表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

バグッたー

作者: 高山小石

「じゃ、じゃあ、僕は先に帰ります」


「お疲れサマっす」


「おつかれー。今日もハニーちゃんとデートかぁ?」


 うなずく相原に、杉野は続けた。


「合コンがダメなら、ハニーちゃんに友達紹介して~って頼んでくれよ」


 相原はあいまいに笑うと研究室の扉を閉めた。


 彼女との待ち合わせはいつも決まった時間と場所だ。

 それでも確認しようとポケットに手を入れると、あるはずの携帯電話がない。

 閉じたばかりの扉に手をかけた時、研究室から内田と杉野の会話がもれ聞こえてきた。


「杉野センパイ、よく相原センパイに軽口叩けますよね。ジブンはあの人殺しフェイスと目を合わすのもコワいっす。さっきの顔、見ました? 『彼女に声かけたら……コロす』って感じだったし。声だって地獄の底から響いてるんじゃって感じの重低音だし」


「慣れだよ、慣れ」


 杉野は、実際の相原が凶悪な見た目とは裏腹に気の弱い男だと知っているだけなのだが、都合のいい誤解をとくつもりはない。


「サスガっす。あ、相原センパイのカノジョさん、ジブンまだ見たことないんすよ。弁当とかスイーツとかよく作ってますけど、ナニ系なんですか? オカン系? まさかのお水系?」


「かなりカワイイ清楚系」


「ええェ? マジっすかぁ?」


「いやマジで。ほんとなんで相原と一緒にいるのかわかんないくらいスペック高いんだよ」


「どうやってお付き合いに? やっぱ脅して」


 そこまで聞いたところで、相原は携帯電話をあきらめ、2人に気づかれないように静かに立ち去った。


 『どうしてつきあっているのか』

 それこそ相原が知りたいことだった。


 彼女に直接きいてみたいけれど、穏やかな2人の時間を壊したくなかったし、はっきり口に出してしまえば関係が終わってしまいそうで言えないでいた。


「ふふっ。時間通りですね」


 約束の場所で嬉しそうに笑う彼女の顔に嘘はない、ように見える。

 その瞬間、周囲から忌々しそうに立ち去る男の姿なんて見慣れたものだ。

 2人で歩いていると、驚いた表情や心配そうな顔で振り返られるのもいつものことで。

 

 美女と野獣……いやこんな凶悪な顔と同じにしては野獣に失礼か。


 本当にわからない。

 どうして彼女は僕なんかとつきあっているのだろう?


 彼女と一緒にいるときは彼女の一挙一動に夢中で、なにも考えられない。

 もやもやするのは自宅に戻ってからだ。


 メールでたずねるのはどうだろう?

 いや、文章だけだと微妙なニュアンスがよくわからない。やっぱり顔を見ているときだ。


 でも、面と向かってそんな質問はできないから、映画の最中にさりげなくきいてみようか?

 いやいや、せっかく映画を楽しんでいるときに質問してどうする。せめて終わってからだろう。


 それだと映画を観ていなかったみたいで失礼か?

