第四十一話 ルシフェル
2010年
「今日からみなさんの友達になる了司飛鳥さんです。仲良くしてあげてください」
芦原蒼龍の小学校に、一人の少年が転校してきた。病的なほどに色が白く小柄で細身の少年だ。交通事故で両親が死亡し、飛鳥自身も重傷を負って半年間入院していたらしい。身寄りの無くなった飛鳥はこの地域の児童福祉団体に引き取られたのだ。
「芦原蒼龍だよ!よろしく!」
空いている席に座った飛鳥に、隣の席の少年が右手を差し出してきた。小学生で握手を求めるようなことは普通ないのだが、幼稚園の頃から熱中していたサッカーでは常に握手をする事を指導されていたのだ。
握手をすると相手の手の温かさが伝わってくる。それは手のふれあいというだけで無く、なんとなく心と心のふれあいのような気がするので蒼龍は握手が大好きだったのだ。
性格も趣味も全く異なる二人だったが、一緒に居ると何故か楽しく話が弾む。蒼龍はサッカーの話やアニメや漫画の話を楽しげに話し、飛鳥はいつもそれを聞いて頷いていた。飛鳥の話題は音楽や芸術の話が中心だった。小学生とは思えないほどの落ち着きと博識があったので、蒼龍は飛鳥のことを尊敬のまなざしで見ることが多かった。
「えっ?蒼龍もピアノ弾けるの?」
「うん、3年生の時までピアノを習ってたんだけど、サッカーが忙しくなってやめちゃったんだ」
「じゃあじゃあ、一緒にピアノ弾こうよ!」
二人は昼休みに音楽室に忍び込んだ。勝手にピアノを弾いてはいけないことくらい小学生にでも解る。でも、この時は二人で一緒に何かをする“楽しみ”にあらがえなかったのだ。
そして二人は音楽の教科書にも載っているJ-POPの曲を奏でた。そしてそのリズムに合わせて歌詞が口から漏れてしまう。
蒼龍と飛鳥はまるでこの曲の歌詞のようだ。どこで生きてきたのかお互いに知らない。家族を失い心細くて風の中で震えていた飛鳥。サッカー選手になる夢を追いかけて走って転んだ蒼龍。そして二人はめぐり逢った。
「ぼくが縦の糸なら蒼龍は横の糸だね!二人いれば何でも出来るような気がするよ!」
飛鳥は滅多に見せない笑顔を蒼龍に向けている。両親を事故で失った深い悲しみは蒼龍には解らない。でも、飛鳥の見せる笑顔はその悲しみを乗り越えてくれるような気がした。
「ぼくね、サッカー選手になりたいんだけど実はもう一つ夢があるんだ。宇宙船を作って銀河系を探索してみたいんだよ!飛鳥は頭良いから、一緒に宇宙船を作ってくれないかな?二人なら絶対出来ると思うよ!」
そして時は流れ、芦原蒼龍は自衛隊に、了司飛鳥はJAXAに就職した。
2032年9月
「蒼龍、どんな感じだ?」
了司飛鳥は芦原蒼龍のいる加速器棟から30キロメートル離れたシンクロトロン研究棟でモニターを眺めていた。
飛鳥のいるシンクロトロンが稼働し、陽子が加速を始めた。その陽子は地下に埋設された直線加速器を通って30キロメートル離れた蒼龍のいるヒッグス粒子加速器に入射される。
「ああ、順調だよ。シンクロトロンから陽子が送られてきたら、確実にマイクロブラックホールが生成されるはずだ。これで俺たちの夢に一歩近づくことになる」
飛鳥はその蒼龍からの返答を聞いて胸が締め付けられた。なぜなら、その夢が叶わないことを知っているのだ。
飛鳥の研究棟から送られる陽子には、実験の仕様書には無いエネルギーが付加されていた。2032年の技術力では検知することの出来ない究極のエネルギー。それは、飛鳥の術式によって生み出された霊子力だった。
