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魔眼の魔女ライラ 〜口は災いの元〜

作者: 阪 美黎

 ライラを育てた魔女ベラが死んだ。

 死因は魔女集会(サバト)で興に乗り、薬物を摂取し過ぎたことによる心臓麻痺だ。

 年も考えずに勢いとノリだけで大量摂取したのだろう。

 サバトに参加した若い魔女からその知らせを聞き、呆れたライラはがっくり肩を落とした。

 魔女が自分で調合した薬で命を落としてどうする……。

 利己的ながらもベラは気の良い魔女ではあったので、彼女の死はライラに一定の悲しみをもたらした。が、すぐに現実的な問題が頭を過った。十四歳のライラは魔女としてはまだ独り立ちの準備が出来ていない。

「これからどうする?」

 知らせをくれた若い魔女に問われて、ライラは一瞬惑う。

 森の中の小さな小屋と薬園……ベラが残した遺産。

「ここを拠点にして、なんとかやっていくわ」

 ベラを失っても、身ひとつで放り出されないことには感謝しなければ。

「そう。頑張って」

 若い魔女は軽薄に励ます。

 名のある魔術師家系に生まれなければ、ほとんどの魔女は孤児として育つ。この若い魔女もどうにかして生き延びてきたのであれば、ライラに対する対応も軽くて当然。

「独り立ちしたらサバトにいらっしゃいな。じゃあね」

 彼女は薄く笑ってエニシダの箒に跨り、飛び去る。

「……乱痴気騒ぎで命を落とすのはごめんよ」

 若い魔女を見送りながら息を吐く。

 実感はないが、ベラはもういない。

 感傷的な気分に浸る間もなく、ライラの腹は無常に鳴る。

 ベラが死んでも腹は減るのだ。

「まずはお腹を満たさなきゃ。考えるのはそれからよ」

 ライラは小屋に入り、ひとり分の食事を用意するのだった。


 食後、早速始めたことは掃除である。

 魔女の家というのは狭いくせにとにかく物が多く、そして散らかっている。かといって勝手に触ったり片付けたりすると怒られるので、今の今まで手をつけられなかったのだ。

 ベラは若い頃、王宮薬師だったと市井の民が噂していた。権威を嫌って野に下ったとも。

 ライラはこれに懐疑的で、自身の評判をあげるためにベラが故意に流布した噂に違いないと思っている。金を稼ぐという意味では、ちゃっかりした魔女だったのだ。

 おおよそ小屋の中を整えると、ライラの気分も自ずとすっきりとしたものになってくる。

 さて、これからどのように生きていくか、真剣に思案しなければならないだろう。

「……ベラのように薬師の魔女として生きていくか、はたまた違う道を探すか……」

 別の道……と想像をする時、ベラが言い聞かせていた言葉が脳裏に浮かぶ。

『いいかい、ライラ。あんたが魔女として持つ力は本質的にあたしとは違う。だからこそ目立つんじゃないよ。じっとしてな。息を潜めて、つまらない魔女になりな』

「……つまらない魔女。どうやってなったらいいんだか」

 その方法を教えてくれる人はもういない。手探りの旅がこれからはじまるのだ。

 ちらりと奥まった棚にひっそりと置かれている魔法道具に目をやる。それは彼女が独り立ちをする時にベラが授けてくれるはずだったもの。禁断の魔術道具。

 あれを使ってみたい。でも、使えるような場所や場面に出会うことが稀。

 机に肘をついて、あれこれと考えを巡らせようとしていた矢先、あまり建て付けのよくない小屋の扉を叩く者があらわれた。

 ライラははっとして外套のフードを目深に被って立ち上がる。

 遠慮なくどんどんと叩かれる扉に近づいて、開きながら悪態をつく。

「あーあーもう!そんなに叩かなくても聞こえてるわよ!建て付けが悪いのに壊れたどうしてくれるの?!」

 直すのはわたしなのに!