 そもそも、どう言えばいいのかわからない。


 相原は練習のつもりで、口に出してみた。

「な、なんで僕とつきあってるの?」

 ストレート過ぎるか。


「じ、地味で会話力もない僕と一緒にいて、楽しい?」

 自虐的か。


 明るい電子音が相原の思考をさえぎった。

 自室で立ち上げたまま放置されていたPCに、杉野からのメッセージが表示されていた。


【ハニーちゃんもいいけど、研究もな!】


 やるべきことがあるのは救いだ。

 相原は頭を切り替えた。


 杉野、内田と共同研究しているのは、蜂の行動を蜂自ら(しら)せてもらう方法だ。


 2006年にアメリカでミツバチが大量にいなくなった。

 その原因は複数あったと、今ではすでに解明済みだが、『蜂の異常の早期発見にはどうしたら良いか』が研究のテーマだ。

 相原たちは『蜂の居場所がわかればいい』と考えた。

 蜂に発信機をつけられるのなら簡単だが、超小型でも違和感や電波が生態に影響する可能性があるので、違う方法を考えるのが目下の課題だった。

 ただ、その方法がさっぱり浮かばないので、早くも研究は頓挫していた。


 また電子音が鳴った。

【お友達紹介の話、ハニーちゃんにしたか?】

【てか、さっさとスマホにしろよ。SNS使えなくてメンドイ】


 相原の口からため息がもれる。


 メールはともかく、このメッセージのやりとりだけでも億劫なのに、まだ誰かの思考を読まなくちゃならないのか。

 蜂からなら喜んで読むんだけど。そもそも蜂は文字を使えない。

 いや、それなら写真でもいい。

 鮮明じゃなくても、枚数があれば解明できるかもしれない。

 そうだ。どうにかして蜂が見たままを送れないかな。


 良い考えだと思ったのに、翌朝になっても考えはまとまらなかった。


 昼休みの学食で、久しぶりに遭遇した工学科の友人である山下は、いつも以上に暗い声でつぶやいてきた。

「そっち……どう? 研究……進んでる?」


「す、進む以前、というか。テーマが決まっただけで、どこに向かえばいいのかも、全然わかってなくて」

 そのまま相原は、思いついたばかりの『蜂から写真を送ってくれたら喜んで見るのに』という話をした。


 大柄で極悪フェイスの相原(今日はラフな格好なのでストリートギャングのように見える)と、ひょろ長い体を白衣に包み猫背で長髪に顔が隠れている山下の2人がぼそぼそと話している様子は、まさに犯罪者の密談といった雰囲気で、自然と2人のまわりから人波が引いていくのだが、話している2人は気づかない。


「ちょっと。今、写真送るとか言ってなかった?」

「脅しのネタじゃない?」

「視線合わせちゃダメだ。巻き込まれるぞ」


 話しているのは研究についてなのに、漏れ聞こえるワードに、勝手に周囲の誤解は膨らんでいく。


「画像は……テキストより重いだろ」

 無茶な話だと笑ってくれるかと思ったら、真面目なダメだしが返ってきた。


 確かにそうだったと相原が沈んでいる間も、山下はブツブツ続けている。

「虫はさえずらない……音を……暗号化……」


 しばらくしてから山下は顔を上げた。

「虫本体じゃなく、小型の盗聴器……中継して暗号化、さえずる……はず」


「と、盗聴? 蜂の巣を?」


 山下は白衣のポケットから愛用のメモ用紙とペンを取り出し、図解し始めた。


 蜂の巣の近くに盗聴器を仕掛け、音を拾う。

 近くに中継地点をつくり、そこだけに音を送る。(だから電波は弱くていい)

 中継地点で音を分析する。(分析のため、蜂の行動パターンを先に調べて入力しておく)

 分析結果だけを、手元の端末に、テキストで送るようにする。


「いつも通りじゃない……しかわからない。でも、異常にはすぐに気づける……はず」


 働き蜂の帰りがいつもより早いとか遅いとか、羽音を拾って比較して、結果を自分の携帯電話に送るってことか!


