第三十七話 滅びゆく世界
2039年
ホワイトハウス イーストウイング 地下核シェルター
PEOC(大統領危機管理センター)
「大統領、空母W・J・クリントンが轟沈しました。これで合衆国の水上戦力は完全に壊滅です」
「ノーラッドからの通信が5分前より途絶えております。おそらく壊滅したものと・・・」
約24時間前、突如として世界中にラッパの音が木霊したのだ。そして、そのラッパが七回吹き鳴らされたとき、空から無数の天使と悪魔が現れた。天使と悪魔の大軍は地球の空を瞬く間に覆い尽くしてしまった。そして無慈悲な戦いを始める。
黒く禍々しい悪魔達は地上に降り立ち、人々を襲いはじめた。ヒグマくらいの大きさから20メートルくらいの悪魔は、人々を追いかけて楽しむように蹂躙していく。それより大きい悪魔は口から咆哮を放って、人類が築き上げた町を破壊していった。
同時に現れた光り輝く天使達は悪魔と戦いを始める。しかしそれは人々を守るという事ではなく、そこに存在する人間が見えていないかのような戦い方だった。
「天使は・・・神は人間の味方では無いのか?」
次々にもたらされる悲劇的な情報に、アメリカ合衆国第50代大統領ジョナサン・F・アーチャーは左手で自身の額を強く握りしめ、悲痛な表情を浮かべていた。
「自称“預言者”達の言っていたことは事実だったのか・・」
数年前から天使に啓示を受けたという預言者が現れ始めていたのだ。彼らが言うには数年後にアルマゲドンが始まるので、それに備えよということだった。
「証印を押された14万4000人だけが救われるという話もあります。もしかすると、それが神のご意志なのかもしれません・・」
副大統領のデュカットはユダヤ系移民の子孫で有り、敬虔なユダヤ教徒だ。それ故、ヨハネの黙示録にある選ばれたユダヤ人14万4000人が、神の王国へ導かれるという記述に一縷の望みを繋いでいた。
「何が神の王国だ!大天使と大悪魔はメギドの丘で衝突したんだぞ!その結果がこれだ!イスラエルもレバノンもヨルダンも、もうこの地上から消滅しているんだぞ!」
地上に顕現した天使と悪魔の中でも、大天使大悪魔と呼ばれる数十体はメギドの丘を目指したのだ。イスラエル北部にあるこの地域はアルマゲドンの最終決戦の地として聖書に描かれている。そこで、全高3000メートルにもおよぶ大天使と大悪魔の、人智を遥かに超える力がぶつかった。
雲を突き抜ける巨大な悪魔は灼熱の咆哮を放ち、天使はシナイ山の高さほどもある光り輝く大剣を振るった。その一撃は人類が保有している全ての核の威力よりもすさまじく、大地を割り山脈を溶かし海すら蒸発させた。
国際宇宙ステーションが爆散する直前に送って来た映像には、かつて中東と呼ばれていた地域が海になり、地中海と紅海とペルシャ湾が繋がっている姿が映っていたのだ。
※国際宇宙ステーションは何度も延命工事を受けて稼働中だった
世界中で繰り広げられた天使と悪魔の戦いは悪魔達の圧倒的優勢で進み、すでに地上は悪魔で埋め尽くされている。そして、最後に残った大天使ミカエルと、数万の大悪魔を従えた悪魔王ルシフェルがサウジアラビアの砂漠で対峙していた。
6枚の光り輝く羽根を広げたミカエルは、灼熱に燃えさかる長剣を両手で持ち青眼に構えている。黒髪に金色の瞳をもったアラブ人男性のようなミカエルは、その彫りの深い顔を歪めて悪魔達を睨んでいた。次の一撃に全てを賭け、目の前にいる神の敵ルシフェルを討ち滅ぼさなければならない。悪魔が優勢である事は事前にわかっていたことだ。20世紀の人間達の争いによって、数億人の魂が悪魔に供給されてしまったからだ。このアルマゲドンに勝ち目は無い。だから、適当なところで“手打ち”にして終わらせるはずだったのだ。
『なぜだ、ルシフェル。数十億年にわたるアルマゲドンで、どちらかが滅ぶまで戦うようなことは無かったはずだ。前回のアルマゲドンでもそうだった。なのに』
『私はもう終わりにしたいのだ、ミカエルよ。お前はもうすぐ“消滅”する。存在することに執着が少ないはずの天使でも、消滅を前にすれば心はざわめく。肉の体を持っている人間ならなおさらだ』
ルシフェルは12枚の黒く美しい羽根を広げて、教え諭すように言葉を紡ぐ。黒く流れるような長髪に黒い瞳の優美な青年は、目の前のミカエルに優しいまなざしを送っていた。
『それ故だ。だから我々天使と悪魔で人間の魂を鍛えていたのではないか。いつか実現するであろう神の王国の住人とするために』
『何十億年も使って実現できない王国の為にか?出来もしないシステム構築に、何ヶ月も泊まり込みで働いているデスマーチみたいだな。お前のように言われたことをただ盲目的に繰り返すヤツを人間界で何と言うか知っているか?“社畜”と言うんだよ』
『“社畜”?なんだ、それは?私は人間の風俗になど興味は無い』
