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お父様

宜しくお願いします!

 「もう大丈夫だよ。目を開けて?」

 頭上から落ちてきた、労りに満ちた声にゆっくり瞼を押し上げる。

 途端、視界に飛び込んできた白く美しいガゼボと広がる草原に、目をぱちぱちさせる。真面目に天国かと思った。

 「……きれい……」

 思わずぽろりと口から零れた。

 突然ナッツの腕が私の体を押しやった。びっくりして見上げると、眼光鋭く睨むナッツの先に、花束を落として愕然とこっちを見つめるおじいさんが立っていた。

 ――な、なになに? どういうこと? 何が起きてるの? ……あれ?

 ナッツの腕を掴んで身を乗り出し、注意深く見つめる。

 ――……おじいさん……泣いて、る?

 口元を覆った両手の隙間からすすり泣く声が漏れていた。信じられないものを見るように見開いている瞳は淡い緑色で、歓喜で打ち震えている様にも窺える。

 その場に崩れ落ち膝をついたおじいさんは、俯いて浅い呼吸を繰り返すとこちらに向かって腕を伸ばし、掠れた声で叫ぶ。

 「……っせ、せい、らっ……セイラッ!」

 母の名を呼ばれ、心臓が跳ねる。お母さんの知り合い? だとしたら、お母さんと勘違いしても仕方がないかもしれない。お母さんと私は、よく似ていたのだ。

 「それ以上近寄ると、無事ではすまさない」

 酷薄を帯びた金の双眸が男を射抜き、気圧されたのか、その歩みが止まる。

 「ぉ……、教えてくれっ……! き、君はっ……、セ、セイラじゃないのかいっ……!?」

 希うようなアップルグリーンの瞳が私を貫き、罪悪感で胸が詰まった。持ち出してきた遺灰に意識が向く。否定するしかない。私は、お母さんではないのだから。

 私の行く先を阻んでいたナッツの腕を下ろさせ指を絡めると、伺うように細まった金目とぶつかる。

 数歩、距離を縮め、告げた。

 「私は、セイラという名前ではありません」

 ぐ、と喉を詰まらせたおじいさんは「やはり……」と俯く。

 「……その、娘です」

 私の言葉にがばっと顔を上げたおじいさんは茫然とし、やがて、涙を流しながら口元を覆うと体を震わせた。

 「き……君、の……名を、僕が、当てても、いいかい……? ぼ、僕の知っている、セイラと……君の、お母さんが……同じで、あれば……っ、ぼ、僕は、君の名前を……当てれる、筈、なんだ……」

 困惑しながらも、頷く。

 「……メイカ」

 ひゅ、と息を呑んだ。ナッツも同じ気持ちのようで私と同様、目を丸くしている。

 「あ、合って……いるん、だね……? そうなんだろう!?」

 縋りつくように伸ばされた手が私の両肩を掴み、私は目を合わせてしっかり頷いて見せた。おじいさんが「あぁ……神よ」と感謝の言葉を天に向かって呟いている。

 「そうです。でも……どうして? おじいさんは……お母さんと、どういう関係だったんですか……?」

 「……話すと、長くなるだろう……。それより……セイラは、彼女は……元気に、しているのかい……?」

 おそるおそる問われ、私は面を伏せて頭を振る。おじいさんは「そうか……」と苦しそうに囁いた。

 きっと、予感はあったのだろう。

 「実は、あのガゼボはね……僕が建てた物なんだ。セイラの……冥福を、祈って」

 「……お墓、ですか?」

 「ああ……そうなるかな……。彼女と僕は……愛し合っていたんだ」

 息を吸い込んだ私に、慈愛に揺れた眼差しを向けてくる。

 緊張で体が強張り、心臓が早鐘を打った。私はごくりと唾を飲み下す。もしかしたら、この人は…………。

 「……少し、待っていてくれないか」

 「はい……」

 「ありがとう」

 花束を拾って丘に向けて歩いていくおじいさんの背中を、目で追いかける。繋いでいるナッツの手が、私のそれをぎゅっと握った。それだけで不安がやわらいでいく。

 「……大丈夫だよ、ナッツ。心配してくれて、ありがとう」

 「うん」

 数分して戻って来たおじいさんに促された私たちは、草原を下ったところで待っていた馬車に乗り込んだ。どうやら、おじいさんの本邸に向かうらしい。

 膝を突き合わせるように座っていると、おじいさんが口火を切った。

 「その……僕の昔話をしてもいいかい?」

 「はい」

 それがお母さんのことと関係あるのなら、是非聞きたいと思った。

 「まず自己紹介をしておこうか。僕はサントス・モルドー。侯爵家の当主だよ。セイラと出会ったのは、僕が二十歳、彼女は十八の時でね。すぐに打ち解けて、一年後には結婚したよ。それからしばらくして、彼女は身ごもった」