「あ、ありがとう! これで研究の方向も決まったよ!」


 方向が決まれば実践あるのみだ。


 問題は、盗聴器やら発信器やらの機器をどうするかだ。

 相原は生物は大好きだが機械は苦手だった。


「一緒に……組まないか?」


 山下の提案をまとめるとこうだ。

 山下チームの研究テーマは『小型化の技術』。

 機械好きの集まりなので、学生の技術の範囲内とはいえ、どこまでだって小型化する自信があるらしい。


 問題は、「小型化するだけでは研究にはならないよ」と担当教授から言われたことだった。

 「小型化する理由、どうしても小さくないと困る動機がほしいね」と。

 教授の言葉に、山下たちは困ってしまった。小さくしたいからする、それだけでいいのに。


「相原……いい動機をありがとう」


「こ、こちらこそ。助かるよ」

 山下率いる工学科のチームが一緒なら、すぐに実践できそうだし、なにより心強い。


「あ、仲間にもきいてみないと」


「いちおう……俺も……きく」


 山下チームからはすぐに良い返事がきたが、相原の同期の杉野だけが渋っていた。


「な、なんで? 工学科が一緒の方が確実だろ?」


「それで成功したとしても、オレらよりソイツらが有名になりそうだからヤダ」


 どうしたらいいかと山下に杉野の言葉を伝えると、意外にも山下は「むしろ……好都合だ」と返してきた。

 山下チームは卒業研究ができればいい。論文の最後に『工学科協力』とだけクレジットしてくれればいいのだと、謙虚な姿勢を示した。


「へぇ。工学科の連中は内気なんだな」


 山下の提案は杉野にとっても願ったりかなったりで、すぐに工学科との共同研究が始まった。


 共同研究は順調だった。

 相原たちはすでに対象の蜂の巣を見つけていたし、山下たちの腕は確かで、細かい注文にも丁寧に対応してくれた。

 集めたデータをもとに書いた論文は高評価で、大企業の目にもとまり、相原と杉野、山下たち工学科の就職も決まった。


 大成功を祝う飲み会で、飲みすぎた杉野が言った。


「オレはさァ、ゼッタイ、世界にオレの名前を知らしめてやるんだ!」


「し、新種発見とか、いいよね」


 相槌をうった相原に、杉野は意味深に笑うと、山下と熱心に話し始めた。


 最初の頃からは考えられない仲の良さそうな2人の姿に、相原はほっとした。

 この様子なら、就職先が違っても年に一回くらい集まれるだろう。

 相原は、数少ない友達とのつきあいをなくしたくなかった。


   ※

 

 就職して初めての夏、相原はテントウムシをよく見かけることに違和感を覚えていた。


 緑の多い地元や、春先ならあちこちにいるテントウムシも、夏の都会では珍しい。

 近くにいた一匹に、思わず指先をさしだしていた。

 指にのらず、つまんで手のひらにのせても、ぐるぐる歩きまわるだけで、指先にのぼってこない。


 妙だな。

 少しでも高い先端へといそいそのぼり、天辺から飛んでいくのがテントウムシなのに。

 テントウハラボソコマユバチに寄生されているのか?


 手のひらのテントウムシをじっくりと観察する。

 今は内部にいる状況なのか、オレンジ色の幼虫もまゆも見当たらない。


 相原はいつも持ち歩いている携帯ルーペを取り出すと、手のひらのテントウムシをころがし、腹側をよくよく見てみた。

 規則正しい小さな傷があり、どこかアルファベットのように見える。


「で、(ディ)? ド、Dr.(ドクター)Bug(バグ)……?」


 つぶやいた瞬間、テントウムシは逃げるように飛んでいった。


 このことを山下にメールで伝えると、【杉野にきくといい】と返信がきた。


 それもそうだ。山下は工学科出身で生物は専門外だったな。


 【奇妙なテントウムシを見つけた】と杉野にメールを送ると、「すぐに会おう」と珍しく電話で返してきた。


 杉野も新種かもしれないと期待しているのかな。同じような個体を見たという話が聞けたら面白いな。

 相原はしばらく味わっていなかった高揚感でいっぱいだった。

 

 杉野が指定してきた隠れ家みたいな飲み屋の個室で、注文の品物を並べた店員が遠ざかるやいなや、杉野は言った。


「どうしてオレだとわかった?」


「わ、わかったって? ど、どういう」


「あー。前にオレが名前をしらしめたいって言ったからか」


 面食らっている相原をよそに、杉野は一人で納得すると語り出した。


「オレはさ、今までずーっと名前をからかわれてきたんだよ。だから、絶対にオレの名前をスゴいものにつけてやる! って決めてたんだ」


 相原は論文に書かれていた杉野の名前が読めず、たずねたことを思い出した。

 杉野は「『武具(タケノリ)』だよ」と慣れた様子ながら苦笑して教えてくれた。


「漢字のせいで『武具(ぶぐ)武具(ぶぐ)、ブ~クブク~』ってからかわれたのはいい方だ。『武具(ぶぐ)なんだから、とーぜん強いんだろ?』っていきなり叩かれたり蹴られたりもしたよ。弁当にのりが入ってれば、『名前通り、具がノリだ~』とはやし立てられた。親と名前を恨みすぎて一周したよ。絶対にヤツらを見返してやるってな。ま、そんなわけだから、オレの邪魔はしないでくれ。これ、口止め料な」


 ぐいっと差し出されたのは硬質なケースに入った一匹のテントウムシだった。


「最新型だ。かなり性能が上がって使いやすいから、試してくれよ」


 これ説明書な、と冊子を置いて、杉野はいなくなった。

 

