不安に包まれた都市
リスティとシアは、街中に戻ってきていた。
ざわめく人混みが通りにあふれてシアの手を引くリスティの行く手を阻んでいて、なかなか前に進めなかった。
旅立った人たちが戻ってきてしまった事実は、早くもエルバーンの街に広まりつつあった。
どうやら、閉じたはずの扉が再び開き、空から多数の人が降ってきたらしい。
その異様な光景を目撃した人も多く、彼らが口々に話を広めているようだった。
言い知れぬ不安がさざ波のように広がっていて、街全体に不穏な空気が漂いつつあった。
「ハリスさんのお店は、あっちじゃないんですか?」
シアは歩いている通りの後ろを指差して、小声で尋ねてきた。
二人が向かっている方角とは、まるきり逆方向だった。
「あそこには、しばらく戻らないつもりだよ」
リスティは手短に説明した。
扉の向こう側から一緒に戻って来た人の中には、リスティが何をしたのか気付いている人がいるかもしれないのだ。
この先本格的な調査が始まれば、そう時間もかからずリスティの存在がバレて、行政府に逮捕されるだろう。
「それに、ライルが姿を見せないのも気になるからね」
未だに彼の気配がどこにもないのは、あまりにもおかしかった。
彼が負けたり捕まったりなんて考えられないが、何らかのトラブルに巻き込まれているのは明らかだった。
「だからなるべく早く身を隠して、そこでライルが戻ってくるのを待った方がいいと思うの」
これだけの騒ぎになっている以上、悪い事態になることに備えて、どこか別の場所に身を潜めなければならない。
エルバーンにはそういう目的のための隠れ家が数十軒用意されていて、今はその一つに向かっていた。
リスティの真剣な言葉に、シアも黙って頷いた。
それからしばらくはお互いに無言で歩き、より大きな通りに出た。
エルバーンを南北に貫く大通り。
道幅はひたすら広く、数万人クラスの集会ができるほどだった。
通りの隅には乾燥に強い植物が植えられていて、傘のように広がった緑の葉が、適度な木陰を作り出していた。
その下で地面に頭をこすりつけている人は、神に祈りを捧げているのだろう。
通りの中には、すでに敷地を埋め尽くすほどの人波があった。
ざわめきがこだまのように広がり、彼らの間には言い知れぬ不安と動揺が広がっていた。
嘆き悲しむ声がそこかしこから響き、肩を寄せ合ってうつむいている人もいた。
彼らの話題の中心は、やはりヘブンズドアのことだった。
神の御許に着くはずの人々が、エルバーンに戻ってきてしまったのだ。
神に見捨てられたと嘆く人もいて、これからどうすればいいのかと途方に暮れていた。
リスティはそんな人混みをかき分けつつ通りを進んでいた。
これだけの群衆に紛れてしまえば、見つかる心配はないだろう。
シアとはぐれないように手を繋いで歩きながら、リスティは必死になって頭を働かせていた。
身の安全を確保するまで、決して気を抜いてはいけない。
赤い御使い達は、明らかにリスティと……特にシアを狙っていた。
反逆者を狙う理由は分からなくもない。
御使いの力で、あちら側で抹殺するつもりだったのだろう。
(じゃあ、シアは?)
その疑問の答えはなかった。
彼らを使役する者――偉大なる主――が反逆者でもない少女を狙う意味が分からなかった。
しかも彼女は今回だけでなく、行政府にまで拉致されていたのだ。
(そんな価値が、シアにはあるっていうの?)
ライルが戻ってきたら、絶対そのことを聞き出してやろうと心に誓った。
(それまでは、一人で頑張らないと)
このくらい、自力で切り抜けられなくてどうする。
軍を振り切るため、足跡を隠すため、ハリスならどうする?
組織の先輩に聞かされた経験談に重ねて、これからの計画を慎重に編み上げた。
そうして色々考えながら、シアの手を引きながら、通りを歩いていると……
ざわめきが、急に収まった。
こだまのように響いていた喧騒が瞬時に収まり、突如現れた沈黙が大通りを支配していった。
続けて、まるで水面に広がる波紋のように、ある点を中心として、人々が平伏し始めた。
静寂の中心に、誰かが立っていた。
ここからは顔も判別できないほどの距離。
リスティにわかるのは、その人物が紫の法衣を着ていることぐらいだった。
でも、それで十分だった。
この都市でその色の法衣を身に付けているのは、一人しかいないからだ。
エルバーン行政官、マリオ・シルバ。
この都市のトップが、人々の前に出てきていた。




