記憶の解放
意識を取り戻したとき、シアは見知らぬ場所に立っていた。
一瞬、目の前が揺らいだかと思うと、まわりの様子が一変していた。
そこは、白い空間だった。
その大きさは……さっぱりわからなかった。
陰影もなく、白一色に染め上げられているので、距離感がちっとも掴めなかった。
ここが広いのか狭いのか、天井が低いのか高いのか、それさえも把握できなかった。
かろうじてわかるのは、手の届く範囲内には何もないということぐらいだった。
どこにも照明はない。
でも、ここには溢れんばかりの光があった。
一片のかげりもなく、全てを照らしている。
少し離れたところに、ライルがいた。
自分の足下に手をついて、何か呟いていた。
「ここはどこなんですか?」
シアはその背中に聞いた。
発した声は拡散してしまい、自分の声が遠くに聞こえた。
「ここはメインフレームだ」
振り返ることなく、ライルは答えた。
「どうやってここまで来たんですか?」
ついさっきまで隠れ家にいたはずなのに、ほとんど一瞬でここに移動していた。
「この施設は半存在だからな。理論上、この世界のどこにでも存在できる」
「半存在……?」
「それが存在する可能性と、存在しない可能性が重なり合った状態のことだ」
ライルの説明は、シアには全く理解できなかった。
まるで別世界の言語を聞いているように思えた。
それきり説明を止めて、ライルは作業に没頭し始めた。
シアの理解できない言葉を話し、床についた手を介して、誰かと対話しているみたいだった。
眠気を催すほどの時間がたっただろうか。
ライルのいる場所から、何本もの光の筋が伸びた。
赤や緑や青や紫など、様々な色の光が床を這い、四方に広がっていく。
光の群れはどこにも突き当たることなく、地の果てまで伸びていった。
その時、シアは唐突に気付いた。
ここは世界の縮図。
地平まで広がる光の束は、この世界の全てを支配しようとする誰かの意志だ、と。
その意志が収束する。
ライルのいる一点に集まり、床の上に複雑な幾何模様を編み上げていく。
きらきらと七色に輝く光の束は、無数の星をちりばめたような光彩を放っていた。
「勧告します」
無機質な機械音声が響いた。
「現在、当施設へのアクセスは一切認められておりません。速やかに退去してください。制限時間内に退去が実行されない場合は、第一次攻撃を敢行します。繰り返します……」
「登録コード999に基づく最優先命令だ。『ユニット』の帰還を申請する。速やかに確認せよ」
「……申請を受理しました」
警告がぴたりと止まり、機械音声の調子が変わった。
「これより認証を行います。該当者はサークル内から動かないでください」
声が厳かに告げると、シアを取り囲む形で、光の柱が立ち上がった。
黄色の光輝を放つ柱が、徐々にその範囲を狭めていく。
柱の中心にいるシアへと近づくごとに光が強くなり、ついには少女の全身を包み込んだ。
「やっ……んんっ」
形のいい唇から、甘い声が漏れた。
全身をくすぐられたような感触に襲われたのだ。
シアは下唇を噛みしめて、こそばゆい感覚をじっと耐えた。
やがて光が空中へ溶け込むように消え、床の一部がせり上がり始めた。
四角に切り取られた台座は腰の高さにまで上昇すると、白い表面が溶け落ちた。
両手を合わせて、祈りを捧げる天使の姿を描いたレリーフが、目の前に据えられた。
「認証が完了しました。『ユニット』の帰還を確認。これより権限の移譲を行います。起動コードの入力をどうぞ」
そんなことを言われても、どうしていいのか分からなかった。
シアは助けを求めるような視線をライルへと投げかけた。
「心配しなくていい。必要な知識は、最初から君の中にある」
ライルに促されて、シアはおっかなびっくり手をついた。
「ギルフォードの名において、『執行者』として命ずる。我に絶対の忠誠を誓え。汝の全てを捧げよ」
朗々とした声が口をついて出た。
全くの無意識だった。
驚いたシアは台座から離れて、自分の手を見つめた。
白い繊手は、別人のような感覚を持っていた。
「誓います」
さっきの機械音声が答えた。
「忠誠を誓います。貴女にその任を解かれるまで、貴女の手足となりて働きましょう。我が忠誠の証をお受け取りください」
レリーフの中から、白い綿毛のようなものが浮かび上がった。
小さな白い塊は、シアの目の前までゆらゆらと漂ってきた。
ライルは一つうなずいた。
大丈夫だというように。
その励ましに背中を押され、シアは綿毛に手を伸ばした。
指先が触れると、それは紫電を放って弾けた。
電気に打たれたような痺れが指先に走り、慌てて手を引っ込める。
綿毛は消えていた。
代わりに、右手の薬指に指輪がはまっていた。
繊細な装飾の施された、銀の指輪だった。
「権限の移譲が終了しました。“グラーディア”を解放。空間接合を開始します」
茫然とシアが見守る前で、機械音声が次々と告げていく。
「……現在の結合率は九九.三七%。相称世界からの干渉可能域へと達しました。全防御機構再起動。『天空の瞳』を展開」
シアの周囲に無数の四角い映像が立ち上がった。
その中には砂漠があり、森があり、都市があり、草原があり、海があった。
世界のありとあらゆる場所を網羅する目が、ここに大量の情報を送り込んできた。
「全ての手順が完了しました。これより、『ユニット』の機能制限を解除します」
「あ、っくぅ……!」
シアの身体が跳ねた。
痙攣を起こしたかのように、何度も、何度も。
悲鳴を上げることもできなかった。
ライルの姿がぼやけて、砂嵐のようなノイズが耳の奧を支配していた。
全身がバラバラに砕け散った気がして、シアは自分の身体を抱き締めた。
視覚が、聴覚が、ありとあらゆる感覚がかき乱され、何か大きな固まりが、身体の中へと入り込んでくる。
それは、膨大な情報の奔流、だった。




