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脱出の機会

 吹き荒れる風は全てを消し飛ばした。

 死も、虚無も、ありとあらゆるもの全てを。

 力ある風は勝利を確信していたマリオをも飲み込み、2人を潰そうとしていたクラウストルムも消滅。

 敵対していたあらゆるものを吹き飛ばした。

 荒れ狂う風が収まると。


 通りに悠然とたたずむ金髪の青年の姿が現れた。


「すまない。遅れた」


 どこか余裕を感じさせる口調には、欠片の誠意もなかった。

 遅れて悪かったなんて、彼はこれっぽっちも思っていないのだ。

 でも、それでも。


「ライルぅ……」


 涙が溢れた。

 張りつめていたものが切れていた。

 爆発した感情が渦を巻き、文句の一つも出てこない。

 ライルは守ってくれたのだ。


 リスティの大切なものを。


 その事実だけが、彼女にとっての全てだった。

 ライルはそっと手を伸ばし、頬を伝う涙を拭うと、右肩に優しく触れた。

 リスティの「中」に入り込み、砕かれた骨を、無惨に引き裂かれた皮膚を癒していった。

 ライルが触れている肩を中心に、眠気をもたらすような安堵が身体の隅々にまで広がっていく。

 リスティはこの感じが好きでもあり、嫌いでもあった。逞しい腕に抱かれているような気がするし、自分の心の中をのぞき見られているようで、気恥ずかしい。


「リスティ!」


 治療が終わってすぐ、シアがもう一度抱きしめてきた。

 柔らかな髪の毛が鼻先をくすぐり、背中に回された腕には、苦しくなるほどの力が込められている。


「よかった……本当に。とっても心配したんですよ……」


 胸元に顔をうずめ、シアは声を上げて泣きじゃくった。

 無性に愛おしくなって、リスティはついつい彼女の頭を撫でてしまった。

 まるで子供の相手をしているみたいだった。

 でも、当のシアは気持ちよさそうにしているから、まあいいのだろう。


「今すぐ、彼女を連れて離脱しろ。逃げに徹すれば、君なら振り切れるはずだ」


「待ってよ! あなたは!?」


 その問いかけに返事をする前に、ライルはあさっての方を見た。


「まずいな……もう来たか」


 その意味を理解するのに、さして時間はかからなかった。

 ライルはまだ警戒を解いていなかった。

 彼の瞳は金色の光を宿したままで、強い緊張感が全身を貫いていた。

 微風が頬を撫でた。

 リスティに感じ取れたのは、たったそれだけだった。


 気付いた時には、目の前に手刀が突き出されていた。


 リスティの眉間を狙った一撃を、ライルが受け止めたのだ。

 その手の先にいるのは、黒い装束を身にまとった男。

 ライルと同じ顔、同じ体躯……何より黄金に輝く瞳が、男の正体を端的に表していた。


「さすがは欠陥品よな。逃げ足だけは速い」


 揶揄するような男の物言いを、ライルは相手にしなかった。

 少しずつ、少しずつ、手を押し戻していく。

 拮抗した力のせめぎ合いが、震える腕から伝わってくる。

 このドラゴニックハーフは強い。

 ライルと同等の制御能力を持っているようだった。

 でなければ彼に触れた瞬間、消滅しているはずだった。

 より上位の個体、十将階級(オルディニス・クラス)なのかもしれない。


「だが、もはや逃げ道はない。我が手にかかり、消滅するがいい」


「いいだろう。これ以上の邪魔が出来ぬよう、貴様の存在そのものを破壊してやる」


 ライルは冷静に、ぶっそうな宣言をした。

 戦意が急速に高まり、全身から桁外れの力が発散される。

 その余波だけで周囲の建物が次々と崩落。

 破壊された岩石は瞬時に砕かれ、原子へと還元されて、黄塵の中へと飲み込まれていった。


「いいか。マリオの戯言には付き合うな。対抗するな。奴を振り切ることだけを考えるんだ」


「マリオ……って、まさか!」


「あの男はまだ生きている。あの程度で倒せる相手ではない」


 敵との力比べを続けながら、ライルは告げた。


「俺にはかまうな。奴が戻ってくる前にシアと離脱しろ。いいな?」


「ちょっと! 待ち……!」


 リスティの言葉が届くよりも早く、ライルは戦闘に突入。

 大気が、弾けた。

 二人の姿が瞬時に消えて、原子と光子とが不規則に動き回る。

 立て続けに空気が爆ぜて、巨大な力が激突する轟音が何度も打ち鳴らされた。


「あーもうっ!」


 ほんっとうに腹立たしい。


(こっちの言うことなんて、これっぽっちも聞かないんだから!)


 ライルだけ残ってどうするのか。

 足止めよりもみんなで逃げることを考えた方がいいに決まっているのに。


「逃げよう! 今すぐ!」


「ええっ!? あっ、はいっ!」


 そんな全ての感情を飲み込み、リスティは戸惑うシアの手を取った。

 今の目的は敵を倒すことではない。

 とにかく無事に、逃げおおせることなのだ。


「どこまで邪魔をすれば気が済むのかな、君は?」


 低い声が、背後に現れた。

 リスティは驚愕を押し殺し、転げるようにして飛び退いた。

 気付かなかった。

 クラウストルムを展開し、全てを知覚していたというのに。


「あったり前でしょー! あなたたちの思い通りになんか、なるもんか!」


 それでも何とか言い返せた。

 早鐘のような動悸をおさえ込み、胸に詰まる息を大きく吐き出して、平静を保った。


「君ごときに用はない。ましてや、不良品のドラゴニックハーフにもね」


 法衣の男、マリオ・シルバはただ一点を見つめていた。

 その先にいるのはシア。

 見目麗しい美少女だった。


「シアに手を出すのは、絶対に許さない!」


 リスティは凍てついた声で言った。

 鼓動と体温が急降下していく。

 あらゆる感情を上回る思いが、体内に生まれていた。

 シアと出会ったときの、あの痣を思い出していた。

 痣に触れたときの鋭い痛みも。


(もう2度と、ひどい目に遭わせたりしないんだから!)


「く、くははっ……」


 少女の純粋な怒りに当てられたマリオは、口の端から息を漏らした。

 その声は次第に大きくなり、発作のように肩を震わせ始めた。


「くはははははははっ!」


 やがてこらえ切れなくなったように、マリオは大声で笑い始めた。

 片手で顔を覆い、体をくの字に折り曲げて大笑いしていた。

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