ライルの力
リスティの腕より太い指が両の肩口から肩甲骨、脇腹や腰に至るまで、背後から少女の体を鷲づかみにしていた。
これが何なのか、聞いたことがある。
特殊兵器『嘆きの檻』。
彼女の背中に浮かぶ痣は、背信者を罰する“神の手”と言われている。
黒い痣に犯された者には、激しい痛みを伴う神罰が下され、間断なく続く痛みで食事も睡眠も取れず、やがては消耗して死に至る。
これは犯罪者にさえ使わない代物なのだ。
彼女が感じているはずのもの、それを少しでも和らげてあげたくて、リスティは無意識のうちに手を伸ばしていた。
「くうっ……」
黒い手に触れた指先が、はじけ飛んだ。
全ての爪が、剥がされたような痛みに襲われたのだ。
覚悟していたはずなのに、強烈な苦痛に手を引っ込めてしまった。
「これでわかっただろう。『救出』という意味が」
「こんな……ひどい……」
嗚咽が漏れ、涙が出そうになった。
痣に触れただけで、あの激痛なのだ。
もしも半身を痣に覆われたとしたら、どれほどの苦痛なのだろうか?
しかも痛みは一瞬では済まない。
死ぬまで続くのだ。
柔らかな笑顔に隠された苦しみは、リスティの想像を超えていた。
彼女はうつむき、ライルの胸に顔をうずめていた。
痛みを耐えていると言うよりも、痣を見られたことにショックを受けているようだった。
ライルは体を預けてくる少女の肌に手を当てた。
あくまでも優しく、慈しむように。
鼻をすすり上げ、リスティは静かに見守った。
彼がこれからすることの邪魔だけはしたくなかった。
何かを探しているような動きで、痣に犯された肌の上を、ライルの手が撫でていく。
やがて脇腹の一点に狙いを定めると、ライルは指先を揃えてそこに押し当てた。
腕に力を込めた瞬間。
その手が何の抵抗もなく、少女の体内に入り込んだ。
ライルが手を差し込んだ場所は、水面のように波立っていた。
彼女はまどろむように目を閉じた。
理性が溶け落ちた後に浮かんできたのは、安らかな夢を見ているような、穏やかな表情だった。
そして……
彼女の身体に、変化が起きた。
黒い痣が刻まれた肌が再生され、白の領域を増やしていく。
まるで肌から汚れをぬぐい去るように、背中に広がっていた痣が消え去っていった。
全てが終ると、ライルは手をずるりと引き抜きぬいた。
手が入り込んでいた脇腹にも跡は一切残っていなくて、きめ細やかで弾力のある白い肌が、眩しいほどの存在を主張していた。
頬を軽く叩かれて、彼女はようやく我に返った。
両手を頬に当て、恥ずかしそうにライルから視線をそらした。
次いで自分の身体の変化に気付いた。
痣が消えたことに驚き、体をさすったり、あちこち見回したりしていた。
やがて彼女は顔を上げ、驚きと戸惑いと喜びの入り交じったその表情で、ライルに説明を求めていた。
「『原子運動制御』って言ってね。ライルの力よ」
リスティの説明はいまいち伝わらなかったらしく、少女はきょとんとしていた。
「ドラゴニックハーフは光子を自在に操り、あらゆる物質を完全に制御できるの。その力を使えば物質を原子レベルまで破壊することも、あなたの体のように怪我を治すこともお手のものなのよ」
果たしてどこまで通じたかはかなり怪しかったが、彼女は素直に受け入れた。
何より自分の身体から痣が消えたことが大きかったようだった。
そんな説明をしながらも、リスティは少女の背中から目を離せないでいた。
彼女の背中は白く、なめらかだった。
脇から腰にかけてのくびれは完璧なラインを描き、小ぶりなお尻と相まって、とてつもなく扇情的だった。
それこそ、思わず襲いかかりたくなるほどに。
「あの……あんまり見ないでください」
その視線を感じて、彼女は消え入りそうな声で言った。
今度は本当に恥ずかしいらしく、頬をわずかに染めていた。
「あー、ごめんごめん」
リスティは慌てて後ろを向いた。
我ながらいやらしい視線だったなあと、少し反省。
そう。
(これは一級の美術品に見惚れるようなものなの)
リスティはそう考えて、自分を納得させた。
(そもそも女同士なんだから、下心なんてあるはずないもの)
「とりあえず服がいるよね」
いつまでも裸のまま、というわけにもいかなかった。
彼女が着ていた服は引き裂かれ、布きれとなって床に広がっていた。
適当な着替えはないかと部屋の中を物色したが、代わりになりそうなものがなかった。
仕方なく自分の服を着せようかと思っていると、ライルが大きな白い布を持ってきた。
ベッドのシーツだった。
それを適当な大きさに切り、少女の頭からかぶせる。
細く切った布で腰を軽くしめると、古代人が身にまとうようなキトンになった。
「あ、あのっ」
余ったシーツを丸めていると、不意に少女が手を挙げた。
世話を焼いてくれるリスティに遠慮しているような、控えめな挙手だった。
「もう一つ教えていただきたいんですけど……」
「いいよ。何でも聞いて。できるだけ答えるから」
自分たちのこととか、ここに来た目的とか、リスティはあれこれと答えを用意する。
しかし、それらは全て無駄に終わった。
彼女は笑顔のまま、こう言ったのだ。
「わたしは、誰なのでしょう?」