 ケースの中のテントウムシは虫型盗聴器だった。

 相原はようやくかみ合っていなかった会話に合点がいった。


 なんてものを作ったんだ、と思う反面、これを使えば直接聞かなくても彼女の気持ちがわかるんじゃないか、と思いついてしまった。


 いやいやいや。盗聴なんてダメだろう。

 いやでも、これでスッキリするじゃないか。

 なんであんな素敵な彼女が僕とつきあってくれるのか、理由を知りたいだけだ。それさえわかれば、すぐにやめたらいい。それだけなら……。


 相原は彼女とデートの約束をとりつけた。


 デートの最中、彼女の鞄のポケットの中に、そっと設定完了したテントウムシをしかけた。

 彼女と駅でわかれてすぐ、相原は携帯電話を見た。


 テントウムシは盗聴器だが、登録した携帯端末に盗聴した会話をショートメールにして送ってくれるのだ。

 拾った音から、途中の中継地点で予想されるテキストに変換される仕組みらしい。


 卒業研究と同じ仕組みだから、おそらく山下チームもかんでいるのだろう。

 だからこそ山下にメールした時、山下は「杉野にきくといい」と返したのだ。

 音声から文字に変換されることで盗聴したままの内容ではなくなるため、言葉の再現度は微妙らしい。しかし音声を拾う精度は高いので、前後の文脈で読み取れるはずだと説明書には書いてあった。


 しばらくしてから、相原のケイタイにひっきりなしにメールが入るようになった。


【ぽーん】 駅の改札の音か?

【次は~○○液~○○疫~】 電車内のアナウンスだな。

【って歯ナシだぜ。脱ッサ】 口調からして乗客の会話だな。

【受けるー。でもサー】

【ソレより前野こと気化せてよー】


 これ、漢字を使わない方がわかりやすいんじゃないか?

 妙な変換されると、どうもそっちをイメージしてしまう。それくらいなら、全部ひらがなかカタカナの方がマシなんじゃないのか。

 まぁ、全部ひらいているよりも、やっぱり漢字やカタカナが適度に使われている方が読みやすいけど。


【ぽーん】 駅の改札、ということは、ようやく電車を降りたようだ。


 乗客のくだらない会話は長かったが、彼女の最寄り駅に着いたのなら、あとは彼女の家まで歩いて帰るだけだ。

 なんとなく相原がほっとしていると、またメールの受信が始まった。


【秘さしぶりだな。比さし鰤ね。ちょっとカオ課せよ】 え? なんだこれ?


