでオフィスに変えることはせずにすぐに家へと帰り就寝した。
そんな元気百倍のアイクとは正反対に、若い部下たちは徹夜で調べ物をしていたので。憔悴しきっている。
「戸籍ともに生まれた病院は確認できました、ですが成績表の方はまだわかりません」
腕に顔をうずくめながらフランが答えた。
マイクも寝落ち寸前の顔だ。
「三人でやってまだとは。もしかして途中で寝てたのか?」
「あんたは快眠のようだな」
なぜかあまり機能と顔色が変わらないフーベルトがアイクにそう問いかける。
「寝つきはいい方なんだ」
だが彼がサボっていたと言うわけではないだろう。
アイクはフーベルトにも少しだけだが疲労の色があるのを見逃さなかった。
「ワットという成績表を書いたと思われる教師がいる学校のことですか、見つかったのは見つかりました。ですが彼はカイトのことを知らないというんです。なので、未だ見知らぬワットを捜索中です」
途中から眠ってしまったフランに代わりマイクが徹夜の成果を代弁する。
「・・いや、もういいぞ。それ以上は意味がない。では、解決への一歩を踏み出すとしよう」
そうやってアイクが議論を開始しようとしたら、彼専用の連絡ネットワークに魔力を感じた。
そのメッセージを確認し、するべきことの優先順位を入れ替える。
「時には現場の声を聞いてみよう」
そう言って、アイクはオフィスから出た。
*
「まだ見つかってないってどういうことですか⁈」
アイクたちが病室に入った時、小柄な女性が大きな声で看護師に詰め寄っていた。
アイクは面倒くさくなることを見越し、それを外から眺めていたがチームの狂犬フランが許さなかったので結局すぐに入ることになった。
「言葉は理解できるか?まだ見つかっていないとそう言っているんだ」
彼女に近づき過ぎないような距離から声をかける。
「あなたは?」
彼女が看護師からアイクの方へと目線を向ける。
「あなたの息子さんを探す手伝いをしている者だ」
アイクは身分を明かし、落ち着きを取り戻してもらおうとしたが彼女はまだ混乱状態だ。
「ただの散歩だったのよ、そんな遠くに行っているはずないわ」
彼女の様子は今にも、頭から血が噴き出しそうな勢いだった。
「・・・落ち着け、今あんたがしないといけないことは病院の中でわめき散らかすことじゃないはずだ」
とにかく興奮状態から抜け出させないと話にならない。
一言ずつゆっくりと伝える。
「簡単なことだ、すぐに答えれるし、悩むことでもない。しっかり聞け、お前の息子は実在しているのか?」
アイクの質問に意表を突かれたのか、先ほどよりは落ち着いたが黙ったままだった。
「・・・何を言っているのから理解できないわ」
彼女が考えていたことを口にする。
アイクはそうすることによって彼女自身に自分の状況を自覚させる。
「もう一度言おう、あんたの子供はお前の中だけのものではなく、俺たちにも視認することはできるかと聞いたんだ。正直に言うと、俺はあんたがイカれていると思っている」
「先生!」
フランが言いすぎだという表情で静止する。
だが制止するだけではアイクを止めることはできない。
だが、アイクの言葉が続くことはなかった。
なぜなら混乱状態から戻った彼女が初めて自分から口を開いたからだ。
「これだけ聞かせて。カイトの捜索は今もまだしているの?」
一縷の希望に縋るような声を顔でアイクに尋ねる。
「・・すでに終了した」
だがアイクは気をまわすことはなくその希望を打ち砕く。
彼女はそれを聞いた途端、彼女の中におある狭く小さな心の扉を静かに閉ざした。
「一人にさせて」
そう言われたアイクたちは何も言えずにその場を後にした。
※
そしてそのままアイクは右足を軸にして一回転し、来た道を引き返した。
そしてベッドの上に横たわって泣いている彼女の閉ざされた心の扉にペンチをかけ、無理やりこじ開ける選択をした。