 一旦言葉を切ったおじいさんは、淋しそうに遠くを眺めていた。

 私とナッツは口を挟むことなく聞き手に徹する。

 「彼女……セイラは僕に言っていた。男の子が生まれたらメイナード、女の子が生まれたらメイカにするのだと……。僕たちは、毎日楽しみに待っていた。しかしある日……彼女は、ある伯爵家が雇った賊に襲われて……さっきの丘に血痕を残し、消息を絶ってしまった。だから僕はあの場所にガゼボを建て、毎日花を添えに行っていた。何十年も……。習慣になっていたんだ。そして今日……君に会えた。セイラと酷似した容姿を持ち、且つ、彼女がつけると言っていた名前の……女の子に」

 語尾は、涙声で掠れていた。アップルグリーンの瞳を見つめる私の視界も揺れ、鼻の奥がツンと痛む。

 伸びてきたナッツの指が目下を優しく滑り、そっと涙を拭ってくれた。その優しさに胸の奥が熱くなって抱きつくと、力強く抱きしめ返してくれて、心が温かくなる。

 「さぁ……降りよう。足元に気を付けて」

 既に馬車は停まっていたらしい。おじいさんが最初に降り、次いでナッツが出ていった。私が近づくとナッツが手を差し出してくれ、躓くこともなく降り立つ。

 私は感謝の気持ちを込めてナッツに微笑みかけた。一つ一つの優しさが凄く嬉しい。

 促されるまま屋敷に入ると、一人の男性が腰を折って出迎えてくれた。すぐに広い部屋に通されてソファに腰掛ける。運ばれたお茶を一口飲めば体の芯から温まって、ほっと息をつく。

 「さっきの話の続きだけれど。……僕は、君を自分の娘だと思っているよ、メイカ。だから、もしよければでいいんだが……いつか、“お父様”と呼んでくれたら嬉しく思う」

 「……すみません、あまりにも急なお話で……」

 「いや、分かっているよ。無理を言ってすまないね。今日は疲れただろう? 部屋に案内させるからゆっくり休んでおくれ」

 「……はい、ありがとうございます」

 静まった室内にカップの置かれる音が響く。少し気まずい。

 「閣下。私からお訊きしたいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」

 「うん、いいよ。僕も君に関心がある」

 突然こなれたように話し出すナッツに驚愕し、妙な雰囲気に慌てて二人を見やる。

 「奇妙な事を、と思われるかもしれませんが……国名と年数を教えて頂きたく」

 訝しむようにアップルグリーンの瞳が細まったが、一つ頷いた。

 「トロワ国、六百三十八年だ」

 「なっ!?」

 吃驚(きっきょう)し立ち上がったナッツに呆けた私だったが、我に返ると彼の袖をツンと引っ張る。

 「ナッツ……?」

 気遣うような私の声に、気が抜けたようにどさりと座り込むと「……申し訳ありません。取り乱しました」と口にした。

 血の気がなく、背中を丸めて俯いている。まるで、重大なものを失ってしまったかのような姿に焦燥感が募った。ナッツがこんな状態になるのを見たのは初めてだ。一体どうしたんだろう。

 「……少し、時間を置いた方が良さそうだな。続きはまたにしようか。メイカ」

 「あ、はい……」

 「近いうちに僕の息子を紹介するよ」

 「わかりました」

 “息子”という言葉に一瞬引っかかったが、今は置いておくことにする。絶望を叩きつけられたようなナッツのことが心配でたまらない。

 部屋に案内するよと促され一旦ナッツと離れたが、彼にあてがわれた客室は隣りだった。

 すぐに様子を見に行くと、案の定、彼はベッドの端に座って頭を抱えていた。耳と尻尾も気力なくぺたりとしており、心なしか毛並も悪い。

 そばに寄るものの、声を掛ける勇気は出ずに立ち尽くしていると、ナッツの力ない声が耳朶を打つ。

 「……ごめんね明花……。俺が……こんなんじゃ、ダメなのに。まさか……こんなことになるなんて……」

 「っ……」

 駆け寄って強くナッツを抱き締める。

 常にそばにいて、どんな辛い時も支えてくれたナッツ。私にとって彼は、いつでも頼もしくて、偉大な存在だ。

 そんな彼が……今はこんなに小さく震えてる。

 涙の膜が張ってゆく。ねぇナッツ……私は、あなたに何をしてあげたらいい? 何をしてあげられる? あなたの不安を取り除いてあげたい……。

 伏せた眦から、涙が零れた。

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