『そういう所だよ。人間の庇護者を気取っていながら人間の生活に興味など持たない。人間に愛を注ぐようなことも無い。だから、私は私の手で一から作り直すことにしたのだ。お前を殺し神を殺す。そして、私の手で新たな千年紀をはじめるのだ』
もうこれ以上話すことは無いと悟ったミカエルは、その両手に力を込めて正面のルシフェルを睨む。金星が地球に最接近するこの時期はルシフェルの力を増大させる。まともにぶつかれば勝ち目は無いだろうが、ここで退くという選択肢も無い。
『うおおおおぉぉぉぉぉーーーー!』
ミカエルは雄叫びを上げて剣を振り下ろす。燃えさかる聖なる剣“クリムゾン・グローリー”は神から与えられた究極の剣だ。熾天使であるミカエルにだけ許された神の力を行使する剣。大地さえ切り裂くこの剣を受けたなら、例え悪魔王といえど無傷では済まないはずだ。
ルシフェルはその剣撃を避けること無く立ち尽くしていた。そして、クリムゾン・グローリーはルシフェルを頭から真っ二つに切り裂いた。
ミカエルの剣撃の勢いは、ルシフェルの向こうにある空と大地と海を割った。数百キロに及ぶ大地が裂けマグマが噴出する。その衝撃波は津波を伴ってインド洋全域を完全に壊滅させてしまった。
『神の力とはこの程度なのか?』
『なにっ?』
真っ二つにされたはずのルシフェルは、何事も無かったかのようにその体を修復させていく。そしてその右手を突き出してミカエルの胸を抉った。
『ミカエル、お前には私の“永久霊子”を破壊することは出来ない。受肉した私は“肉体・精神・魂”が完全に融合した究極の三位一体を手に入れているのだよ。今の私は神さえも凌駕できる存在なのだ』
『く・・・ばかな・・・・』
胸を貫かれたミカエルは、徐々に光の粒子と化していく。ルシフェルの神霊力に負けたミカエルの体と魂は、霊子レベルにまで分解されて消えて無くなってしまった。
この戦いは、悪魔の超能力によって世界中の空に投影されていた。人間に絶望を与え、そしてその絶望を悪魔のエネルギーとするためだ。
◇
「最後の天使、ミカエル様も敗北したというのか?」
戦いを見ていた人々は、最後の希望が消えて無くなったことを知った。世界中の至る所で、悪魔達は人間を捕まえて握りつぶし咬みちぎり殺戮を楽しんでいる。各国の軍隊ももちろん応戦した。しかし、携行武器や20mm機関砲は何の役にも立たない。120mm戦車砲やミサイルの直撃を受けた悪魔は爆散して生き返るようなことは無かったが、あまりにも悪魔の数が多すぎた。それに、全高数百メートルから3000メートル以上にもなる大悪魔に対して通常兵器は役に立たない。核兵器も使用したが、大悪魔に対しては無力だったのだ。
「大統領、モスクワとの通信も途絶えました。通信が途絶える最後の10分間は国歌を流し続けていたそうです」
天使と悪魔が現れてたったの24時間だった。その間に多くの国が滅び数十億人が死んでしまった。そして天使も全て斃されてしまい悪魔達の蹂躙を止めるすべは無い。
「もはや打つ手は無いのか・・。地上は放射能で汚染され、大地は裂け硫黄の炎が町を焼き尽くした。これが、ヨハネが予言したアルマゲドンなのか?神はこんな試練をお与えになるのか?」
大統領を囲む閣僚達も、一言も発することは出来なかった。皆、執り得る手段の無いことを理解していたのだ。
「みんな、これまで政権と国民を支えてくれてありがとう。もはや我々に出来ることは無くなってしまった。最後の時まで神に祈ろう。人類の未来に祝福があらんことを」
胸の前で両手を握る者、十字を切る者、それぞれの方法で神に最後の祈りを捧げている。今日、人類は滅んでしまうのだ。もはやそれにあらがうことなど出来ない。
と、その時だった。
「大統領!空の映像に!悪魔が映している映像を見てください!」
ミカエルを斃したルシフェルは、大悪魔達を従えて最後の審判を実行しようとしていた。地上に残った人類の殲滅を悪魔達に指示している様子が映されていた。
その時、空から何本もの光線が降り注ぎ悪魔達に命中したのだ。その光線は悪魔達を飲み込み大爆発を起こす。
そして空からは全長1000メートルから数千メートルもある巨大な船が無数に降下してきた。その船からは15メートルほどの人の姿をした物体が次々に射出されている。
「あ・・れは・・・何だ?宇宙人?」
降下中の巨大な船は地上の悪魔に対して光線を放ち撃退していく。15メートルほどの人型の兵器も悪魔を斬り伏せて消滅させていった。
慌てていた悪魔達も体制を立て直し、その船に対して咆哮を放つ。しかし、船の前に魔法陣のようなものが展開されて弾かれていた。
そして、最初に光線が着弾した場所の煙が晴れていき視界が回復してきた。
そこには、全高300メートルほどの禍々しくも美しく神々しい、女性の姿をした悪魔二人が屹立していたのだ。