 彼女が帰宅途中にすれ違った誰かの会話であって欲しいと願ったが、テントウムシからのメールは止まらない。


【居間なにしてんの。なんでもいいで賞。奸計ないん打から】 

【話そうぜ。いや。そこで井伊から。厭だって場。カランカラン。いらっしゃいませー】


 嫌な予感に急かされ、相原は慌てて駅前でタクシーをつかまえて彼女の最寄り駅へと向かった。

 特徴的なドアベルの音が書かれていたので、おそらく純喫茶とか、そういう感じの店に入ったはずだ。

 運転手に聞くと店を知っていたので、店に行ってもらうように頼んだ。

 その間にも会話は続いていた。


【さみしかったんだ呂。よりを藻どしてやる。勝手な古都いわ内で】


 どうやら過去の彼氏らしい男が復縁を迫っているようだった。

 彼女は断る言葉しか出していないのに、彼氏の方はまったくめげず、押し問答が続いている。


 到着するやいなや、相原は急いで支払いを終えると、目的の喫茶店にかけこんだ。

 カランカラン


「いらっしゃいませー」


 店員を手で断り、店内を見回した相原は、すぐに彼女を見つけて駆け寄った。


「わ、忘れ物」


「相原さん……」


 驚いた、でも明らかにほっとした様子の彼女に、ブランド物のコスメポーチを差し出した。

 それは昔、杉野から渡されたものだった。


『これさー、カノジョにあげたら「趣味じゃないから」って返されたんだ。だからやるよ』

『い、いらない』

『そりゃお前は使わんだろうが、ハニーちゃんは使ってくれるかもしれないだろ? 中身も一式そろってて、けっこうしたからもったいなくってさー』

 そんなもの余計に渡せないと断ったが、帰宅してから鞄に忍ばされているのを発見して、返しそびれていた。

 さらに以前に、杉野が内田に話していたことを思い出したからだ。

『化粧品一式は持っとくと、いざって時に喜ばれるぞ』

 そういうものかと思ったので、彼女に渡さず自分で持ち歩いていたのだった。まぁまったく活用される機会もなかったが。


「ありがとう、相原さん」

 相原の機転を察した彼女は、恥ずかしそうに自分の物ではないコスメポーチを受け取った。


「もう新しい男がいるのかよ」

 元カレらしい男は、相原を遠慮がちに見た。


 相原は口を開かなければ、とても堅気には見えない体格と鋭い顔つきをしている。

 特に今日はデートだと気合いをいれていたので、自由業の幹部風だ。


「新しい男って。私、あなたとお付き合いしたことないですよね?」


 え? 前の彼氏じゃないのか?


 相原がぴくりと眉を上げると、男はびくりと震えた。


「姉も妹も私もちゃんとお付き合いしている人がいるんです。もう私たちにつきまとわないでください! 次は警察よびますからね」


 彼女は伝票を掴んで立ち上がると、毅然とした態度で会計へと向かった。


 相原は、彼女が店を出るまでは男が追いかけて行かないようにと男を見ていたが、男からすれば、凄んだまま動かない相原に、いったいこれから俺はどうなってしまうのかと恐怖で汗が止まらなかった。


「……次はない」


 彼女が店を出るのを確認してから相原はつぶやいて店を出たが、男は、地を這う声の念押しに、こくこく頷き、二度と関わらないと心の底から誓った。


 店の外で彼女は相原を待っていてくれた。


「相原さん、本当にありがとうございました」


「い、家まで送るよ」


「お願いします」


 いつもなら遠慮する彼女も、今回ばかりは素直に受け入れてくれた。


「あの人、昔から私たち姉妹につきまとっていて。最近ちょっと度が過ぎてきて困っていたんです」


 男は昔の彼氏ではなくてストーカーだったようだ。


「そういえば、どうしてあのお店に? そうそうポーチお返ししますね。あれ、限定品ですよね?」


 彼女の危機に気づけたのも、スマートに事を運べたのも、杉野がくれたテントウムシ型盗聴器やポーチのおかげなのだが。


 言えない。

 杉野に感謝するのと彼女にすべてを打ち明けるのとは別だ。


 でも、せめて盗聴器だけでも回収しなくては。


「は、話がしたくて」


「私もです。部屋に来てもらってもいいですか?」


 一人暮らしの彼女の部屋に!?


 汗がふき出た相原だったが、なんとか頷いた。


 歩きながら、彼女はなんでもない風に話し出した。


「私の姉は妖艶な美女で、妹はやんちゃな小悪魔系なんです。地元では美人姉妹って有名でした。さっきの人も、最初は姉に、次は妹に夢中で。どっちにも相手にされないから、みそっかすの地味な私を狙うようになったんです。『お前の相手をしてやれるのは俺くらいだろ』って」


「そ、そんなこと」


 相原にとって彼女は唯一の存在だ。

 彼女が褒め称える姉と妹なのだから、よほど魅力的なのだろうとは思うが、彼女自身が劣っているとは思えない。

 どんな美女や蠱惑的な少女が横に並ぼうとも、彼女がいいのだ。


「私のメイクやファッションは姉仕込みで、料理は妹に習いました。だから誰かに褒められても自分が褒められている気がしなくて。このままじゃいけないなって思って、一人暮らしを始めたんです」


 マンションに着き部屋の鍵を開けると、彼女は相原を招き入れた。


 初めて訪れた女性の部屋を珍しげに見ている間に、彼女は片付けられて清潔な部屋の空気を一旦通してからクーラーを入れ、台所へと向かい、香りの良いお茶を乗せたトレイを持って戻ってきた。


「どうぞ。……きっと私は、相原さんが私を見つめる目が好きなんだと思います」


 それは、相原がずっと知りたかった『どうして僕なんかとつきあっているのか』の答えだった。


「相原さんが、私を誰とも比べないで、私だけを見てくれているのがわかりますから」


 思いがけずに彼女本人から肯定的な答えをもらえて、相原は感激を通り越して思考が停止していた。

 産まれてからずっと姉妹と比べられてきた彼女は、他人の視線に敏感だったのか。

 だからこそ、相原の見た目と中身のギャップも気にしなかったのだ。


 誰かと比べるなんてとんでもない。僕の方こそ君とつきあえて本当に嬉しい。こんな僕に表裏なく接してくれる君は僕の女神だ!


