創作与太噺、共感覚。
共感覚とは
共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、英: synesthesia, 羅: synæsthesia)は、ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく 異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象をいう。
(Wikipediaより)
まあ、wikiからの抜粋で始まる当たり。このエッセイはまあ、テキトーだよって事を察してくれると有り難いです。
今回は共感覚を上手く使ったら「あの問題って解決されるくね?」と思ったので書くに至った運びです。
先ず、共感覚とは上記で示した通り。一つの刺激について、通常とは違う感覚もパッシブで生じちゃうよ、って現象の事です。
文字に色を感じたり。
音に温度を感じたり。
絵にニオイを感じたり。
味に形を感じたり。
数列に形を感じたり。
こんな感じの物を共感覚って言います。
まあ、ある種の『天才』が持っている特殊能力見たいなイメージがあったりしますね。
大体、創作でもそんな使われ方が大まかですね。
でも、私はふと思ったんですよ。「これに似た感覚って普通の人にもあるくね?」と。
例えば、皆さん、小説を読んだら自然と頭の中に情景が浮かんで来たりしますよね。
これは作者と読者の経験や実力に大きく左右されますし、それが確かな正解であるかの確証もありません。ですが、擬似的に共感覚的な物が働いているのではないか? と私は思ったんです。
他にもアニメのオープニングを聞いたら、自然とオープニングの映像が脳内で再生されたりしませんか?
これって、擬似的に共感覚が働いているのではないか? あるいは、それに準ずる能力が一時的に働いたのではないか? と思ったんです。
そして、私が次に何を思ったかと言うと、そう言えば『なろう』にて散見される描写で、この感覚って似てるなって思ったんですよ。
それが『鑑定眼』だとか『スキル』だとか『ステータスウィンドウ』とかです。
現に、本物の共感覚でも「数列が宙に浮いて見える」みたいな例もあるらしいです。
となると、この『鑑定眼』と言うのは。見た物の情報を『共感覚』で『ステータスウィンドウ』的な物で視認することが出来ると言う現象と言えるのではないか。
他の『スキル』等も自分や相手の肉体を見て、何が出来るか『ステータスウィンドウ』で見ることが出来ると言う『共感覚』なのでは?
ほら、発達してる筋肉で「あの人は何のスポーツやってるか、わかっちゃう」的な奴の凄い版です。水泳選手は背筋凄いよね、みたいな。
こんな風に『なろう』に散見する『ステータスウィンドウ』とか鑑定眼って、『共感覚』の賜物なのではないか? と思ったんのです。
今まで『ステータスウィンドウ』とか「何それウケるんだすけど」とか思ってたんですけど、そう思うと『ステータスウィンドウ』も馬鹿に出来ないな、可能だなと思いました。
説得力も少しあって良くない? とも思いました。どうですか? 良くないすか?
私も『ステータスウィンドウ』とか「馬鹿なんじゃねぇの?」と思ってた輩なんで、これで『ステータスウィンドウ』を使えるようになりました。まあ、使いませんけど。
まあ、ざひ『ステータスウィンドウ』出したいけど、馬鹿馬鹿し過ぎて出来ないと思ってた人はその論理で使ってみてください。
はい、そんな与太話でした。




