リスティの思い
シアはどきりとした。
部屋の気温が急降下したような気がした。
(何かおかしなことを言ったのかな? ひょっとして、気に障ることを言ったのかな?)
「は、はい。そう思います」
答える声が裏返ってしまった。
込み上げる不安に息が詰まった。
豹変したリスティと目を合わせることができなくて、シアは視線を床へと落とした。
「リスティは、違うんですか?」
「わたしは大っ嫌いよ。こんな力」
氷のように冷たい声で、リスティは吐き捨てた。
「でも、どれほど嫌いな力でも、うまく使えるようになりたい。もっと強くなりたい。だから、訓練してるってわけ」
彼女は凍える声を吐き続けた。
触れるもの全てを傷つける、氷の刃のような、吐息。
そこに触れてはいけない。
危険を察した本能が、最大限の警告を訴えてきた。
「……何のために、ですか?」
それでも、シアは踏み込んでしまった。
リスティが広げる刃の中に。
知りたかった、のだ。
何が彼女にここまで言わせるのかを。
「そんなの、決まってるじゃない」
リスティは笑った。
普段の彼女からは想像もできない、ぞっとするような冷たい笑みだった。
「復讐のためよ」
吐き出された言葉が、鋭利な刃物となって突き刺さった。
鋭い切っ先にえぐられた傷口が生み出す激痛。
『嘆きの檻』を受けたときよりもはるかに強い苦痛に耐えられず、シアは微かな悲鳴をこぼした。
何を言っていいのかわからなかった。
頭の中はぐるぐると空回りするばかりだった。
後悔と反省とが心を満たし、全ての言葉を空の彼方と追いやってしまった。
できることと言えば、ひたすら祈るだけだった。
リスティが笑って「冗談に決まってるでしょ」と言ってくれるように。
でも、その願いが通じることはなく、少女は冷たい笑みを浮かべたまま……
「……わたしだけじゃないよ」
と、リスティは言った。
「ここにいる人はみんな、色んなものを抱えているの。太刀打ちできない相手から理不尽な目に遭わされて、どうしようもなくなって……そうじゃなきゃ、神への反乱なんてできないでしょ?」
紡ぎ出される硬い声音が、眼前に突き付けられる。
逃げることも受け入れることもできなくて、シアはただその場に立ち尽くして……
「すまんが、下に来てくれないか?」
「ひゃあぁぁあああっ!!」
いきなり後ろから声をかけられて、シアは大きな悲鳴と共にその場で飛び上がった。
震えながら後ろを振り返ると、ヒゲ面の大男が入り口に立っていた。
片手で布をめくり、岩を削り出したような厳つい顔が、頭一つ高いところから見下ろしていた。
あまりに驚きすぎたシアは、目の端に涙を浮かべたまま固まってしまった。
「ちょっとハリス」
その呪縛を解いてくれたのは、朗らかな声だった。
普段と変わらない、リスティの声。
「あなたはただでさえ怖いんだから、いきなり現れないで」
「こりゃすまん」
ビシッと指を突きつけられたハリスは破顔した。
笑うと意外に愛嬌のある顔になった。
「準備ができたんでな。みんな下でお待ちかねだよ」
「りょーかい。すぐ行くよ」
リスティは勢いをつけて立ち上がり、廊下へと出て行った。
今の彼女には、さっきまでの冷たさは微塵も感じられなかった。
錯覚だったのだろうかと思うほどだった。
(そんなはずは……)
とシアは思った。
手のひらがじっとりと汗ばんでいた。
暗い感情の炎に当てられて、身体の震えが止まらなかった。
シアは両手で自分の身体を抱き締めた。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
気遣うような声が、頭上から降ってきた。
震える少女の細い肩に、大きな手が触れる。
「怖、かったんです。あれが、リスティなんですか? どうして、あんな……」
(あんなに凍えた瞳になるの?)
それを思い出すだけで、身体から力が抜けた。
シアをじっと見つめるハリスは、何かを考え込んでいるようだった。
話すべきかどうか、迷っているようだった。
「そう、だな。あんたには、知っていてもらった方がいいだろうな」
言って、男は笑みを消した。
シアを見つめる視線は、獲物を狙う肉食獣のようだった。
彼女の呼吸一つ、指先の動き一つさえも見逃すまいとしていた。
「ブランネリ村って、知っているか?」
シアは首を振った。
本当に、聞いたこともない名前だった。
「そうか? まあいい。ブランネリ村ってのは、リスティの故郷だったんだ」
「だった?」
(なぜ過去形で……?)
シアはその言い方に引っかかりを感じた。
「その村はもう存在しないからな。10年前に滅ぼされたんだよ」
ごくり、と喉が鳴った。
もう一度、心を切り裂かれるような気配を感じ取って、シアは後ずさりしそうになった。
「『神軍』に襲われたんだ。村人は全員惨殺された。男も、女も、老人や生まれたばかりの乳飲み子でさえ。リスティは唯一の生き残りだ」
その先を聞くのは怖かった。
耳をふさいでしまいたかった。
でも、シアはその衝動を我慢した。
最後まで聞かなければならないと、心のどこかが訴えていた。
「わしはその村に行ったよ。そこで何が行われたのか、この目で確かめるために。だが、あれはひどかった。殺された村人の遺体が、ずっと放置されていたんだ。反逆者の末路を世界中の人間に見せつけるために、埋葬することさえ許されなかった」
その光景を思い起こしているのか、ハリスの厳つい顔に、はっきりとした嫌悪が浮き出ていた。
「わしがリスティに出会ったのは5年ほど前だ。ライルに連れられて、エルバーンにふらりとやって来てな。信じられないかもしれないが、あの子は当時、口をきくことも、立つことさえできなかったんだ」
「そんな……まさか……」
本当に、信じられなかった。
あんなに明るく振る舞っているのに。
「表面上はな、立ち直ったように見えるだろう。だが、あの子は色々と抱えている。一人では支えきれないようなでかいものを」
ハリスは静かに語っていた。
でも、声に含まれる成分は、リスティと同じだった。
シアに向けられる視線が、声が、彼女を責め立てていた。
鋭く尖った刃先が、全身に突き立てられた。