 ムッとしながら対応すると、目の前に立っていたのは薄汚れた子供だった。

「お前が薬師の魔女か?……薬が欲しい」

 感情の乏しい声音で告げる子供は、薄汚れているだけではなく、ガリガリに痩せ、髪もまばらに伸びた浮浪児の風体だった。街に行けば浮浪児は珍しくもないが……。

「薬師ではないけど、薬ならあるわ。何が欲しいの?」

 ベラが残した薬はまだどの種類も豊富だ。

 こうやって、時々直接尋ねてくる人間もいるが、邪心持つ者は辿り着けず森で迷う。純粋に助けを必要とする者だけが通される不可侵の魔術が森には巡らされているのだ。

 薬の種類について尋ねると子供は困ったように返事をする。

「……わからない。俺にはどんな病なのか……」

「そう。なら病人について教えてくれる?具体的にはわからなくても、どういう状態なのかも」

「……俺の母のような人だ。熱があって、悪夢を見ているようにうなされてる。呼びかけても目を覚さない。どんどん弱っていってるように見える」

「怪我はしている?」

「……たぶん、ないと思う……」

 子供は小さく首を振った。

「そう……」

 庶民が得る病は、大概が風邪か腹下し、怪我や骨折が悪化した上での発熱などだが……。

 悪夢を見ているようにうなされて、目を覚さない……か。ちょっと、良い予感がしないな。

 ちらりと痩せ細った子供に目を向ける。

 歳の頃は十歳ほどに見えるが、存外しっかりしているようだ。

「手持ちはいくらある?」

 魔女は慈善事業ではない以上、払えるだけの仕事しか提供できない。

「……今はこれだけしかない」

 子供は荒れた手を広げて、落とさないように握りしめていた貨幣をライラに見せる。その少なさにライラは閉口する。

 パンひとつが買えるか買えないかの小銭。もちろん、これではどんな薬も買えまい。

 この身なりと小銭じゃ、街の薬屋には入れてももらえなかったんでしょうね。だから子供がひとりで来るには危うい森の中まで来たんだわ。

 粗末で穴だらけの靴には血が滲み、ここまでの道のりの困難さを物語る。

 子供は前髪越しにライラをじっと見つめている。

 ライラはこの子供に関わることに躊躇いを覚えた。

 ……どうしよう。この子の頭に……クラウンが見える……。

 薄汚れた子供の頭上に、不釣り合いな王冠(クラウン)が鈍い光を放っている。

 どういうこと?一体何者なんだろ、この子。

 こんなものを見るのは初めてで、ライラは大いに戸惑った。

 ライラの持つ力の特異さはまさにこれで、人間の本質が彼女の眼に映り込むことがある。大概は我欲に塗れた汚いオーラや取り憑く悪霊の類だが、ごくたまに眩い光を放っている者もいる。