「すまんが俺は天邪鬼なんだ。まだ情報が足りない、もう少し付き合ってもらうぞ」
「出ていってよ!・・・あ、い」
アイクが病室に戻った瞬間、母親はそういって頭を抱え始めた。
再び痛みが来たのだろう。
彼女が気絶する前に事件のことを話させる必要がある。
「おい、気を失う前に教えろ、カイトはすぐに消えたのか?それともゆっくりか?カイトが行っていた小学校は?友人はいたのか?なんでもいいから話せ!」
母親が何とか声を出そうとするも、擦れた空気だけが聞こえて音を紡がない。
そしてそのまま言葉を発することなく目を閉じてしまった。
そして何もできなかったアイクは、諦めたようにゆっくりとナースコールのボタンを押した。
*
「状況は変わらずだがヒントを一つ追加。母親は自身で自覚していない」
オフィスへと帰ってきた特捜部はそれぞれが自分の席についている。
「先生はあんな言い方しかできないんですか?」
フランがアイクへと突っかかってくる。
「できない。彼女の脳はかろうじて機能している程度だ。いつ活動を停止してもおかしくない。それまでに情報を引き出し、解決する。今あるヒントを整理しろ」
フランを思考から排除し、膨大な情報を並べる。
「0歳からですか?」
そう聞いたのは、アイクとフランの方を交互に見つめるマイクだった。
このまま話を進めていいかを迷っている。
「早くしろ」
アイクの言葉で事件に集中することに決める。
「0歳、ブランコにある病院で出産、小学校まで、保育園のような場所にも行っています。
これらは公的記録で残っていまし、証言とも一致する。問題はここからです、もし実在するなら、小学校に入学し、この学校は担任が年ごとでも変わらないことから、ワットという教師が今に至る年齢まで見ていたことになります」
マイクが出てきたヒントをかみ砕いて説明する。
「だが、記憶にはないそのうえ、その年の入学名簿も見せてもらったが、カイトという生徒の名前はなかった」
フーベルトがこの事件を発見したきっかけのことを話す。
つまり、カイトの存在は小学校入学時点から曖昧だということだとアイクは考える。
だが、それも確信するほどの情報はない。
全てを疑っていくしかないだろう。
「母親が精神魔法で病院側から協力していたら?」
マイクが病院もグルである可能性を探る。
「病院だけでならまだしも役人を簡単に騙すことはできない。戦前以前ならまだしもな。社会からの風当たりの強いシングルマザーには尚更無理だな」
アイクがそれは無理だと反証する。
「協力者説を考えるのはやめろ。あの母親にそれ程までの価値があるとは思えない」
例え、彼女のために書類を偽装したとしてもリスクとリターンが全く合わない。
ここに恋愛感情が混ざってきたら複雑だが、特別親しかったという関係者はいないと調査済みだ。
「幻影を伴い、視覚的にも影響する魔法。幻覚魔法は?」
声を出したのは先程からのことを根に持っていたフランだった。
「次の選挙では保守党より、革新派に投票するとしよう」
アイクは悪くないフランの意見を採用し、検査をするため母親の部屋へと行こうとするとドアにはワシントンが立っていた。
「何の用だ」
アイクが今は忙しいという意味を込めて声をかける。
だが、彼の予想とは反しワシントンがここに来たのは煙草を乞食に来たわけではなかった。
「母親が失踪した、存在しない息子を探しにな」
*
目覚めるには早すぎる、アイクはワシントンからの伝言を聞いてまずそう思った。
これが母親の強さとでもいうだろうか。
母親が失踪したと聞いたアイクたちは、それぞれで捜索に当たり建物を封鎖、護衛隊にも連絡をした。
建物中が混乱の中、アイクは一人で上の階へと行く。
彼には心当たりがあるからだ。
アイクの考え方は基本的に消去法で答えを出す。
