悪 夢 4
冷たい雨が降っていた。まるで悲しみに晒された人々の涙が集結したような雨が、アスファルトに打ちつける。朝丘詩織はそんな雨の音を聞きながら呆然としていた。
今にも「詩織」と声を掛けてきそうな首藤真理亜の写真が祭壇に飾られている。その下には棺が沢山の花で囲まれ、静かに横たわっている。訪れた人々は真理亜の家族の前に立ち、頭を下げた後、お焼香を済ませ自分の席へと戻って行く。その無機質な繰り返しは詩織の悲しみを倍増させるに相応しいものだった。
親友の真理亜が一連の女子高生惨殺事件に巻き込まれ、その犠牲となった事実を知ったのは事件当日の夜だった。警察やニュースで報道されている通り、真理亜はあまりにも変わり果てた姿で一緒に住む家族によって発見された。腹部は大きく引き裂かれ、体内から子宮が取り出された挙句、原形を留めぬほどに踏み潰された状態だった。
犠牲者になったほかの女子高生と異なる部分と言えば、真理亜が妊娠していたという事実くらいで、後は全ての面に置いて犯行の手段は同一だった。
そう、真理亜は子を宿していた。殺されたのは真理亜だけではない。子宮の中に居た子供も殺されたのだ。詩織は事件現場を見たわけではないので、どのような状況だったのか、明確な姿は分からないが、家族の話によると真理亜は自分の部屋で殺害されたと言う。しかし家族の話によれば外部から人が侵入した形跡は一切無いと言う、実に謎めいた形であった。
事件を知った詩織は愕然とした。殺害される前日、詩織は真理亜と会っており、お腹の中の赤ちゃんについて話をしていたのだ。真理亜が妊娠した経緯についての相手は、同じ市内の男子校に通う男子生徒で、詩織も以前何度か会った事のある男だった。背が高く、とても気さくで話し易い性格で、傍から見ても仲の良い恋人同士だった。付き合いは順調に進んでいたが、避妊具の装着ミスで妊娠したという事実が明らかになると、事態は一転する。学生の身でありながら妊娠してしまった現実。そして妊娠させてしまった男の苦悩。そして二人を取り巻く家族の存在。その全てが悪夢のように押し寄せ、何度か途方に暮れた。だが女性ならではの母性は「諦め」ではなく「出産」と言う選択肢を選んだ。
無論、最初は家族だけでなく詩織を含めた友人全てが猛反対した。「まだ早すぎる」、「経済力もない」と言う有り触れたセリフが真理亜に襲い掛かった。しかし真理亜は妊娠して初めて思う我が子への愛情を暖め、自分がどれだけ産みたいと思っているかを熱心に説得した。その結果最初は反対していた詩織や他の友人、そして家族も根負けしたように首を縦に振った。それだけ真理亜が本気だった事が伺えるほどの説得力だった。
相手の男の方もなんとか家族を説得し「学生結婚」を許可してくれた。二人はお互いの家族の協力の下、幸せな家庭を築いて行こうと決心したのだった。
この頃になると詩織も全面的に協力する姿勢になり、最初は反対したものの、妊娠した事に後悔していない真理亜を見て、実に微笑ましくなった。いずれ自分も誰かと付き合い、家族を持つ事になると信じている。自分よりも早くそんな状況になった真理亜に羨ましさを感じていなかったと言えば嘘である。詩織は「何かあったらすぐに言ってね」と真理亜に伝えてあった。
これから幸せな家庭を作って行こう。自分たちだけではなく、その周囲に居た人々全てがそんな気持ちになっている矢先、真理亜は殺されたのである。しかも子宮を取り出され、中に居た子供までの殺すという極めて残忍なやり方で・・・・。
詩織は生まれて初めて憎しみと言う感情を覚えた。いや、それはひょっとしたら殺意だったかも知れない。これほど犯人が憎いと思った事は無かった。
告別式が終わる頃には、雨は止んでいた。辺りはすっかり暗くなっており、昼間とは別の世界が浮き彫りになる。真理亜の親友として後片付けなど終わらせた後、詩織は真理亜の家族に頭を下げ、家に帰ることにした。その際、真理亜の母親が「本当にありがとう」と言った言葉が詩織の胸を締め付けた。詩織は今でも信じられない心境のまま歩き出し、家に付く頃には、涙で顔はクシャクシャになっていた。
いつもなら大好きな風呂に入ると心身ともに癒されるはずなのだが、真理亜が無くなってからと言うもの、癒される事はなかった。時間が経てば少しは楽になるのだろう。しかし唯一無二の親友を亡くした今、未来の事など考えている余裕は無かった。
風呂上り独特の暖まった感触ではない、何か理不尽な感触が身体と心に纏わり付いている。どうしても拭えない不条理が陰鬱と言う言葉を詩織に残していた。
詩織が髪の毛を乾かすため、ドライヤーのスイッチを入れた瞬間、突然携帯電話が鳴った。この音はメールの着信音である。詩織は少々はだけた状態で携帯電話を取り出した。
「えっ!」
携帯電話の液晶画面を見て驚いた。送信先の相手として「真理亜」と言う名前が表示されていたのだ。つまり真理亜の携帯電話からメールが届いた事になる。名前の下には現在の時間二十一時四十分と言う数字が出ている。