 困った。目を背け、見捨てるのは容易い。でも、このクラウンは……気になる。

 そこでライラは視点を変えてみた。

 ベラがいなくなって、わたしもこれからどうやって生きていくか考えてた途中。……もしかしたら渡りに船かもしれない。……可能性を広げるためにも、やってみるか。

 小さく息をついてライラは告げる。

「その程度のお金じゃここでも薬は出せないわね」

「……そんな」

 子供は愕然と呟いたが、ライラはすぐに提案をする。

「でも、いい方法があるわ。私をその人のところに連れて行って。治せるかどうかわからないけど、診てあげるから」

 その言葉に子供は一瞬戸惑ったものの、すぐに頷いた。

「ちょっと待って。準備する」

 ライラは小屋の中に引き返すと、カバンに必要なものを詰める。と同時に、奥まった棚から埃を被った件の魔法道具を掴む。

 ベラは一度も使うことがなかった、神秘の札(アルカナナード)。アルカナカードは占術者が用いる道具だが、別の使い道もある。

「独り立ちの時よ。少し予定が早まったけど、もらっていくわねベラ」

 箱ごとカバンに突っ込み、小屋を出る。

 ついでにライラには小さくなった靴を掴んで。

「その足、そこの川で洗って化膿しないように手当して。あとこれ靴。もう使ってないからあんたが履きなさい」

 ツケにしておいてあげるから、と冗談ごかして子供に声をかけると、戸惑いながらもおずおずと頷いた。

「あんたいくつ?」

「……たぶん、十二」

「え、わたしより二つ下?」

 もっと幼く見えるが、これは栄養状態がよくないのだろうと思った。

 怪我や手当に慣れているのか、ライラが手を貸さなくても子供は自分で器用に済ませる。

「……箒に乗っていかないの?」

 ライラが箒を手にしていないことが気になったのか問いかけてくる。

「魔女が全員箒に乗れると思ったら大間違いよ。あれはあれで才能がいるの。わたしにはなかったみたいね」

 あっけらかんと告げると、子供は今更のようにライラを訝しむ。

「……お前、本当に魔女?」

「そのつもりだけど」

「……」

「わたしはライラ。あんたは?」

「……レナって呼ばれてる」

「レナね。じゃあ行きましょうか」

「うん」

 子供が先導する形で、ふたりは移動を開始した。


 森を出て農村を抜け、広大な耕作地帯をひたすら歩くと、城門が見えてくる。

 王都からは離れた地方都市だが、ライラには巨大なアリの巣のように見えている。

 夜になると閉じられてしまう門をくぐり、レナの後ろについていくと、想像した通りの悪臭漂う貧民街にたどり着く。

「ずっとここに?」

「……三年前くらいにここに辿りついたんだ。あちこち転々としてたけど、ここは長い方だよ」

 やってきたのは壁にいくつもの穴が空いた粗末な集合住宅。

 蝋燭の灯りがある方が珍しく、ほとんどの者は夜はただ暗闇の中で生きている。

 レナが暮らしているであろう家は、家財道具が乏しく、ネズミが這いずる賤が屋だった。

 ……部屋があるだけ、まだマシか。

 ボロボロの寝台の上に女性が寝かされている。

「あの人ね」

「うん」

 ライラはカバンから蝋燭と小さな燭台を取り出し、杖を振って火をつける。

 ぼんやりと部屋の中に灯りが満ちて、寝かされている女性に近づく。

 つぎはぎの衣服には汗が滲み、苦労が刻まれたシワだらけの顔は歪み、目覚めることのない夢にうなされていた。

 額に触れると確かに熱はあるが、病の臭いがしない。それどころか。

 ライラは険しく眉を寄せる。

 病なんかより、もっと質が悪いわ。

「……どう?治せるの?」

 心細気にレナに問われてライラは「どうかな」と呟いた。

「この人、呪いを受けてる」

「えっ?」

 思わぬ返答にレナは声をあげた。

「の、呪い?!」

「そうよ。この人に黒いモヤが巣食ってる。生命力を奪って死に至る呪いね」

「な、なんでそんなことがわかるの?」

「見えるから」

「え?」

「わたしには見えるの。そういうモノが」

 常人が見えないものが見える。それは呪いの類も同じようにライラには看破できてしまう。

「いつからこの状態?」

「……三日くらい前。少しずつ調子が悪くなって、動けなくなった」

「……育っててくれたって言ってたけど、この人、あんたのお母さん?」

 尋ねるライラに、レナは一瞬惑い、そして言う。

「……違う。本当の母親はよく知らない。マリアがずっと俺の面倒をみてくれてた」

 レナは心配げに目を落とす。

「マリアはよく働いて、俺を育ててくれた。もう俺にはマリアしかいない……なのに俺は薬も買えないくらいの日銭しか稼げなくて……」

 不甲斐なさや遣る瀬なさを口にするレナをライラはじっと見る。

 こんな部屋で、絶望しか漂ってないのに……やっぱりあるのよね、この子の頭にクラウンが……。

 クラウンなんてものを頭上に輝かせている人間が、こんな貧民街(はきだめ)にいることにこそ違和感がある。

 踏み込むことをためらったが、ライラは好奇心に負けて聞いてしまう。

「……あんた、貴族の子供か何か?」

「……っ……!」

 はっとした様子でライラをレナは見上げる。その細い体を緊張で震わせて。

 だがすぐに顔を逸らす。

「……違う」

 虚をつかれたからか、否定する声が震えていた。

「本当に?これはわたしの見立てだけど、その人の呪い、もとはあんたにかけられてるものよ」

「……?!……俺の……?!」

「あんたは……そう、生まれつき邪悪なものを寄せ付けない徳を持っていて、呪いも弾いてしまうの。そのかわり、近くにいる人間が呪いを受ける。……あんたを生かすためにね」