 とでも言えれば良かったのかもしれないが、声も怖いと言われる相原の口は重い。

 相原はそっと彼女を引き寄せると優しく抱きしめたが、彼女の体はこわばったままだった。


「でもそれは、私の勝手な思い込みだったんですよね。さっきのポーチ、彼女さんのですよね。あの喫茶店で待ち合わせしていたんでしょう? もう行っていいですよ」


 相原の鞄の中で長い間もまれたポーチは、未使用ながらも適度な使用感がついていた。

 彼女の盛大な勘違いに、こうなったら全部話してしまうしかない、と相原は心を決め、口を開いた。


「盗聴器なんですか? これが?」


 どうやってタイミング良く喫茶店に現れられたかの説明に、テントウムシ型盗聴器の説明は外せなかった。

 ずっと気持ちが知りたかったからつい盗聴器を使ってしまったと、相原は正直に打ち明けた。


「ご、ごめん。もう二度とこんなことしない。ど、どうかゆるして欲しい。もしゆるせないのなら、別れたくないけど……別れ、る」


 土下座して謝る相原に、彼女は「今回助かったのはこれのおかげですから」とゆるしてくれたが、ポーチを手に入れた経緯を聞くと複雑な顔になった。


「中を確認してもいいですか?」


「も、もちろん」


 相原も中を見るのは初めてだった。

 杉野の言葉通り、中には、ポーチと同じブランドの未使用化粧品一式と、キラキラした正方形のパッケージも入っていた。


「ち、ちがっ。中身は僕も知らなくて」


「……杉野さんらしいですね」


 ポーチはお礼をつけて丁重に杉野に返そうと二人の意見は一致した。


「今度は相原さんが用意してくださいね」


 姉妹から持たされていたというパッケージを片手に魅惑的に微笑む彼女と、相原は熱い一夜を過ごした。


 相原はこれで終わったと思っていた。


 虫型盗聴器を使ったスパイシステムは、杉野が入社した会社の副社長の狙い通り、社長の弱みをにぎり、副社長が社長になった。

 新社長は杉野に多額の報酬を与えたが、杉野は満足しなかった。


「特許をとればこんなもんじゃないでしょ。それに、オレがほしいのは金なんかじゃない。オレの証なんですよ」


 杉野は虫型盗聴器のすべてに自分の刻印を入れさせた。本名は長いので、名前の武具をもじってDr.Bug。

 刻印入りの虫型盗聴器は密かに世界を席巻(せっけん)していった。


 通常と違う動きをする虫に生物学者が気づき、どうやら虫型盗聴器だとわかると、機械ではなく虫自体で同じような働きができないかと考えた。

 生物学者は遺伝子学者と一緒に研究し、ついに虫単独でスパイ活動できる虫を作り上げた。


 スパイ活動する虫に気がついたのは、学者崩れだった。

 学者崩れは、スパイ虫を調べ上げ、自分の思い通りに動くように改造する方法を見つけた。

 その方法はインターネットを通じて爆発的に広まり、ネットにつながりさえすれば、誰でもスパイ虫を動かせるようになった。


 スパイ虫から指定した端末にテキストが送られてくる。

 しかし文章が微妙なことから、スパイ虫システムは『バグったー』と呼ばれるようになり、精度はともかく、PCやスマホを持っているならバグったーも入っているくらいの気軽さになっていった。


 もちろんスパイされて喜ぶ人間などいないので、対策が練られる。


 バグったーを使えなくするプログラムが広まれば、そのプログラムを潰すプログラムが広まる、といったイタチごっこが続き、しばらくはそれでおさまっていた。


 スパイ虫の種類は、ゴキブリ、クモ、テントウムシとさまざまながら虫の姿だったので、度重なるプログラムの更新に疲れた人々は、直接的な対策として、虫を殺すようになった。

