World is Mine.(#匿名狂愛短編企画)
「私を勇者の――にして」
「うん? 聞き間違えたかな。もう一度」
パチンと指先を一捻り。
胸に手を当てて深呼吸。
ついに、この時がきた。悪しき竜は討たれ、大事を成し遂げた愛し子の目の前に降り立つ、栄えある瞬間を神々は心待ちにしてきたのだ。
威儀を正し、ふたたび神妙な表情を繕って口を開く。
「ゴホン。異界から訪れし乙女よ、よくぞ過酷な試練を乗り越え、我が神命を果たしてくれた。約束通り、其方の願いを叶えよう。さあ望みを言うが――」
「私を勇者の母にして」
「…………」
どうやら聞き間違いではなかったようだ。
「ちょっと待って。待たれよ。ええと、きみは聖女で、勇者と一緒に旅をして、たったいま魔王は倒されて、世界は平和になった。ここまではあってるよね? あってなくちゃ困るんだけど!」
「あっているわ。そしてあなたは私の雇用主。職務を果たした私には正当な報酬を受け取る権利がある」
「あってはいるねえ……それで望みは?」
「私が勇者を産んで育てる」
「どうして!?」
予想の斜め上をいく回答に、僕は頭を抱えた。愛し子の目に触れる貴重な機会、歴史に残る一幕をカッコよく演出するために考えたキャラ設定とか守っていられない。
「もっと他にあるでしょ、元の世界に帰らせてとかさ!? ……あ、ああ、そうか。早とちりしてすまなかったな、聖女よ。えー、つまり其方は、次なる厄災に備えてこの世界に留まり、以後は異世界召喚などに頼らずとも救世を為せるように、自らの血を引く次世代の勇者を育て上げようと言うのだな。ちょうどいい伴侶候補もそこにいることだし、ね! そういうことなら我とて父なる神として愛し子の想いの成就に協力するのもやぶさかでは――」
「ちがう。私が彼を産む」
「なんでぇ!?」
グッと立てた親指を肘を支点に振り上げるようにして彼女が指し示した背後には、当代の勇者たる精悍な顔立ちをした美丈夫がいる。
輝かんばかりの金の髪、宝玉のような緑の瞳。当代の魔王たる古竜の首を易々と斬り落とした大剣と爪牙を受け止めた盾を傍に置き、神妙な面持ちで跪いたまま時を止めたその姿は、凄腕の職人が彫り上げた芸術品のようだ。
綺麗な子、なんだよなあ。
なにせ美しいもの贔屓の神々が、こぞって恩寵を与えたがり、生まれた時から目をかけてきた子なのだ。かつては中性的で、それはもう可愛らしかった。僕が降りる直前だってあの子の活躍に姉様方はキャーキャー大盛り上がりだった。
「あのさあ。きみたち恋仲じゃなかったのかとかあの子は了承してるのかとか色々と言いたいことはあるんだけど、待って。まさか時空を戻せって言ってる? あの子が生まれる前に? 今このタイミングで!?」
時間軸を合わせて元の世界に帰還させる方法なら用意していたけど、まさか世界を救った直後にリセットを希望されるなんて思いもしなかった。
「本来の力を取り戻せばなんでもできる、なんでもすると言ったのはあなた。心配しなくても魔王は倒させる。必要なら私以外の聖女も産む」
「そんなこと言っ……たかもだけど。そういう問題じゃ――そういう問題なのかな――ええぇぇ………」
異界の乙女って、乙女のはずだよね。純潔の。うら若き。細かすぎて目が痛くなるような要件を満たしていなくちゃ神託は下せないし、こうして僕の権能で時を止めながら対話もできない。
つまり間違いなく本人のはずなのだ。
おかしい。初めて会ったときは、もっと普通の常識的な娘に見えたのに。ちゃんと丁寧に話をして相性も人柄も確かめて選んだのに。
「神が契約を違えるの? 私はずっと、この日のためだけに頑張ってきたのに」
「うぅ……」
実体化しているのをいいことに僕の襟首を掴み上げ、息がかかるほどの間近に顔を引き寄せてくる、清らかな乙女。彼女の見開かれた瞳には涙が浮かび、力のこもった指先は細かに震えていた。必死さが怖い。
「お願い、神様」
まあ、いいか。
とにかく一度、彼女の望みを叶えてみても。
だめそうなら戻せばいいのだし。
――――――――
――――――
…………
……
「本当にこれでよかったの? たとえばあの子と普通に結ばれて、父親似の子宝に恵まれるとかでよかったんじゃないの」