 頭上にあるクラウンが彼を守っている。選ばれしものの証とばかりに。だがその分、災禍は身近な者へと降りかかる。皮肉なもので。

「……そんな……」

 レナは膝を崩れさせて、その場に座り込む。

 レナ自身、どうしていいのかもうわからないのだろう。

「あんたが生きてることを快く思わない人間がかけてる呪いね。どんな恨みを買ってるのか知らないけど、かなり根深いわよ。こういうの、貴族とか王族にかけられるものだって教えてもらったことがある。だから身を守るために貴族は魔術師を雇ったり、王族には王宮魔術師がいるんだって」

 反面、彼らは忌む者へ呪いをかけるためにも存在している。

 だからこそ、ライラはこんなものに近づくなとベラは警告をしていたわけだが。

 そこまで説明をしてレナはぽつりと語る。

「……俺もよく覚えていない。ぼんやりと、どこかの立派な屋敷にいた記憶がある。でも、ずっと夢だと思ってた。自分が何者かなんて、知らないんだ……」

 レナは呟く。

「俺が死ねば、マリアは助かる?」

「一度弾かれた呪いはあんたに戻ることはない。あんたが死んでも、その呪いは解消しない」

 ライラはレナを覗き込む。

「このままだと、この人は近いうちに死ぬ。でも、運が良かったわね」

「?」

「わたしは、助けらると思う」

「……っ?!……本当?」

「うん。……でも、あんたはわたしに何ができる?」

「え?」

「わたしは魔女よ。聖女様じゃない。対価もなしに仕事はしない。しかも、これはかなり大きい仕事。あんたは、わたしに何を差し出せるの?」

 ライラは外套越しに、じっとレナを見つめて問いかける。

 この世界は、貧民にも子供にも優しくなどできていない。彼はその理不尽な社会の中で辛酸を舐めて生きて来た。もしかしたら貴族の子供として満ち足りた生活があったかもしれない。その儚い夢に縋ることもなく、苦労を重ねるマリアを助けるために日銭を稼ぐ日々だった。早く、大人になりたいと思っていた。

 レナは唇を噛みながらも、ライラを見返す。

「……マリアが死ぬくらいなら、俺が死んだ方がいい。……あんたに、俺の命を売る」

「本気?」

「……もう奴隷になるか、どこかの豚野郎に体を売るくらいしか道は残ってないんだ。俺の命で足りるなら、安いもんだよ」

 強い決意の言葉にライラはふっと笑った。

『自己犠牲』

 もっとも尊い献身の言葉に、彼の頭上のクラウンはより輝きを増す。

「……別に売らなくていいわ。単にあんたの覚悟を知りたかっただけだから」

 ライラは肩をすくめると、鞄に詰めたアルカナカードの箱を取り出す。

 金銀に彩られた豪華な占者のカードは全部で七十八種類。その中から悪魔と死神、剣の十のカードを抜き取り、目深にしていたフードを取り払う。

 そこでレナはあらわになったライラの瞳の色に目を見張る。

 ライラの双眸は青いが、その中でキラキラと虹色に輝いていた。

「……その目……」

「魔眼よ。……気持ち悪いでしょ」

 魔眼を持つ魔女は、希少だ。

 強い魔力を秘め、慧眼、千里眼の能力が備わっている。ライラが呪いやオーラが見えるのは、この特異な瞳を持つが故だ。

 魔眼を持って生まれた彼女は、忌み子として森に捨てられた。そこでベラに拾われ、養育されたのだった。

 苦笑しながらカードをマリアに近づけて掲げ、声に意志を込める。

「我れ、魔眼の魔女ライラが命じる。執着の『悪魔』、死と再生を促す『死神』……その神秘の力を我が前に顕現させよ。かの女、マリアに巣食う呪いを取り出し、我が前に示せ!」

