シアの思い
「だって、いくら声をかけても返事をしてくれないんですもの」
「だ、だからって、いきなり変なことしないでよ!」
リスティは声の限りに叫んだ。
耳元にはまだ余韻が残っていて、背筋が震えそうだった。
イタズラを見事に成功させたシアには、その自覚がないようだった。
予想以上の反応に、ただただびっくりしていたのだ。
リスティはようやくショックから立ち直り、彼女の姿に目を向ける余裕が出てきた。
彼女はあの白いキトンではなく、淡いブルーのワンピースを着ていた。
ライルがあらかじめ用意していたもので、その服はシアの雰囲気に合っていた。
清楚なお嬢様といった感じ。
もちろん事前に調べていたのだろうけど、下着のサイズまでぴったりだったのは、何というか……
少しイヤだった。
「似合います?」
と、シアはその場でくるりと回って見せた。
その動きに合わせて、彼女の長い黒髪と、スカートの裾がふわりと舞い上がった。
たったそれだけの動作なのに、優雅な舞いを見ているような気持ちになった。
「そんなに集中して、何をしているんですか?」
「わたし? クラウストルムの制御訓練をしてたの」
「訓練……ですか?」
「この前みたいに空を飛んだりするのは簡単なのよ。一方向にしか動かさないから。でも、本格的な戦闘を行うには、より迅速で複雑な制御をしなくちゃいけないの。だから、これを使って訓練してるってわけ」
やっぱり、シアにはこの光が見えているみたいだった。
リスティが左右に動かす光の糸の動きに合わせて、彼女の視線も動いていた。
同じことが出来る人に初めて出会えて、リスティは純粋に嬉しかった。
ライルにだって、この光は見えないのだ。
「クラウストルムのことは、どのくらい知っているの?」
「……実は、全然知らないんです」
リスティのそばに腰を下ろしたシアは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ただ光が見えて、その動きが感じられるんです。なぜかはぜんぜん分からないんですけど」
そっかーと口の中でつぶやくと、リスティは一つ咳払い。
「簡単に言うと、クラウストルムが持っているのは空間に干渉する力なんだって。空間に干渉するってことは、その空間上にある物体の存在そのものに干渉するのと同義で……」
真面目に説明を始めたリスティの声が、
「それで、何て言うか、元は意思を持たない空間、つまりは物体よね……にわたしの意識をシンクロさせて、あーっと、擬似的な人格を形成するの。それで……」
徐々に小さくなっていき、
「……えっと、ライルに聞けばもっとよく分かるはずだけど」
きまりが悪そうに頬をかいた。
「とにかく、クラウストルムはわたしの望みを実現するもの、と思ってもらえば間違いない、はず……です。はい」
自信なさげな説明を、シアは熱心に聞いていた。
「それって、わたしにも使えますか?」
「うーん、どうだろ? そこまで考えたこともないかな。でも、ライルが言うには、それはどんなものにもあるんだって。もちろんシアにもあるよ」
そう言われたシアは、急いで自分の内面を見るかのように目を閉じて胸に手を当てた。
その慌てぶりがおかしくて、リスティは思わず吹き出した。
「そんなすぐに使えるものじゃないの。ちゃんと意識して、自分の内面――魂から紡ぎ出せるようにならないと」
「そう……ですか」
とても残念そうな少女を前にして、リスティはもう少し教えてあげたいと思った。
「わたしだって、最初は何となく空を飛べるくらいだったよ。ライルに貰ったグラ―ディアの力を借りて、時間をかけて訓練したから、思い通りに操れるようになってきたの」
リスティは首にかけ直したネックレスを指先に引っ掛けて、軽く揺らしてみせた。
揺れ動く青い宝石を目で追う少女。
飽きることなくその動きを眺めていたシアの身体が。
わずかに震えた。
「きれい、ですね。それ……」
「そうでしょー。グラ―ディアはわたしのお気に入り……」
熱い吐息をこぼした少女に自慢しかけたリスティの言葉が途切れた。
シアの意識はリスティの指先、青い宝石に集中していた。
頬を赤らめ、熱に浮かされたような表情で身を乗り出してくる。
その目は、その意識は、グラ―ディアへと釘付けになっていた。
「な、なに?」
豹変した態度に不安が募り、リスティは両手で青の宝石を包み隠した。
「その宝石……グラ―ディアを誰に、もらったん、ですか?」
「べ、別に誰でもいいじゃないのっ」
四つん這いになったシアは引き寄せられるように、じわじわと迫ってきた。
目を潤ませ、恍惚の表情を浮かべた少女は、ぞくりとするほどの色気を漂わせていた。
味わったことのない香りに押されて、リスティはずりずりと後ずさった。
「逃げないで……もっと、見せてくださいよ……」
「やだっ。ちょっ、止めてっ」
迫る少女に壁際まで追いつめられたリスティは、怯える子供のように身を丸めた。
「架け橋たるグラ―ディア。それを手にする者は、世界の向こう側に触れられるんです。だから、わたしに……」
夢でも見ているかのように独り言を呟きながら、シアは宝石に触れようと手を伸ばしてきた。
(な、何が起きたのっ!?)
