待ち伏せ
真紅の月が、砂に覆われた大地を赤く染めている。
砂漠の夜は、死後の世界にも似ていた。
生命活動を止めた地上を動くものは何一つなく、ただ密やかで、静寂な空気が支配している。
悠久の時をかけて削り取られた地面は起伏に乏しく、浸食から取り残されたいくつかの岩山が、かつての名残を残すだけだった。
その岩山の上に、二つの人影があった。
切り立った断崖から身を乗り出し、変化のない砂漠を見下ろしている。
一人はヒゲ面の大男。
もう一人は長身痩躯の青年だった。
二人とも足首まで覆うマントをかぶり、茫漠とした砂漠を観察し続けている。
マントには降り積もった砂がうっすらとした層をなしていて、二人がその場にいる時間の長さを示していた。
「遅いな……予定時刻は、もうとっくに過ぎているんだが」
ひげ面の男、ハリスが言った。
吐く息が白い。
夜明け前の蒼闇の中、気温は氷点近くまで下がっていた。
「物事とは、そうそう上手くいくものではないからな」
鍛え上げられた鋼のような、硬質の響きが応えた。
傍らに立つ青年だった。
じれるハリスとは対照的に、目を閉じて静かにたたずんでいる。
瞑想をしているような落ち着きぶりだった。
ハリスはその青年に目を向けた。
くすんだ金髪が月光に映え、燃えさかる炎のような輝きを放っていた。
その横顔は美しく、そっちの気がないハリスでさえ、ついつい引き寄せられてしまう。
赤い月光に照らされた青年は、神話に登場する軍神か守護精霊を思わせるほどに秀麗だった。
「しかしな、前回までは定刻通りだったんだぞ。どうして今回だけ……」
妙な気分に引き込まれそうになる思考を押しとどめ、ハリスは反論する。
彼の口調には明らかな焦りが混じり、しきりに時間を気にしていた。
青年が目を開けた。
その澄み渡った蒼い瞳は、一瞥を受けただけで畏怖を感じさせるものだった。
常人なら一秒と目を合わせていられそうにないほどの強さを放っていた。
「どうやら来たようだ。戦闘準備」
その意味はハリスにも分かった。
乾いた風に混じる地鳴りを、聞き分けられたから。
青年ほどに夜目が利かないハリスは、懐から双眼鏡を取り出した。
わずかな光を信号に変換・増幅して、闇夜を真昼に変えるスターライト・スコープだ。
明るい日差しに照らされたような視界の中、ゆっくりと動く物体があった。
小山ほどの大きさがあるものが、地平線の彼方、砂丘を乗り越えてきていた。
丸みを帯びた形状を持つ駆動車と、牽引される五両の貨物車からなる物資輸送用の大型車両だ。
砂色に塗装された輸送列車はあまりにも大きく、山そのものが移動しているようにも見えた。
その大質量を支えるキャタピラが砂を踏みしめ、砂丘を潰していく。
「妙だな……」
青年の呟きが、ハリスの耳を打った。
さらに注意深く観察して、ようやく気付いた。
列車の動きがおかしいのだ。
本来なら馬が駆けるよりも速く移動するはずの列車が、人が歩くほどの速度しか出ていなかった。
時々止まりそうになりながら、必死にその巨体を動かしていた。
そのたどたどしい動きは、襲いかかる死から逃れようともがく動物のようだった。
ハリスが見守る前で、列車の装甲が弾けた。
弾けた外皮の奥から、白い煙が盛大に噴き上がった。
数秒遅れて、衝撃波をともなう爆発音が届いた。
大気を震わす派手な大音響は、ハリスの予想を肯定するものだった。
「ライル!」
ハリスが怒鳴った。
スコープを使うまでもなかった。
もうもうと夜空に立ちのぼる煙は、肉眼でもはっきりと見えた。
「伝導剤が漏れているようだ。このままでは、動力炉が暴走するおそれもある」
冷静な指摘を聞いて、ハリスは身震いした。
彼の口調にではなく、その内容に戦慄を憶えたのだ。
巨大な列車を動かすほどのエネルギーを生み出す動力炉が暴走すれば、彼らがいる場所でさえ消し飛ぶだろう。
だからこそ、それを取り扱う機関区は、厳重な防護措置が施されているはずだった。
にもかかわらず爆発しそうになっている……
それが意味するところはたった一つだった。
「どうやら、先を越されたようだな」
ハリスは忌々しげにつぶやいた。
口調には、姿の見えない相手に対する怒りと憎悪が含まれていた。
「様子を見てこよう。気になることがある」
「ま、待て! お前は出るな!」
焦る仲間の制止を振り切り、ライルは崖から一歩踏み出すと、ためらいなく飛び降りた。
ハリスは落ちた先を見ようともせず、地面に置かれた通信機にとりついた。
送信機を取り上げ、寒さで思うように動かない手元に苛立ちながら周波数を合わせた。
「直ちに出撃しろ! わしらの上前をはねようって奴がいる!」
叩き付けるように送信機を置くと、傍らに置いた円筒形の兵器――ロケットランチャーを担ぎ上げた。