 魔眼が燃え上がるように輝き、カードは力を宿す。

 カードから異形の悪魔と髑髏の騎士が現れ、マリアを見下ろす。

 死神が糸を掴むようにモヤを手繰り寄せ、悪魔がそれを形にしていく。

 悪魔の手の中で、黒く禍々しい塊が形成され、醜く蠢く。

「……あれが、呪い……?」

 生き物のように蠢き、ぞっとする気配を発するそれにレナは震えた。

 ライラは三枚目のカード、剣の十を手にしてそこに描かれている剣に触れて具現化させた。

 彼女の頭上に十本の剣が放射状に並ぶ。

「術者に呪いを返し、彼の女、マリアに黄金の夜明けをもたらせ!……己が呪い、とくと味わえ!」

 ライラは魔物の手の中の蠢く呪いへ向かって指差し、顕現した十本の剣に命じる。聖なる力を持つ十本の剣は蠢く呪いを鋭く貫き、破裂するように飛散した。

「……っ……」

 驚いたレナは咄嗟に目をぐっと閉じた。

「レナ、終わったわ」

 ライラに声をかけられて瞼を開くと、異形の悪魔も髑髏の騎士もいない。剣もすっかり消えている。

 先ほどまでうなされていたマリアも苦しみから解放され、安らかな呼吸を取り戻していた。

「……呪いは、消えたの?」

「呪いってものは厄介で、役目を終えるまで消えないの。だから送り返した。……どこに還ったはわからないけど」

 これは尋常でなく強い呪いだった。

 レナには伝えないが、呪いを返された術者は無事では済まないだろう。

「……マリアはもう大丈夫?」

 ライラはカバンから護符を取り出すと、マリアの手首にくくりつける。再び呪いを受けないようにするためのお守りだ。

「……三日も呪いを受けたらどうしても衰弱はする。回復には時間がかかるでしょうね」

「そうか」

 それでも安堵したようにレナは頬を緩めた。

「…………」

 ライラは粗末な机の上に布を敷き、そこにカードを広げてかき混ぜる。

「ライラ、何をしてるの?」

「占うのよ。あんたをね」

 ライラはレナのクラウンに惹かれた。そしてこの場にやってきたことは、単なる偶然ではないはずだ。

 レナの徳がライラへと導き、マリアを救う奇跡を得たのだとしたら……彼のクラウンが意味するものを占わずにはいられない。

「……俺を?」

「そう。本来はこうやって占いに使うカードなの。さっきのは、特殊な使い道」

 ライラの魔眼がカードに特別な力を与え、使役する。誰もがあれを成せるわけではない。

 カードを手際よくカットして手順に則り、一枚ずつ引く。

「……『力』……『正義』……『節制』……」

 レナの頭上に浮かぶクラウンが示すもの。残すは、『知恵』のみ。

「枢要徳のカードが三枚も。……あんた本物ね。そのうち貴族に戻っちゃうかも」

 呆れて笑うライラにレナは意味がわからないという顔で首を傾げた。

「……さて、そろそろ夜明けだわ。森に帰らないと」

 道具を片付けてカバンにしまう。

 賤が屋を出ようとするライラの外套をレナは慌てて掴む。

「待って!」

「何?」

「……その目、気味悪くなんかない。すごく、綺麗だと思う」

 子供らしい素直な感想に、ライラは笑った。

「……ありがとう。でも誰にも言わないでね」

「言わないよ、絶対」

「よろしく。じゃあこれで……」

「待って!」

「……今度は何?」

「まだマリアの礼をしてない。あんたに俺の命を売ると言ったじゃないか。何をすればいいか教えてくれ」

 この律儀さで、よく今まで生きてこられたものだとライラは再び呆れながらも感心し、少し考えてから告げる。

「……そうねぇ。あんたが占いの通り貴族にでもなったら、わたしに三食昼寝付きの優雅な奥方暮らしでもさせてちょうだい」

「え?」

「なーんてね」

 ライラはあははと笑う。

 レナのクラウンに惹かれたとはいえ、ここへ来たのは半分自分のため。今の自分に何ができるのか確かめて、自信を得たかったから。

 ベラがいなくても、これでなんとか独り立ちできそうだと確信できた。だから今は気分がいい。気分がいいから、お代はもらわない。

