列車内での戦闘
リスティは通路を走っていた。
ゴム製の靴底が、鋼の床をとらえて小気味いい音を立てていた。
彼女が走っているのは、鋼鉄製の壁が延々と続く通路。
壁面には多数のリベットが打たれ、円形の窓がいくつも並んでいた。
丸く切り取られた赤い光が投げかけられて、床に単調な模様を生み出していた。
通路には誰もいなかった。
それどころか、この列車の乗員は全員脱出していた。
作戦がうまくいったのだ。
手順は簡単。
動力炉の出力を、ちょっといじってやればよかった。
超高出力のエネルギーを放出し続けるそこの場所は分かりやすく、列車の外部から操作するのも、それほど難しくはなかった。
あとは待っているだけでいい。
列車の機関員が出力の変化と機関部の異常な温度上昇を察知。
動力炉が暴走する危険を警告して、全乗員に退避命令が出たのが9分前。
そして、脱出が完了したのは5分前だった。
そんなわずかな時間で総員退避を完了できたのは、日頃の訓練のたまものだろう。
リスティは彼らに感謝した。
おかげで、誰にも邪魔されずに行動できる。
靴底に微かな振動を伝える通路を駆けながら、頬が緩むのを抑えられない。
完璧に出し抜けた。
彼の驚いた顔を想像すると、心が躍る。
外を流れる風景が、ぴたりと止まった。
列車が完全に停止したらしい。
リスティは外の景色を見た。
窓の向こうには砂の荒野が広がり、その奧に真っ赤な満月が浮かんでいる。
赤い赤い月。
宝石に例えられることも多い、美しい月だった。
だけど……
リスティはあれが大嫌いだった。
見ているだけで胸が締め付けられ、息をするのも苦しくなる。
あの月は、滴る血を思い出させるから。
無粋なゴーグルと汚れた布きれに隠された自分の顔が、窓に映り込んでいた。
息苦しさを胸の奥へとしまい込み、リスティは砂埃にまみれたゴーグルと口元に巻いた布をはぎ取った。
唇を引き締め、今の表情を隅々まで確認。
ショートカットの黒髪。
幼い印象しかない顔つき。
童顔だとか、子供だとか、みんなにさんざん言われて、コンプレックスになってしまった。
そもそも、目が大きすぎるのだ。
丸くて黒い瞳は、本当に子供のようにしか見えない。
それに背だって小さいし、体つきだって、少しは女らしくなっても……
今回だって「子供の出る幕ではない」などと言われて、一人だけかやの外に置かれてしまった。
ほんの数時間前まで、リスティは作戦の詳細も知らなかったのだ。
「大丈夫。緊張なんてしてない」
リスティは、自分に言い聞かせるように呟いた。
少しだけ、視線を落とす。
首にかけたネックレスはいつもと同じように、ほのかな青い光を放っている。
この装飾品――グラ―ディアは、彼がプレゼントしてくれたものだった。
そっと、ブルーの小さな飾り石に触れた。
それはリスティの宝物であり、いつでも力を与えてくれる。
不意に、彼の顔が思い浮かんだ。
青い宝石のような碧眼。
いつも真一文字に引き締められた唇。
完璧なまでに整った顔立ち。
あの、真面目な顔を思い出すだけで……
なんだか、ムカムカしてきた。
そう。
それこそが今の目的だ。
いつものけ者にするあいつに、自分の実力を見せつけてやらなければならない。
そのためには、最後まで気を抜いてはいけないんだ。
再びゴーグルと布きれを身につけて、備え付けられた階段を駆け上がる。
呼吸を乱さないように気を付けながら、階段を一段ずつとばして上へ上へと目指していく。
設計図を盗み見た甲斐もあって、この列車の構造は頭に叩き込んでいた。
それによると、最上階に目的の人物がいるはずだ。
目的地の近くまで辿り着くと、リスティは壁に張り付き、そっと様子をうかがった。
誰かがいる。
目的の部屋の前で、緊張した面持ちの兵士が一人で立っていた。
逃げ遅れたのか、あるいは退避命令を聞いていないのか、直立不動で周囲に気を配っている。
通路を覗き込んで、向こうの装備を見積もった。
砂漠迷彩の軍服に身を包み、銃身の長いライフル銃を携えている。それに腰の自動拳銃が一丁。
幸い、「魂喰らい」や「嘆きの檻」のような特殊兵器の類はなさそうだった。
