おとにきく
子供の頃、時折「煙の様な物」が道端に漂っているのを見た。
それは「煙草の煙」の様な、と言えば良いのだろうか、それとも「線香の煙」の様な、と言えば良いのだろうか。その様な煙が「何かの形」をしてそこに漂っているのだ。
その「煙」は「人の大きさ程の煙」であったり。または、「バスケットボール程の煙」だったり。とても大きく「空まで届く程の煙」でったり、大きさも様々だった。
小学一年生の頃、下校中にいつもの様に道端に漂う煙を見た。
僕はその時、一緒に帰っていた友達の中でも、一番に仲の良かった友達に「あのヘンなの、なんだろうね?」と聞いたのだ。
しかし、その友達は「ヘンなのって、なに?」と聞き返してくるばかりで、いくらそこを指差しても友達は「なにも見えないよ」と言うばかりで、仕舞いには「嘘つき、そん嘘、面白くないよ」と言われてしまう始末だった。
信じてもらえなかった事に幼い頃の僕は腹が立ってしまって「ここにヘンなのがいるんだ!」と言って、その「煙」が漂っている所へ向かおうとしたのだ。
幼く小さい歩幅で道端に漂う「煙」へと歩いてる途中、不意に僕は不思議な感覚に襲われた。
その「煙」がユラユラと揺らめいてこちらを誘っている様に見えたのだ、さらに不思議な事に今までは形も定かではない「煙」だった物が女性の形を象った様に見えはじめたのだ。
気が付けば、僕はその「煙」に魅入られていたのだ。
「煙」がユラリユラリと左右に揺られる度に足が一歩二歩と進んでいた。尚も不思議な感覚は続き、僕はいつの間にか「ただ、あの不思議な煙」に触れたいと思い始めたていた。
その時だった。
僕の目の前を何かが通り過ぎた。
驚いた事に、それもまた「煙」だったのだ。
しかし、その「煙」は今までの物とは違い「ある形」を象っていた。
それは「雄鹿」だった。
動物図鑑で見る様な大きくて強そうな角を持った「雄鹿」だった。「煙」の様な朧気なシルエットでも、それがハッキリと「雄鹿」を象っていると理解できた。
「雄鹿」は何故かこちらを真っ直ぐ見下ろしていた。
決して、瞳が見えるわけではないけれども、ハッキリとそれがわかった。
それと同時に幼い頃の僕でも理解出来た。今まで僕が見ていた「物」が何かとんでもない「物」だと言う事が。
その瞬間、酷い悪寒と恐怖。
そして、不安に襲われた。
そして、今さっきまで僕を魅了する様に漂っていた「煙」はどうなったのか、とそこを見るとそこには既に何もいなかった。
そして、「雄鹿」へと視線を戻す。
しかし、その視線の先にも「雄鹿」はすでにいなかった。
その時に僕が今まで見ていた「物」が、この世の「物」ではないとハッキリと理解出来た。
後に聞いた話だが、これは「霊視」の類いであるらしい。
本来、「霊視」と言うのは「視力」と同じ様にその視る事の出来る領域、深度とでも言うのか、そう言った物があるらしい。
また、強力な者は良くハッキリと見える事が多く。そして、弱い者は朧気に見える事が多いらしい。
そして、僕は「霊視」事態が弱く、弱い者は見えないらしい。そして、僕が視える者は無条件で強力な者らしい。
そう思うと、あの道端に現れた「煙」は一体何だったのだろうか、そして、僕に何をするつもりだったのか。今にして思うと恐ろしい話だと思わざるおえない。
そして、あの「雄鹿」は何だったのだろうか。
この「霊視」にはだいぶ慣れてきたが、未だにあの「雄鹿」程にハッキリとその姿を露にした者には出会っていない。
そう思うと、あの「雄鹿」は一体何だったのだろうか、今でもその疑問が頭を過る。