「じゃあね、レナ。マリアを大切にね」

 対価を求めず鮮やかに去っていった魔女にレナの方が呆気に取られる。

 奪われることしか知らなかったレナにとって、押しかけてきた子供の彼に靴を与え、マリアの呪いも送り返し、対価を求めず笑って済ます人間がいるなんて信じられなかったのだ。

「……変なやつ……」

 貴族になったら優雅な暮らしをさせてくれとは、一体どんな見返りなのだ……。

 貴族になんて、なれるわけがないのに。

 果たされるはずのない夢物語の約束。

 ……それでも。

 キラキラと虹色に煌めくライラの魔眼は鮮やかな記憶となって、いつまでも心で輝き続けるだろう。

 同時に、小さな野心が芽生える。

 その野心に呼応するように、彼の頭上にある見えないクラウンが強く光を放ち始めるのだった。



 その夜、王都の宮殿でひとりの女が死んだ。

 国王の妻、皇后だ。同時刻、国王と彼女の一粒種である皇太子も命を落とした。

「……これは呪い返しですなぁ……。強い呪いをさらに強い力で返されて、皇后陛下とそばにいた皇太子殿下に降りかかったようです……」

 老いた宮廷魔術師が胸部の潰れた皇后と、その王子の亡骸を見分し、王に告げる。

 皇后の体には、鋭い刃で刺突された深い傷があった。その数、十。だが凶器はどこにも見当たらない。

「……呪いか」

「はい。民には秘しておりますが、皇后様は魔女。……おそらく……かつて陛下が寵愛し、王宮を追われた女官の子を呪ったものと思われます。子を呪うのは厄介な術。返されれば術者だけではなく、我が子にも因果が及ぶ諸刃」

「……」

「呪いを返されることは想定していなかったのでしょう。慢心や油断があったのかもしれませぬが、ご落胤には、強き魔女が味方についておるのやもしれませぬぞ」

「あれはまだ生きておるということか」

 王宮を追われた女官は、王が用意した離宮に身寄せたがそれもすぐに皇后の知るところとなり追い出された。それから行方知れずとなり、彼女も子供も生きてはいないだろうと考えていたのだが。

 王子の存命を察し、皇后は執拗に彼の命を狙っていたのか。

「……おぞましい女だ」

 気位の高い皇后の嫉妬心は凄まじく、夫が手をつけた女たちをことごとく王宮から排除した。

 王はこれに辟易していたが、皇太子を産み、皇后となった彼女を軽んずることもできず、また彼女の一族の専横も目に余る一方だったのだ。

 皇太子亡き今、目障りな外戚を排する機会を得たと見ていいだろう。

「……呪いは皇后が勝手に致したこと。余には関わりなきことだ」

「御意でございます」

「皇后と皇太子は、急な病で身罷った。それでよいな」

「御意」

 老魔術師は深々と頭を垂れる。

 王は皇后と皇太子の亡骸に情を手向けることもなく立ち去り、控えていた近習に告げる。

「……市井に下りし我が王子を探せ。レナードを」



 ※



 そして五年の歳月が流れた。


 十九歳となったライラはベラの小屋の主となって、気ままに暮らしている。

 方々の街や宿場、農村に出かけては、庶民相手に簡単な薬や護符を売り、占いをして小さく稼いでいる。

 魔眼を隠して、ベラが望んだ通りのただのつまらない魔女として。

「……さて、次はどこの街で小銭を稼ごうかなー。観光兼ねて、一度王都に行ってみるのもありかもね」

 そんなことを考えながら、アルカナカードを切る。

 呪い返しをして以来、金銀に彩られたカードは使っていない。あれは王宮魔術師が使うエルフ族が作ったアルカナカードであることを他の魔女から教えられた。

 ベラは一体どこで手に入れたのか。……ベラが宮廷薬師だったのは、あながち嘘ではなかったのかもしれない。

 現在、主に使っているのは、街の裏路地に店を連ねる魔法道具店で買い求めた、安物の既製品カード。

「……ワンドの四、カップの二……さらには恋人たち……?……ええ?」

 どのカードも悪くない。むしろ良い。しかし……。

「……これじゃまるで、恋愛成就じゃない」

 恋占いをした覚えはないんだけど?