と、リスティは思った。
青く煌めくグラ―ディアは本当にきれいで、リスティだっていくらでも見ていられる。
その役割と相まって、きっと宝石商とかで鑑定してもらえば、途方もない値段が付くのだ。
でも、そんなのとか価値とかは、リスティにとってはどうでもいいことだった。
グラ―ディアは、ライルからのプレゼントなのだ。
だから、誰にもあげないし、誰にも触らせない。
「隠さないでください……わたしに、もっと……」
手を伸ばしたシアが、さらに迫ってきた。
リスティが両手で押し退けようとしても、びくともしなかった。
どこにそんな力がと思えるほどの強さでリスティの両手首を掴み、床に仰向けに倒された。
シアに両手を押さえつけられ、馬乗りになられたリスティは、全く動けなかった。
彼女の長い黒髪が、さらりとリスティの胸元に落ちた。
完璧に整った美少女の恍惚とした顔が、目と鼻の先にあった。
「やめてよ! 起きてよシア!!」
どんなに叫んでも、彼女には届かなかった。
潤んだ瞳でリスティを見つめ、胸元のグラ―ディアを見つめ、さらに近づいてきた。
(マズいよこのままじゃ……!!)
色んな危機を察したリスティは、 自失したシアの目を覚めさせる方法を探して、素早く左右に目をやり……
テーブルの上に転がる鉄球が目に止まった。
急いで光の糸を伸ばして三つの鉄球を支配下に置くと、その一つがふわりと浮き上がった。
小さな鉄の球は空中でゆらゆらと揺れてから、不意に動き出して。
「あうっ」
シアの額に命中して、小さな悲鳴を上げさせた。
その衝撃でひっくり返った少女は、ようやく手を放してくれた。
「えっ?? あのっ、何が……??」
「どう? 目が覚めた?」
両手で額を押さえたシアは、目をぱちくりさせていた。
さっきまでの色香は跡形もなく消え去り、痛みに戸惑う少女だけが残された。
正気に返ったらしい彼女は、宙を舞う鉄球が自分を狙っていることに気付いて、大慌てで逃げ出した。
でも、いくら逃げ回っても、三つの球は逃げる方へと自在に方向を変え、正確無比な攻撃を加えてくる。
たちまち部屋の隅へと追いつめられたシアの頭上。
三個の鉄球が、鎌首をもたげた蛇のように威嚇していた。
「ふっふっふっ。逃がさないよ」
リスティは満面に意地の悪い笑みを浮かべていた。
まるで、哀れな生贄を前にした魔女のような。
「た、助けてっ。やめてください」
「だーめ。さっきのお返し。たっぷり洗礼を浴びなさい」
「そんな……」
シアはじわっと涙を浮かべた。
罪悪感をくすぐる顔で見つめられ、リスティがふっと力を抜くと、支えていた力を失った球がバラバラと床に落ちた。
「……ごめん。やりすぎだよね」
「わたし、何かしました?」
「へ? 覚えていないの?」
今度は、リスティの方が目を瞬かせる番だった。
ついさっきのことを覚えてないなんて、信じられなかった。
「ほんとにほんとに、ほんっっとうに?」
厳しい追及を受けて、シアは何度も何度も首を振った。
一生懸命否定する彼女が、嘘をついているようには見えなかった。
「そう……それならいいよ」
リスティからの許しをもらえて、シアはほっと胸をなで下ろした。
隣に座った少女を横目に、リスティが訓練を再開。
支配下に置かれた三つの鉄球が室内を自在に飛び交う様を眺めていたシアは、感嘆の吐息をこぼした。
「すごいですよね、リスティは。こんなにも自由にクラウストルムを操れるんですから」
「あーうん。ありがと……」
あいまいに答えた少女の気配に気付いてないシアは、さらなる言葉を紡いだ。
「そんな力があったら、世界中の人に救いを与えられるんじゃないですか?」
「……そう、思う?」
と、聞き返したリスティの声は、とても低かった。