頭を引っ込めて、これからどうするかを考えた。
通路は一本道で、身を隠す場所がない。
それに距離がありすぎた。
今いる通路の角から、兵士が立つ部屋の前までは20メートル以上はある。
気付かれずに近づくのは難しかった。
「誰だ!」
兵士が大声を上げた。
ライフルを肩付けし、こちらに銃口を向けてきた。
一つ大きく深呼吸をして、リスティは決断した。
通路へと出て、銃口の前に身をさらした。
「子供……か?」
思わずこぼれた呟きにムッとしながらも、リスティは右手を肩の高さまで上げた。
それだけで、銃弾を防ごうとするように。
掲げた手の先から、淡い緑の光が放たれた。
新緑の木の葉が舞うように、光はゆっくりと通路全体に広がり、全てを彼女の支配下に置いていく。
兵士の様子に変化はなかった。
それも当然だった。
この光はリスティにしか見えないのだから。
そして、この光こそが、彼女の力の源だった。
「そのままだ。動くなよ」
こちらに武器がないことに安心したのか、兵士は余裕を取り戻した口調で命令した。
「わたしなら、できる」
リスティは小声で呟くと、警告を無視して一歩、踏み出した。
弾丸が足下の床を削った。
銃声の残響が耳に残り、金属の焦げた臭いが鼻につく。
「動くなと言っている。次は頭を狙うぞ」
銃口を上げたまま、兵士は再度の警告を発した。
が、リスティの歩みは止まらない。
一歩ずつ、踏みしめるように近づいていく。
「聞こえないのか! 止まれ!」
兵士は警告を無視して近づくリスティに狙いを定めた。
理解できない異生物を見ているような表情をしていた。
額の中央を狙う銃口の奥に、闇が覗いていた。
全てを飲み込みそうな深い闇。
閃光が走る。
銃床に広がる硝煙。
壁に反射する銃声。
リスティはその瞬間の出来事全てを知覚した。
通路に広がる淡い光が、視認できない速度で飛来する弾丸を捕らえた。
弾道を、ほんの少しだけずらしてやればいい。
直後。
背後のガラスが砕ける音と、破片が通路に散らばる音が二重奏を奏でた。
弾丸は彼女の後ろ、円形の窓を砕いていた。
心の中でガッツポーズをしながら、表面上は平静を装った。
このくらい当然のことだ、と思わせるのが重要なのだ。
「その方が、よりプレッシャーを与えられる」
という彼の言葉を思い出しつつ、また一歩、前に出た。
兵士は銃の照準から顔を外した。
明らかな狼狽を浮かべた顔には恐怖が張り付き、右眉のあたりが引きつっていた。
再度の銃声。
今度は壁を削った。
もう一歩。
二人の距離が縮まった。
その距離に反比例して、兵士に与えるプレッシャーも増大していく。
「こ、この野郎おぉぉ!」
のし掛かってくる圧力を押し返そうと、兵士は絶叫した。
喉の奥から声を絞り出し、立て続けに発砲。
十数発の弾丸が、壁に、床に、天井に火花を散らす。
そのどれもが、リスティにかすりもしなかった。
まるで弾丸そのものに意思が宿り、彼女に触れるのを恐れているようだった。
カチン、と撃鉄が鳴った。
カチンカチンカチンカチン……何度も何度も引き金を引くたびに、兵士の顔に怯えが塗り込まれていった。
リスティは速度を上げず、ゆっくりと、近づいていく。
もう仕上げの段階だ。
慎重に、確実に決めなければならない。
「う、うわああああああああ!」
兵士はもう一度絶叫すると、弾の尽きたライフルを振り上げた。
床を蹴り、雄叫びを上げながら突進。
リスティが弾丸の時よりも明確な意志を差し向けると、手から伸びる光が、兵士の身体を包み込んだ。
軽い抵抗を押し切って、リスティは彼の肉体を支配下に置いた。
後は……
「止まれ」
リスティが静かに命じると、兵士の突撃が、止まった。
「なっ、何だ!? 何だこれは!?」
戸惑いの声を上げる男の身体は、彫像のように動かなかった。
どれだけ力を込めようと、腕も足も身体も、指先さえも動かなかった。
身体が動かないのだ。
彼自身の身体を動かそうとする意思と、リスティが彼の身体を支配しようとする意思とがせめぎ合っていた。
(大丈夫っ。押し負けたりなんか……)
光にさらなる力を注ごうとした敵の姿が。
大きな何かに遮られた。