 ライラが首を捻ると、外で馬の嘶きが聞こえる。

「……誰か来た?」

 立ち上がると、建て付けの悪い扉をどんどんと叩く主が現れる。

「はいはい……」

 フードを目深にかぶって、扉を開けるとうんざり告げる。

「小さい小屋なんだからそんなに叩かなくても聞こえてるわ。扉が壊れたらどうしてくれるのよ。直すのはわたしなのよ。……で、ご所望は薬?護符?それとも占い?」

 息を吐きながらフード越しに相手の顔を見る。

 すると目の前には、清潔で仕立てのよい身なりをした、プラチナブロンドの髪が美しい、すっきりと整った顔立ちの少年が立っていた。

 貴族だろうか。年の頃はライラとあまり変わらないようだが。

 彼は微笑し、口を開く。

「扉の立て付けは、相変わらずよくないんだね」

「…………え?」

 育ちのよさそうな少年はこの小屋やライラを見知っているようだが、彼女には覚えがなかった。

 彼は改めてライラを見つめて告げる。

「約束を果たしに来た」

「や、約束……?」

「忘れたの?……五年前、貴族になったら三食昼寝付きの優雅な暮らしをさせてくれと言ったのは、ライラじゃないか」

「……っ?!」

 ライラは混乱した。一度だけ接点を持った子供。すっかり忘れていた記憶が一気に蘇ってくる。

 そういえば。そんなようなことを冗談めかして言った……気がする。

「あ、ああ……あんた、確かえっと……レ、レナ?!だっけ?あの痩せっぽちで薄汚かった子供の……?!」

 当時の彼は汚れすぎていて、容姿などまともに覚えてはいない。砂と埃、垢は肌はもちろん、髪色さえ濁らせていたのだから。

 ライラは上から下まで眺めて、瞬きを繰り返す。

「すっかり見違えたわね!あの頃の面影が全然ないじゃない。立派になって!」

「ライラはあまり変わらないね」

「あんたが変わり過ぎなのよ」

「そうかもしれない。背も伸びたし……。ライラ、私の本当の名前はレナード。あれからすぐに王宮から私を探す者が現れて、マリアが私の証人となって王に接見した。すぐに王子の身分が保証されたよ。……まさか、私が王子だったとは思わないじゃないか。青天の霹靂とはまさにあれのことだった」

「?!……貴族じゃなくて、あんた王子様だったの……?!」

 優れた徳を持つ、選ばれし者であることは察していたし、彼の頭上にクラウンが見えていたとはいえ、彼女とてまさかあのレナがうらぶれた王子だったとは思わない。

 貴種流離譚を地で行く少年がいるとは。

 だがなぜだろう。彼の頭上にはもうあのクラウンが見えない……。

「産みの母は、私をマリアに託して修道院へ出家していた。……そのマリアは、あれから二年後に儚くなったよ」

「……そう……」

 それまでの心労と、呪いで生命力を削られた影響もあったかもしれない。だが彼が王子として王宮に迎えられたことで彼女の苦労は報われたと信じたい。

「ここには誰と来たの?従者の姿が見えないけど」

「私ひとりだよ」

「王子なのに?供も連れてないの?危ないじゃない」

「ああ、問題ない。廃嫡されてきたから」

 一寸の間。

 静かな森の中で、彼の愛馬であろう白馬が鼻を鳴らす。

「えぇーー?!廃嫡?!どうして?!」

 せっかく王子になったのに?!