もちろん、公式によって答えが効率的かつ最短で出せるに越したことはないが、それが通じない時はあらゆる可能性を潰し、最後に残ったものが答え。
その式と今回の情報を整理しながらラストピースを埋める為、屋上へと向かう
「人は考え事をする時、周りの情報を遮断する。この理由は他に囚われずに集中して考えたいからや、邪魔をされたくないからなど挙げられるが、どれも適切とは言えない」
「あなたは?」
「単純に一人になりたいからだ」
扉を開けた瞬間、気持ちの良い、透き通るような風がアイクを包み込む。
開放的な空間だ。
空にはこれ以上ないぐらいの青色が広がり、そのまま見ていると落ちていきそうな感覚に陥る。
視線を落とすと、建物の縁ギリギリに立って今にも落ちそうなところにいるカイトの母親がいる。
「どうやって来たの?」
「聞いて驚くな、この世界には魔法というものがあるんだ。」
それを切った彼女は少しだけ笑った。
ここに来るまでに執拗なぐらいのバリケードが築いてあり、魔法による特殊な鍵も掛けられていた。
だがそれはアイクを止めるほどの力はなかった。
「もう放っておいて」
アイクは返事をしない。
「いつだって貧乏籤を引くのは私だった。子供の頃、しょうもない喧嘩で両親が離婚したのが始まり、学生の頃に万引き犯のレッテルを貼られて退学。そんな私でも恋をしたと思ったら、相手にはたった一年で逃げられた。仕事すらうまくいかない私に残されたのは、腹を痛めて産んだカイトだけだった。しかも、あの子まで私が作り出した幻想だなんて言うの?もう笑えてくるわ」
全然笑える不幸の話ではない。
たが、このままだと落ちかねないのでアイクがついに声をかける。
「誰でも不幸は経験する」
「いいや、私以上は無いと言えるわね。周りの人は私のこの人生の不幸の8割も経験せずに生まれて、生きて、死ぬんでしょうね」
アイクは何を言ってもダメなような気がしてくる。
事件解決のためにも何とかして生きる希望を与える必要がある。
「だからどうした、俺に慰めてほしいのか、労ってほしいのか、そんな言葉は君の人生では飽和状態のはずだ」
彼女の心を埋めてくれる言葉はもうこの世にはないはずだ。気遣いも心配も彼女は望んでいない。彼女が欲しがっているもの、それは
「だから聞かせてよ、あなたの不幸話」
他人の不幸な話を聞いてボロボロになった心を何とか保とうとする。
アイクはすぐに頭の中でストーリーを組む。
「・・分かった。・・・俺には足の悪い弟がいるんだが、・・」
「嘘には敏感なの。次はないわ」
そう言いながら彼女は少しずつだが確実に危険な方へと寄っていく。
「・・何て女だ」
アイクは考え込む。
一朝一夕の嘘をつくにはリスクが高い。
だができるだけ自分のことは人に話したくはない。
頭の中で天秤にかけ、出てきた答えも実行する。
アイクは死にかけている女に冥土の土産を渡すことにした。
アイクは自分の身の上の話をした。
それで彼女が満足できるかは不明だったが、アイク自信では幸福だったと言える人生ではなかったからだ。
過酷な出生に始まり、幼少期からの戦争の経験、そこで経験した唯一無二の体験。
そして戦後に続く後遺症。そして今。
暗い人生のどん底にいる彼女に自分も同じ世界の住民であることを伝える。
アイクが語り終えるころには彼女は眠ってしまっていた。
うまく伝えられたとは言えないが、自分の人生の話が人を少しでも救うことになるとは全く考えていなかったアイクは落ち着いた気持ちはしなかった。
*
「あんたはもう助かりそうに無い」
ここは先ほどの部屋より広い病室だ。周りは生存確率の低い終末期の患者が集められている。
彼女はもう長くない。アイクがそう判断しここに移動させたのだ。
「よかった、そのほうがいいわ」
