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行政官マリオ・シルバ

「こ、困ります。バルク様。今はどなたもお通しできないのです」


 懇願するような制止の声を、バルクと呼ばれた男は完璧に黙殺した。

 足音高く、回廊の奧へと突き進んでいく。


「あ、お待ちください!」


 職責を果たすため、緋色のローブを乱して力ずくでも止めようとする男性を引きずりながら目的の部屋まで来ると、ノックもせずに扉を押し開けた。

 窓が一つもない室内は、薄暗かった。

 ロウソクのおぼろな光があるだけで、石造りの部屋の大半は、薄いベールのような暗がりに包まれていた。

 この部屋で何より目に付くのは、奥に飾られた祭壇だった。

 黄金の神像を中心として、数多のロウソクで飾られた神の依代は豪華絢爛。

 その大きさと華やかさは、聖王都にある『篤信の間』にも匹敵するものだろう。

 室内には音も香りもなく、ピンと張りつめた空気が支配していた。

 外界と隔絶されたこの部屋で、神との対話を行うのだ。


「どうかしたのかな?」


 渋い男の声が、バルクを出迎えた。

 祭壇に向かって両膝をつき、静かに祈りを捧げていた男が、ゆっくりと振り向いた。

 彼の丸みを帯びた面構えは、緩やかな曲線を描く眉や眼と合わせて、見る者に柔らかい印象を与えていた。

 ゆったりと幅のある紫の法衣を着込み、そり上げた頭に服と同色のフードをかぶっている。

 男の名は、マリオ・シルバ。

 聖都エルバーンのトップ、行政官を務める男だった。


「君がそんなに慌てるとは、よっぽどのことがあったのかな?」


 もっとも神聖であるはずの時間を邪魔されても、男は気を悪くしたようには見えない。

 片手で合図を送り、バルクにしがみついている男性を下がらせる。

 乱れたローブを整え、部屋を出て行く男性の足音が完全に消えてから、


「先ほど、輸送列車が襲撃され、『灯火』が奪われた」


 バルクは語気を強めて言った。

 男の不始末を責める口調だった。


「らしいな。報告は聞いている。なかなかの手際だったようだ」

 早朝の戦闘結果は、すでに男へともたらされていたようだ。

 死者1、負傷者0という数字と共に。

「大切な信徒が死を迎えたというのに、ずいぶんと余裕があるな」

「彼は自らの意思で主の御許へと旅立ったのだ。ある意味、本望であろう」


 バルクの指摘にも、マリオの柔和な笑みは崩れなかった。


「加えて派遣したアンヘル200体は壊滅し、指揮官たる兵員階級(ミルズ・クラス)2体は再起不能の損傷を受けた。これほどの損害を出した上に、奴らは『灯火』を手に悠々と離脱している」


「軍政部の判断は誤りではない。ただのテロリスト相手に君達十将階級(オルディニス・クラス)まで出撃させるわけにはいかないだろう?」


 部下の不手際を庇う余裕も見せるマリオに、バルクの眉がつり上がる。

 何百万ものストックがある意思亡き者の損害など、行政官は気にも留めていないのだ。


「貴様は、あれの重要性を理解しているのか?」


「もちろんだとも。だからこそ、苦労して探し出したのではないか」


 鋭い非難の矛先を軽くいなすと、マリオは別の話題を持ち出した。


「それよりも、テロリストの中に君の同族がいたとの報告がある。心当たりはないかね?」


「不明だ。データバンクの中に、該当する個体は存在しない」


「確か君達は、全ての個体を把握していたのではなかったのか?」


「我らが把握しているのは、配備済みのものだけだ。それ以前に廃棄された個体は、データバンクに登録されていない」


「そうか。残念だ」


 口にした言葉とは裏腹に、男はさして悔しそうには見えない。

 その態度がより一層、バルクの神経を逆撫でした。


「まあ、そう焦らなくてもいい。犯人の目星はついているのだ。うるさい虫どもを駆逐すれば、必ず網にかかるだろう」


「反逆者どもか。どう対処するつもりだ?」


「『天国への扉(ヘブンズドア)』を使う」


 誇らしげに告げる男に、バルクは眉をひそめた。


「あれは回収のためのシステムだ。敵を排するために起動させるのは反対する」


「何年にもわたって我が主へ供物を捧げられなかったのだから、数が揃わずとも一刻も早く動かすべきなのだ。その中に混じった異物など、途中で除去してしまえばいい」


 もっともらしい言説も、男の興奮した口調が全てを台無しにしていた。

 長い月日を重ねてようやく掌握した天界への扉を使いたくて仕方がないのだ。


「過日、揺らぎの観測にも成功した。それで『灯火』の位置も特定できる。我が受肉の儀式もかねての使用となれば、偉大なる主もきっとご理解いただける」


 そこまで進んでいるのなら、バルクに反論の余地はなかった。

 それに、ユニットの生死そのものは大した問題ではない。

 あれの持っているものが必要なのだから。


「それにな……」


 薄い唇が弓状に広がった。

 男の温厚な印象を一瞬で台無しにする、冷たい笑みが作り上げられた。


「偉大なる主に弓引く不逞な輩だ。連中には死こそが相応しい」


 笑みを浮かべた男の顔には、力に魅せられた人間の傲慢さが浮き彫りになっていた。

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