 普通の虫もスパイ虫もぱっと見では区別がつかないので、どちらも動かないようにする殺虫剤が売れに売れた。


 虫たちは激減していった。


 生物としての虫を擁護する団体ができ、虫がいなければ食料もままならない、このままでは戦争になるというところまで行き着いた時、バグったーが動かなくなった。


 今まで遺伝子操作で働きかけていたバグったーのプログラムを、なぜか虫たちが一切うけつけなくなったのだ。


 人間もスパイ合戦に疲れていたこともあり、バグったーは広まっていたのが嘘のように収束していった。


 そして、杉野が逮捕された。 


 正体不明のDr.Bugは杉野だと密告したのは、大学生時代に後輩だった内田だった。


 卒業してからの飲み会で、杉野自身が「Dr.Bugはオレだ」とこっそりもらしていたらしい。

 虫を愛していた内田は、虫の虐殺を引き起こしたバグったーを許せなかったのだ。


「虫に謝れ!」


 不満げに捕まる杉野をテレビで見た相原は、久しぶりに山下と連絡をとった。

 あの夏、不思議な動きをするテントウムシを見つけたとき、すぐに杉野の名前を出した山下なら、バグったーについて詳しく知っているだろうと思ったからだ。


「杉野は……スケープゴート……。バグったーは……杉野だけでは作れない」


 やっぱり、と相原は思った。

 もしも杉野が自分の力で名を知らしめたのなら、たとえ不本意なことでも、もっと嬉しそうにしていたはずだ。


 山下は諜報機関で働いており、バグったーについても初めから知っていたと言う。

 そんなこと僕に話していいのかと相原が心配すると、大丈夫、勧誘するためだ、と答えた。


「避難させていた、正常な虫……増やして、世界に還元する。その一人に……ならないか?」


   ※


 よく晴れた日、杉野が高い塀から出てくると、待ち構えていた相原に驚いた表情を見せた。


「い、一緒にきてくれ」


 杉野は車中で目隠しをされたので、行き先がどこかわからなかったが、目を開けると緑と生き物の楽園にいた。


「こ、ここで、一緒に虫を育てないか?」


「……仕方ないなー。おまえ友達少ないもんな」


 相変わらずの物言いだったけれども、杉野は言葉よりも嬉しそうな顔をしていた。


「あ、でもちょっと待て。彼女に連絡したい……って、え? なんでここにいんの?」


「なんでって、待ってたからに決まってんでしょ! ここでずっと働きながら待ってたんだよ! ムシ嫌いだし怖かったけどガンバってんの! いっとくけど、アタシの方がセンパイなんだからね!」


 彼女に抱きつかれた勢いで杉野は倒れた。二人は倒れたまま、笑いながら泣いていた。


 杉野が塀の中に入ってから、相原が杉野の彼女に会いに行くと、杉野の彼女は今でも杉野を好きだと言った。

 相原は山下に杉野の彼女のことを話し、自分と杉野、そして自分たちの彼女たちも還元メンバーに入れてもらったのだ。


 杉野の彼女と共にここで待っていた相原の彼女が、再会に涙する2人に目を向けたまま、そっと相原の手に触れた。相原も握り返す。


 虫たちを育てて増やして還元していく贖罪は、長いながい時間がかかるだろう。

 それでも、彼女がいればきっとできる、と相原も杉野も思った。


   ※


 長い贖罪の途中で、杉野は新種を発見した。

 論文も通り、日本名として登録されたのは、杉野の彼女の名前だった。


 相原は今、大事な名前を考えていた。

「む、虫の字を入れたいんだけど、いい名前が思い浮かばなくて」


「おいおい、懲りすぎるなよー。オレの二の舞になるぞー。あ。なんかさー、オレたちも虫と同じだよな」


「?」


「生きるって、求愛行動なんだなーって」


「な、なるほど。確かに」


 すっかり屈託なく笑えるようになった杉野に、相原も心からの笑顔を返した頃、2人の彼女たちも別の場所で話していた。


「ここにいると、生きてるなーって思わない?」


「わかるような気がします」


 緑と土の香りに虫の声が響く。

 無数の生き物の気配がする大地は心地いい。


「一匹の虫になったみたいですよね」


「え。うーん、うん。アタシも小さな生き物のひとつだったんだーって、なんかウレシイ」


「あ」


「どした?」


「今、動きました」


「さわる! どこどこ?」


 2人の手のひらの下で、もうすぐ産まれる命が力強く主張した。  





end



読んでいただきありがとうございました。


うーん。

話は気に入っているんだけど、なんかかたいというか、読みづらいというか。

どうしてそう自分が感じるのか理由がわからない。

状況が読みづらいのかな?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