「そんなことしたって意味ないもの」
「わからない子だなあ」
「あなたに言われたくない」
やれやれ、と言いたげに大げさな身ぶりで肩の上に両手を広げて、父祖を名乗る神様は姿をくらます。
時空を司る神の一柱。異世界召喚の窓口で面接されて以来そこそこ長いつきあいになった、私の話を聞いてくれる唯一の神様。
頼り甲斐があるのかないのか、なにかと理由をつけて力を封じられたり使いっ走りにされているわりに、何でもできると豪語していた通り、無茶な願いを叶えてくれた。
それでも心を許してはいけない。
親しみやすくみえても、神は神なのだ。
人間の価値観とは相容れない。
――私と彼が結ばれて、彼にそっくりな息子が生まれる? なんの悪夢だろう。
ふと、腰元に衝撃を受けてよろめく。
見下ろした先には、朝の陽の光を受けて透き通るように輝く金色の毛玉。子供特有の柔らかな巻き毛に指を埋め、耳を撫でれば、くすぐったそうに身をよじって新緑の星が瞬いた。
「おはよう、マイ!」
無垢な顔をしてキスをねだる天使。
思い過ごしだろうか。
この子は、ただの一度も私を母とは呼ばない。
私が母ではないと知っている。
教えた覚えはないのに。
誰にも呼ばせたことのない故郷の名で私を呼ぶ。
それが怖かった。
「……おはよう、ユアン」
神に愛された子。
望む必要すらなく与えられてきた子。
奪われることを知らない。
諦めることを知らない。
なにもかもが自分のためにあると信じて疑わない。
この世界に渡ってきた日、私は彼に与えられた。
直接的には干渉できない神々が、愛し子に言葉を伝え、その勇姿を見守るための道具として。
私の意思など関係なく、すべては決定されていた。
こんな不条理があるだろうか。
彼は私を大切に扱っていた。私を失うことがあれば激昂するにちがいなかった。けれど、彼にとって特別な存在は神だけだった。神に与えられたものを奪おうとする者は誰であれ許さない――それだけのことなのだと、すぐに理解した。
彼のことを恐ろしいと思ったことはあれど嫌ったことはない。何も知らずに出会っていたら無邪気に恋に落ちることもできたかもしれない。
ぜんぶ神様のせいだ。神様が私と話すから。聞きたいことをすべて教えてくれるから。
元の世界に帰ったところで、こちらには時空を操る神がいて、異世界から特定の人間を召喚する術があるのだ。
この世界に彼を止められる存在などいない。
なにより神々が許さない。
どうしたって逃げられないのなら、せめて愛そうと思った。
愛せると思った。
さすがにそれはと泣きつかれて、お腹を痛めて産むことはできなかったけれど。
親の顔を知らず、同世代の友人すらいない寂れた辺境の村で育ったという彼が、作り物めいた顔の裏に欠落を抱え込む前に。
育ての親として、可愛い盛りの幼児を胸に抱けば。
きっと愛せると思ったし、受け入れられると思った。
物心がつく前の年頃から、傍に寄り添い教育すれば。
きっと変わるだろう、変えられるだろうと思った。
私は何もわかっていなかった。
「それじゃ、いってくる。待ってて――Mine.」
踵を浮かせ、私の首の後ろに両腕を回すようにして抱きつき、頬を寄せる美しい少年は、変声期を迎えたばかりの掠れた声で耳元に囁きを落としてくる。
「次は俺の番だから」
膝から力が抜ける。
人の手に負えるはずがなかったのだ。神の愛し子を育て上げたのは他ならぬ神々なのだから。幼少期に触れ合う人間の影響なんて微々たるものだった。
私の与り知らない神々の意思のもと、あらゆる加護を受けて急速に成長していく子供は、はたして同じ人間と呼べるのだろうか。
へたり込んだまま呆然と床板を見つめる私の額にキスを落とし、神々の望むシナリオに従って勇者に選ばれた少年は旅立っていく。
この先は知っている。
想定より駆け足だけど、あの子は彼になり、そして目的を遂げるだろう。
聖女なんていてもいなくても変わらない。代わりを求められなかった時点でわかりきっていたことを、あらためて思い知らされる。だとしたら、なんのために私は。
「どうせこうなるんだから、それこそ無意味じゃない?」
