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馬車の中は思ったより快適な物で、揺れはするものの我慢出来ない範疇の物ではなかった。しかも、その揺れすらも私はハンモックに腰かけている形になっているので、余り気になったりはしない。対してパトリシアさんとアレクくんは椅子に座っているので結構揺れとかを感じているのだろう。
「パトリシアさん、場所代わりましょうか?」
私がそう言うと、パトリシアさんが首を勢いよく横に振ってみせた。
「いえ、お気遣いなく!!」
まあ。普通、隊長である私がそう言ったところで素直に「はい、じゃあ次は私がハンモックに座りますね」とかには絶対にならない。特に彼女はそう言った対応をするようには見えない。御者をやってくれているカーターさんなら、そう言ったことを軽いノリでやってくれそうなのだが……
「ハンモックって、意外と座り心地いいんですよ。パトリシアさんもどうですか?」
そう言って、私はハンモックから立ち上がった。すると、その足先から馬車の揺れが感じ取れた。身体が小刻みに揺れ、震えるような感覚がする。
「いえいえ! お気遣いなく!」
そうは言う物の彼女の顔は少し青ざめている。多分、と言うか絶対に酔っている。そうなると、やはり放ってはおけない。私は無理矢理に彼女を椅子から引っ張りあげて、ハンモックに腰掛けさせる。
「いいから! ほらほら、どうですか、パトリシアさん? 意外と寝心地もいいんですよ?」
そう言いいながら、私は彼女をハンモックに寝かしつける。もう、無理やりである。彼女も私の様子に観念してハンモックに寝転がり馬車の天井へと視線を移した。
「うう、すいません。隊長……」
そう言って、彼女は突然ポロポロと涙を流し始めた。
正直な話。一瞬、ギョッとしたし動揺もしたけれども。まあ、乗り物酔いとかしそうな雰囲気がする娘だし。大家の娘とか、なんか色々と抱えてそうだし。涙を流すほどの理由が有るんだろうな、とはなんとなく察しがつくからそんなに取り乱しはしなかった。
多分、大家の娘としてのプレッシャーとか凄いんだろうな。私は無名だし家名もないから、そう言った物とは無縁だから気楽なものだ。
「大丈夫ですか? 昨日ちゃんと眠れましたか?」
そう言って、私はハンモックに椅子を引き寄せて彼女の側で腰掛ける。そして、彼女の手をそっと握ってみせる。凄く冷たくて、震えている。
そう言えば“手当て”と言う言葉は言い当て妙と言うか、なんというか。それ、その物に本当に神秘めいた力、魔力の様な物があったりする。
実際に私はそう言った宗教だとかスピリチュアル的なことは信じてないし、そういう信仰心も全くない。だけど、実際に手当てと言う言葉がある様にヒーリング・タッチだのハンド・ヒーリングと言ったものは一定の効果があると私は個人的に思う。
現に彼女の冷たい手は少なくとも私が握ってあげれば、私の体温が移って彼女の手を暖めることは出来る。
それに乗り物酔いと言うのは心理的な不安だったり、視界に移る景色と三半規管が感じる揺れの誤差が産み出す嫌悪感であったり、不快感が症状として現れる現象だ。つまり、そう言った物を紛らわしてさえあげられれば、乗り物酔いはかなり楽にさせてあげられるはずだ。
こう言うのを魔術なり、術式でどうにか出来てしまえばいいのだが。残念ながら、私にそう言うった技術はない。そんな私に出来るのはまさに“手当て”と言う奴だろう。
だけど、最初に言ったようにこれは決して無意味なことではない。人と人が触れ合うと幸せホルモンと言われる物質が脳から分泌されるらしい。
オキシトシンだか、テトロドドキシンだか知らんないが。そんなのが出るらしい。勿論、これはこの世界の知識ではない。
でも、そんな科学的な話なんかより。もっと、分かりやすい言い方がある。純粋に誰かに触れても貰えるのは嬉しいし心地いいんだ。それが嫌いな相手や、生理的に受け付けない相手でなければ別段問題ではない。きっと、少しは気が紛れるはずだ。
パトリシアさんとは長い付き合いでは無いけれども、決して嫌われてはいないと思う。と言うより、そう願いたい。私はパトリシアさんの手を握り、もう片方の手で彼女の頭を撫でる。
「楽にしていて下さいね。こう言うのって駄目な人はとことん駄目ですからね。気にしないで楽にしててくださいね」
私のその言葉に彼女は弱々しく「はい」とだけ答えた。それに答えるように私は彼女の髪を撫でてあげた。
私の前世では酔い止め薬等があったが、この世界には無いらしい。せめて、魔術でどうにか出来ればいいんだが。そう言う意味では治療や治癒の術式に詳しいであろう彼女とは一度話をしたいが、今は出来そうにもないな。
そんな事を想いながら、私はもう一度彼女の頭を優しく撫でた。