詩織は不審に思いながらもメールを開いた。しかしそこに文字は表示され無かった。ただ、文字は無いものの、添付ファイルが送信されている事に気付いた。
「なんだろう・・・」
詩織は画像を受信した。
受信した画像を開くと、そこには意味の分からない画像が表示された。どこかの風景だろうか?地面のような物が映り、画像の右脇には緑色の草が映っている。更に画面の左脇にはビルらしき建物が建っているが、画像が微妙に斜めになっているため、その場所がどこなのか、明確な位置は分からなかった。
画像の状況から察するに、この画像は携帯電話を下に向けて撮影されたものだろう。地面を撮影したつもりだったが、画面が傾いているため、余計なビルなどが写ってしまった。そう判断するのが妥当だった。
死んだはずの真理亜からメールが送られてきたことには驚いたが、少し考えれば別におかしな話ではない事に気付いた。
真理亜が亡くなった今、家族の人間が真理亜の使っていた携帯電話をいじっていても何らおかしな話ではない。生前誰かとメールのやり取りをしていたのだろうか?と疑問を持ち、きっと誰かが誤って送信してしまったのだろう。奇妙な画像が添付されていたのも、間違って撮影してしまい、それに気付かずに送信してしまった。そしてその送信先が偶然詩織になっただけだ。そう考えると合点が行った。亡くなった真理亜の使っていた携帯電話を家族の誰かが操作している。通常なら有り得ない事だ。そんな事実からも真理亜がもう居ないと言う事を実感させた。
もし何かあれば再び連絡が来るだろう。そう思って詩織は携帯電話をテーブルに置いた。そしてその傍らで腰を下ろし、一連の事件が掲載されている新聞を手に取った。
詩織は食い入るように記事を読んだ。時折やるせない溜息を洩らしている事には気付かなかったが・・・。記事を読んだ詩織はどうしても釈然としなかった警察では「精神異常者による犯行」と見ているらしいが、本当にそうなのかは疑わしい。真理亜の遺体が発見されたのは彼女の自室で、外部から侵入された形跡は一切無かったと聞いている。家族の誰かが・・・と言う発想もあったが、真理亜が殺害された推定時間は深夜だと判明している。その時間、家族は皆寝ており、真理亜の部屋は内側から鍵が掛けられていた。つまり密室で殺害されたという事になる。そう考えると警察が言うように「精神異常者による」と言う説は実に疑わしい。外部から侵入した形跡があるのなら話は別だが、その形跡は無い。万が一侵入したのであればどうして真理亜だけが殺されたのだろうか?本当に精神的に異常のある人間が犯人ならば、家族皆殺しという事になってもおかしくは無い。にも関わらずまるで狙ったように殺害されたのは真理亜だけである。これはやはり妙である。
更にその前日に起こった「ビル作業員焼死事件」と、その後に起こった「乳幼児焼死事件」にしても実に奇妙な部分が多くある。いずれの事件も同一犯の可能性があると指摘されているが、検察側は焼死した幼児たちは常識では考えられない温度で焼き殺されたと言う主張が上がっている。それは警察側の言う異常者説を真っ向から否定している事実ではないだろうか?それとも異常者が常識では考えられない温度を作り出せるとでも言うのだろうか?
まだある。犯人はどうして殺害した女子高生の子宮をわざわざ取り出し、それを踏み潰したのだろうか?何故女子高生なのだろう。どうして女だけが犠牲なのだろうか。
詩織の頭が痛んだ。いろいろと推理を巡らせても、自分の出る幕じゃない。事件が起こったばかりで、特に有力な情報も得られていないのだ。例えあれこれと考えても素人の詩織に導き出せる答えなど無い。要するに考えても無駄と言うことである。
何一つ力になれなかった事実と、唯一無二の親友を失った悲壮感は募って行った。疲れきった詩織は髪を乾かし、そのまま横になった。
夢現・・・。そんなまどろみが詩織を包むと、深い霧が立ち込め始める。寝ているのだが身体の感触はあるような、そんな夢を見ていた。そこに死んだはずの真理亜が佇んでいる事に気付いたのは奇跡だったかも知れない。夢の中に現れた真理亜の顔は悲しげだった。詩織が「真理亜」と叫んでも、彼女は何の反応も示さなかった。
そして真理亜の口が動いた。
「あの時・・・・・」
夢から覚めた詩織の意識は、既に窓へと向けられていた。夢だったのか、現実だったのか。曖昧な感触だけが残っている。夢の中に現れた真理亜が何か言っていたような気がする。詩織はひょっとしたら自分に何かを伝えようとしていたのではないか?と思った。何とか記憶を辿り思い出そうとするが、既に記憶は遠退いてしまっている。部屋もいつもの風景だ。時刻は七時を示している。そろそろ起き上がって学校へ行く準備をしなければならない。
詩織は損をした気分をどうにか押さえ、ベッドから立ち上がった。
その時・・・
「ママ・・・・」
「えっ・・・」
明らかに聞こえた「ママ」と言う声。詩織は驚いて州を見渡した。勿論、自分以外に誰も居ない。だがなんだろう、この奇妙な存在感は。誰も居ないのに、誰かが居るような気がする。
「一体なんなの・・・・」