いつのまにか、神様が傍に立っていた。
「知った顔しないで。神々にとって大切なのは愛し子だけでしょう」
「僕は神なりに人間たちを等しく愛しているつもりだよ――まあ、ちょっと、異界からちょっかいかけてくる姉様方は、他神の世界だからって好き勝手しすぎだとは思う」
憤慨したように肩をすくめる。
人間くさい仕草。人間くさい口調。
でもそれだけ。
「どうする? 戻す? いいよ! 一回も二回も変わらないし、選択肢が増えるのはいいことだ。どんな可能性も僕は好きだよ。あ、でも、あの子の願いを先に叶えてあげてからじゃないと」
順番は大切だからね、と神様は笑う。
無邪気に。一点の曇りもなく。
やはりあの子は神の子なのだと思う。父を名乗る神も、彼も、純粋な好意で人の価値観を飛び越えていく笑い方がよく似ていた。
たとえば聖女が帰還を願ったとして、神様は叶えてくれる。
その後に勇者の願いを叶えて、私を喚び戻す。
神の目線。神の価値観。
どこまでも平等な、神の愛。
定期的な魔王の復活も、そのたびに力の大半を封じられるのも、勇者や聖女を導くのも、生きとし生けるものすべてに等しく与えられる神の試練。
この世界は神様の愛で形作られている。
彼が私に愛を求めたことはない。彼は私に――彼を取り巻くあらゆる存在に――愛されている。それは彼にとって疑う余地のない前提だから。
そもそも彼が私に向ける感情に愛はあるのだろうか。神の子の考えることはわからない。かつても今もマーキングをくり返すように唇を寄せ、名を呼び、自分の所有物であることを確かめてはいたけれど。
たとえば私が死を望んだとして、神様は叶えてくれるだろう。
その後に彼が私の生を望めば、簡単に戻してしまうだろうけど。
いつか何かの間違いで彼が私を殺す日がきたとしても、神様は戻してくれる。手遅れになる前に。他の可能性がある時点に。いくらでも。なんどでも。
彼の隣にいる間、そんなことばかりを考えた。
嫌ってはいない。愛してはいないだけ。
神々の愛を一身に受けた子の所有物として、見知らぬ世界にたった一人で生きるうちに、私の胸には空虚な穴が広がっていった。
愛したい。愛してほしい。愛せさえすれば。
たとえば私が記憶をなくしたいと願ったとして、神様は叶えてくれる。そうしたらきっと楽になれる。すべてを忘れて。受け入れて。私の心は私のものではなくなって。
まあいいよ、やってみようか、って。いろんな可能性をみるのが好きな神様は、どんな無茶を言ったって一度は叶えてくれるにちがいない。私にとっての二度目がなかったとしても。
せめて神様と出会わずに、彼と出会いたかった。
そんなことは不可能だと知っていた。
どんな不可能も神様に願えば可能にしてもらえるとわかっていた。
――だから願わない。
「ねえ、どう――」
「行くわ」
神様の声を無視して立ち上がる。
脚に力は入る。腕も上がる。
馬の乗り方も祝福の仕方も覚えている。
法衣を身に纏って杖を握る。
私は聖女。
神様に選ばれた使い。
魔王は目覚めて勇者は旅立った。
やるべきことは決まっている。
「どこに……え、まさか追いかけるの? あの子を? そりゃあ、きみ、まだ要件を満たしてはいるけど」
二度目の旅路の果てに、あの子が、彼が、なにを望んだとしても、私は受け入れられる。
神様に愛されたい。愛されている。
平等に。
私には神様しかいないのに。
神々に特別扱いされる彼がずるい。
羨ましくて妬ましくて。
だけど嫌いになれない。
神様は平等だから。
どこまでも神様だから。
こうでもしなければ、私を見つけてくれない。
「あなたはそこで見ていて」
すこしでも長く、私を。私たちの物語を。
神の目線を独占したいと願う強欲に比べれば、神の子の愛に独占されるくらい、瑣末な問題だった。
これが私の捧げる、世界への愛。
柴野いずみさん主催「#匿名狂愛短編企画」参加作品です。
企画ページ:https://ncode.syosetu.com/n2232jl/
作品解説:https://note.com/motomiyash/n/n141e8d0c06b8?sub_rt=share_sb