「国内の令嬢や、隣国の姫との縁談がいくつも持ち上がって、彼女たちを妃に迎えろとせっつかれてね。でも、私はライラのものだから結婚なんてできるわけがない」

「は?!」

 何を言ってるの?!

「マリアを助けてもらった時、対価として『俺を売る』と君に言っただろう?魔女に立てた誓いを違えることはできない。弟たちもいることだし、世継ぎには困っていない。だから正直に父上に申し上げて、廃嫡を願い出た。……で、そのままここへ来た。……ひとりはいいね、空気が軽い」

 臣下も従者たちもこぞって彼を諌め、引き留めたが決意は固かった(絶句する父王も見られて満足した)。

「待って!あれは単にあんたの覚悟を試しただけだし、一瞬でも迷ったら見捨てるつもりだったのよ?!」

 焦って告げるも、レナ……いや、レナードは朗らかに笑うだけ。

「そうかな。きっとライラは見捨てなかったよ」

「そ、そんなことわからないじゃない。魔女は気まぐれにできてるのよ」

 そこまでお人よしになったつもりもない。

「結果として君は助けてくれた。王子ではなくなったから貴族にもなれそうにないけど、三食昼寝付きの優雅な暮らしをライラに提供できるくらいに甲斐性はしっかり身につけて来たつもりだから」

「つもりだから?」

「安心して私を押しかけ夫にさせてほしい。……もう帰るところもないから。ね?」

 律儀さはそのままに、宮廷で身につけた強かさで見返して来る。爽やかに笑って。

「お、押しかけ夫って……」

 そういえば、先ほどカードで出た結果は、恋愛成就……。ま、まさか、ね……?

「……あんたは王の器よ。王位継承権を放棄してくるなんて、正気の沙汰じゃないわ」

「私は正気だよ。もしかして、王でなければ私を受け入れられない?……なら仕方がないな。王座を簒奪してくるけど、どうする?」

 野原で花を摘むような気軽さで簒奪を語るレナードに青ざめる。

「しないで!しないでいいから!やっぱり正気じゃないじゃないわね?!」

 レナードの頭上からクラウンが消えてしまったのは、もしかして……わたしの所為なの?

 枢要徳。

 あの浮浪児同然の時ですら力、節制、正義の徳を持ち、そして王子となって欠けていた知恵を王宮で得た。

 この国の希代の王、名君として後世まで語り継がれる資質を兼ね備えていたのに、その栄光をむざむざ捨ててきたというのか。あんなとるに足らない口約束のために、あっさりと……。

 く、狂ってる。

 ライラは目眩がする。

 そういえば、昔ベラが言ってた。

『いいかいライラ。男に余計なことは言っちゃいけないよ。それは言霊となってあんたやそいつを縛るからね。下手うってどうしようもなくなったら流れに身を任せな。もがけばもがくほど、物事が拗れちまうよ』

 ああ、口は災いの元。ベラが言ったことは本当だった。

 これはわたしが自分で招いてしまった因果ってわけね……。

「……。もういいわ。……とりあえず中に入ったら?わたしにも半分責任があるみたいだし、先のことはこれから一緒に考えましょう」

 流れに身を任せるにしても……元王子との共同生活など、聞いたこともない話だ。

 途方に暮れながらライラは被っていたフードを取り払い、レナードを小屋に招く。

「ほら、いらっしゃい」

 あの頃よりも少し大人びたライラの魔眼に誘われて、レナードは上機嫌に頷く。

「うん」

 時を隔てて実現させた、これから始まる彼女との日々に胸を躍らせながら。




拙作をご覧いただき、ありがとうございます。

2025年の年明け頃に書いたものなのですが、ちょっと放置状態になってました。のでやっとアップ。

ここからライラさんとレナードくんを主軸として物語(の続き)を展開させていっても楽しそうだなと思ってます(第一話というか、序章という感じですかね、この短編の段階では)。


少しでも楽しかったなーと思ってくださったら、励みになりますのでリアクション(?)や高評価等をくださると嬉しいです。よろしくお願いします(ぺこり)。

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