声に精気が灯っていないが、安堵したような声だ。もう生きるよりも、死ぬことを望んでいるようだった。
それを止めるようなことはしない。
それを選ぶ権利は各人あるからだ。
そして彼女はアイクの人生に共感を感じたのかは分からないが、この部屋への入室を許可した。
だんだんと呼吸が弱くなっていくのがわかる。
目がうまく開かなくなり、体に力を入れるのが難しくなる。
そんな中でも彼女は最後、アイクに一言だけこぼしてから気持ちよさそうに眠った。
「カイトのこと、頼んだわ」
*
「さて、原因解明の時間だ。俺以外にカイトの存在の謎について解明した奴はいるか?」
三人の部下たちは黙っている。つまりアイクの独壇場だ。
「いないようなので先に進もう。この問題は奴が消え始めた時期がポイントだ」
「小学校入学ですね」
フランが合いの手を入れる。
確かな出生記録があり、保育園の頃も存在が認知されていることから、まずそこまでは本物のカイトが実在していたと考えていいだろう。
「つまり小学校からのカイトは別物として考えるべき。消えた後、母親と担任の記憶に齟齬がある、そして成績表、制服残る謎はこれぐらいだ。一つずつ糸を解いていくぞ。まずは記憶違いだが、これは母親の意見を信じすぎないことだ。奴が本当にイカれていた場合そこから総崩れすることになる」
アイクは続ける。
「そして成績表に関してだが、朱印を真似るのはそう難しいことじゃない。そして制服だが、カイトはおそらく小学校入学前まで存在していた。だから、政府による制服配布問題もクリアだ」
「ならカイトはどこへいったのか。この地域の過去の事件簿を洗ってみたがカイトという少年の行方不明、もしくは死亡事件は取り沙汰されていない」
「残された選択肢は二つだが、母親が死んだことによって絞ることができた」
「答えはすでに家にあった」
*
「本当にあるのか?」
「アイクがそう言ったんだ、あるはずさ」
ここはかつてカイトとその母親が住んでいた家だ。
フランたちの三人で彼女の忘れ物を取りに来ており、そしてそれは庭に埋められている可能性が高いらしい。
この事件の中心であり、彼女の形見であり片身だったもの。
「やけに信用しているのね」
フーベルトがフランの想像以上にアイクのことを信用しているようだったので、少し違和感を持った。
「俺への態度は気になるが、アイクが優秀なのは認めるところだ」
その発言を聞いたフランは以外そのものだった。
フーベルトは意地でも人を優秀だと判断することはないような人物だと思っていたからだ。
上からではあるが。
「先越されたくせに」
「俺も残る選択肢は二つだった」
「あったぞ」
フランとフーベルトの会話を遮ったマイクが庭の中にあるものを見ながら言う。
そこには小学生低学年の子供ぐらいなら軽々と入れることができる黒い棺が入っていた。
アイクが言った答えはこうだ。
母親は小学校入学直前に息子を失い、追い詰められた心から無意識化で魔法を使い、カイトを創造した。
だがそれも不完全でありこのカイトは矛盾が起きないように母親にしか認識されないそ都合のいい存在でしかなかった。
そして無理してその魔法を行使し続けた結果、己の魔力の許容量を超え、脳が溶けてしまった。
*
フランはそれを確認した後、護衛隊へ連絡をしようとしたら自分のネットワークにメッセージが来ていることが分かった。
それと同時にフーベルトが口を開く。
「さっきアイクに先を越されたと言ったが、そう何度も俺の前を歩かせやしない」
その言葉を無視し、嫌な予感がしながらもそのメッセージを確認する。
「アイクは優秀だが俺の上に立つには奴では役不足さ」
なぜフーベルトが、そんな疑問と私はやっていないという自己弁護が頭を支配する。
護衛隊からのメッセージ、それが意味したのはアイクの煙草に関連する情報の流出だった。