リスティにとって大切なこと
「それじゃ、作戦を考えないとね。配置は……」
「前線は俺が張る。君はシアを連れて脱出しろ」
張り切るリスティの考えを、ライルは一刀のもとに切り捨てた。
「砲撃の合間を見計らって脱出すればいい。流れ弾に気を付けろ。いいな?」
「……援護は、いらないの?」
噛んで含めるような口調に、思わず反論するリスティ。
「援護など不要だ。下がっていろ」
だが、ライルの返事は素っ気ない。
「むう……素直じゃないよねえ」
不満げな少女の元を離れると、ライルは冷たい感触の壁に手をついた。
瞬間、鋼鉄製の壁が渦を巻くようにねじれて、強大な力で引きちぎられた。
壁に開いた大穴から、いびつな形をした破片が落下していく。
「あ、ちょ、ちょっと待っ」
リスティが引き留める暇もなく、ライルは飛び降りてしまった。
穴に駆け寄って下を覗き込んでも、足下には薄闇が広がるだけだった。
外は星降る夜空と真紅の満月。
頭上から光が投げかけられ、列車の外殻に反射している。
砂色の外殻は滑らかな表面を見せていて、緩やかなカーブを描きながら落ち込んでいる。
球を半分に切ったような多数の砲台が夜空に砲身を向け、地平線から迫りつつある砂の壁を威嚇していた。
「っんとにもう。いつもいつも勝手に決めちゃって。そりゃあ、わたしじゃ足手まといかも知れないけどっ」
リスティは頬を膨らませた。
いつもそうだった。
こっちの話なんて聞こうともしない。
「ライルさんは、リスティさんのことを心配しているんですよ」
「そう……なのかなあ……」
頭の中で、ライルの言葉が繰り返される。
(不要だ、下がっていろ。不要だ、下がっていろ。不要だ、下がって……)
いまいち納得できなかった。
どこをどう考えても、軽くあしらわれているようにしか思えない。
「そうですよ。ライルさんは優しい方ですから」
なのに、シアは自信満々で断言してきた。
「……ずいぶんと詳しいのね」
「そんな気がしたんです」
半眼で睨んでも、シアは笑顔のままだった。
にこにこと屈託のない笑みを向けられ、それ以上問い詰めるのは止めた。
記憶をなくした彼女を追求しても、これ以上あれこれ悩んだとしても、答えが見つかるはずもないのだから。
「これからどうするんですか?」
「飛び降りて」
壁に開いた穴を指差して言ったのは、もちろん冗談のつもりだった。
何の悩みもなさそうな笑みを見ていると、なぜだか無性に困らせてやりたくなったのだ。
「はい。分かりました」
なのに、シアはあっさりと答えて、縁へと向かった。
その何気ない行動に、止めるのが遅れた。
「ちょっ、何やってんのよ!」
リスティが我に返ったときには、シアは片足を空中に踏み出していた。
「まっ……てよ!!」
穴から転落する直前、シアの腕を掴むことに成功した。
そのまま力任せに引き戻した。
柔らかい身体が上にのしかかってきて、二人は絡み合うように転倒した。
「ばかっ! 死ぬつもりなのっ?」
少女の上に馬乗りになって、リスティは怒鳴った。
今、間違いなく心臓が縮んだ。
早まる動悸と、短く浅くなる呼吸。
耳の奧で甲高い音が打ち鳴らされ、周囲の音が消え去った。
じわりと涙があふれてきた。
感情がデタラメな信号を出し続けて、頭の中が混乱した。
「でも、さっきは飛び降りてって、言ったじゃないですか」
ところが、シアは目を瞬かせていた。
なぜ怒られているのか、全く分かっていないようだった。
「あー、そうじゃなくてね」
どう説明しようかと思い悩んだ。
「なんて言うか、こう……もっと驚いてくれた方が、色々とやりがいがあるかなあって」
「驚いた方が、よかったですか?」
真顔で聞き返されて、リスティは困り果てた。
そんな事を聞かれても、答えようがなかった。
「わかりました。次からはきちんと驚くようにしますね。それでいいですか? リスティさん」
返事のないことを肯定と受け止めたのか、シアは大まじめに言った。
「あ、うん。じゃあ、そんな感じで……」
結局、リスティは曖昧にうなずいた。
それよりもっと大切なことに気付いたからだ。
「わたしのことは呼び捨てでいいよ。『さん』付けて呼ばれるのって、なんか変な気分になるのよねえ」
「そんな……初対面の方を呼び捨てになんてできません」
瞬間、シアの白い頬が、さっと青ざめた。
両手で口をふさぎ、信じられない……とでも言いたげに後ずさった。
まるで何か禁忌を犯すようにそそのかされたみたいだった。
悪魔の尻尾が生えたような気がして、リスティはお尻のあたりがむずむずした。
「細かいことにこだわるのね。そんなのどうだっていいのに」
「いいえ。これは大切なことなんです」
と、シアはかたくなに首を振った。
彼女は意外と強情なのかもしれない。
リスティはあごに手を当てて、しばし黙考。
そして……
「それじゃあ、これからは節度をお持ちになってお話いたしましょうか。シアさん」
いきなり口調を変えて言った。
その芝居がかった変な言い回しは、自分で言っておきながら気持ち悪かった。
「……」
案の定、絶句したシアは、世にも不味いものを飲まされたような顔をしていた。
「あら、どうかいたしまして?」
さらにたたみかけると、シアが身震いした。
冷たい手で背中をなぞられたような感じ。
「あの……普通に喋っていただけませんか? そんなの変です」
「いえいえ、そのようなぶしつけな物言いは、大切なお客様に失礼ですわ」
リスティは口元に手を当てて、おほほ、と笑う。
沈黙が落ちた。
見つめ合う二人の間には、無言の激しいやりとりが交わされていた。
「あの、リスティさん」
「何でございましょう。シアさん」
再び沈黙。
シアの表情が目まぐるしく変化していった。
困り果て、目元が潤み、口を開きかけて思い直す。
あるいは眉をつり上げ、頬を膨らませ、文句を言いそうになってやっぱり思い直す。
けっこう長い時間見つめ合っていたが、彼女の百面相を見ているだけで結構楽しかったから、リスティはあまり気にはならなかった。
「……分かりました。『リスティ』でいいですか?」
結局、根負けしたのはシアの方だった。
「ええ、よろしくね。シア」
本気で泣きそうな彼女を見て、リスティは少しだけ満足した。