そして、時空を歪める魔方陣の形に建設された研究施設によって芦原蒼龍の魂は過去の世界に送られた。送り先は1901年の高城梅子の子宮の中。本来は流産となるはずだった胎児だ。
時空に干渉したことによって、蒼龍の送られた世界はこの世界とは別の歴史を作り出すことだろう。
「蒼龍、お前の力でニンゲンの世界を救ってくれ・・・・」
◇
2039年
『そうか・・・。お前ならニンゲンを見捨てるようなことは無いのだろうな・・・・。ならばここで雌雄を決する以外には無い!私を斃してから元の世界に帰るが良い!』
「“お前なら”だと?どういうことだ?」
『知りたければ私を斃すのだな。これからが本当のアルマゲドンだ!』
ルシフェルは地上に残っていた悪魔達を月に呼び寄せた。何十万もの悪魔の大群が群れを成して迫ってくる。衛星軌道上の地球艦隊はその悪魔達に全力攻撃を開始した。その激しい攻防は人類最後の戦いにふさわしいものだった。
◇
『どうして・・・どうしてこの“解”しか見つからないの?』
アナスタシアは元の世界に戻る方法を探すため、3411京回ものシミュレーションを実行していた。そしてその結果、元の世界に戻る方法が12通り発見されたのだ。しかし、そのいずれもアナスタシアにとっては耐えがたい“解”だった。
『蒼龍、元の世界に戻る方法が見つかりました。これからその候補を送ります』
月面で大悪魔達と戦いをしている高城蒼龍の元へアナスタシアからデータが届く。戦い自体はリリエルがしてくれているので、高城蒼龍にはそのデータを検証する余裕があった。
「アナスタシア、でかしたぞ、と言いたいところだがこれ以外に方法は無いんだな・・・」
『はい、蒼龍。12パターンの候補がありますがそのいずれも同じ触媒が必要となります』
アナスタシアの表情こそ解らないが、その言葉からは腸を引きちぎられるような苦悩が伝わってきた。
「わかった。気にするな、アナスタシア。まずはパンデモニウムを呼び出させれば良いんだな」
『はい。パンデモニウムの霊波を射手座方面から感じます。霊波の強さから冥王星軌道近辺でしょう。おそらく神との最終決戦のためにパンデモニウムを温存しているのでしょうが、別世界への大規模転移にはパンデモニウムのオリジナル大型霊子力炉が必要です。ルシフェル達を追い詰めてパンデモニウムを呼び出させてください。それと、転移の瞬間までルシフェルを斃さないようにしてください』
「ルシフェルを相手に手加減しなきゃいけないのか・・・。かなり辛いな・・・」
◇
『私がもう一人居る・・・・・』
南米に居たこちらの世界のアンドラスは、自分自身と全く同じ霊波を発する存在に気付いて混乱していた。その近くには堕天したと思われるリリエルの霊波も感じられる。
『ルシフェル様から呼ばれている・・・。別の世界から来たリリエルと私を斃せと言うこと?』
◇
「それしか方法が無いのね・・・」
「ああ、リリエル、すまないな」
「あんた、本当にすまないって思ってる?全然そんな感じじゃないんだけど?」
アナスタシアから送られてきたデータをリリエルに簡潔に説明をした。データ自体はロキを通しているのでリリエルも見ることは出来るのだが、ルシフェルと戦っているため詳細を確認することは出来ていなかったのだ。
「深刻な声で状況が変わるんだったら深刻な声を出すよ。でも、それしか方法が無いんだから仕方ないだろ」
『リリエルさん、何度シミュレーションしてもそれ以外の“解”が見つからないのです・・・・』
高城蒼龍とリリエルの声色とは対照的に、アナスタシアの声だけは悲痛な響きがある。
「気にしないでよ、アナスタシア。あなたのせいじゃないわ」