7話 天高く馬肥ゆる秋
北海道 日高門別町 日高ニワノ牧場
天高く馬肥ゆる秋。
生後半年ぐらい経って、そろそろ母ちゃんと引き離される時期がやってこようとしていた。
はぁ~、それにしてもワイは本当に馬になってしまったんだなぁ。
寝て起きたら、次の日には人間に戻っていただなんて、そんな都合の良いことはなかったのである。
カランコロン~♪
「ヨーコ、ヒメ~、ご飯だよ~厩に帰るよ~」
お? サツキが迎えに来たから帰る時間だな。
「ヒヒーン(娘よ、ご飯だからお家に帰るわよ)」
「ヒーン(あいあいさー)」
さあ、けえるべけえるべ。
とはいっても、この後また夜間放牧で外に出されるんだけどね。
夜間放牧という、スパルタ式でサバイバル仕様の放牧というのは、丈夫で健康な馬を作るのに必要な行為だというのが、馬産地で理解され浸透してきたので、ワイの牧場でも取り入れられているのだ。
でも、氷点下15℃以下とかになる真冬まで、そんなスパルタな夜間放牧をされたいとは思わないけど。
まあ、天気予報を見て、吹雪く日は厩舎の中に入れてもらえると、サツキのオヤジを信じよう。
さすがに牧場の財産でもある、サラブレッドを凍死させるはずはないよな?
いくら馬が寒さに強い生き物とはいっても、耐えられる寒さには限度があるんやで。
※※※※※※
それから季節は巡り、次の年の夏の終わりが近づいて、ワイも成長して一歳半ぐらいになろうとしていた。
もうすぐ、本格的な馴致が始まるのかなぁ? そんな季節が近づいている。
ワイは母親のヨーコさんと離され、真冬の夜間放牧という苦行も無事に乗り越えて、スクスクと元気に成長しているのであった。
まあ、大寒波がきた時には、さすがに厩舎の中に入れてくれたので、無駄に死ななくて済んだから助かったよ。
この一年の間、牧場でワイと同じく昨年の春に生まれた同期の馬たちと一緒に、放牧地を仲良く元気に走り回っていたのである。
どうやら、ワイも畜生じゃなくて、サラブレッドの本能には逆らえなかったようで、走るのが楽しくて仕方なかったんや。
なぜか知らんけど同期の仔馬連中から、ワイはヒメじゃなくてアネゴとか呼ばれているのだが、解せぬ。
まあ、ワイの体が小さいからといって、突っ掛かってきてきてマウント取ろうとしてきた連中を二頭ほど、体当たりで返り討ちにして〆たら、仔馬の群れのボスと認識されてしまったからなのだろう。
もっとも、この牧場限定の狭い世界のボスではあるけど。
それと、ワイ以外にも同期の馬は六頭いたんやけど、冬に一頭死んでしまったんだよね……
死んだアイツは、ちょっとしたことで直ぐに体調を崩してたもんなぁ。
日高のオヤジやサツキとかが、冬を越せるかどうかヤバいとか言ってたのを聞いたけど、案の定ぽっくりと逝ってしまったというわけだ。
サラブレッドという生き物は、ひ弱なのだと思い知らされた瞬間だったよ。
ばん馬や道産子を見習えと言いたいところだけど、人間の手によって改良され続けて野生を失ったサラブレッドには、難しい注文やったわ。
※※※※※※
「ふむ、小さいですな。五月生まれですか?」
「いえ、四月の半ば産まれですね」
五月生まれも四月の半ば生まれも、たいした違いはあらへん。
まあこれが、二月の初め生まれと五月の終わり生まれやったら、だいぶ違うとは思うけどな。
というか、オッチャン誰や? 獣医師や装蹄師とは違うし、調教師か?
「そうでしたか。まあ牝馬だから、少し小さい程度なのかな?」
「しかし、このまま順調に成長したとしても、ベスト体重は400kgに届かないような気はしますね」
え? ワイってそんなにも小さかったの?
そんなの自分では気が付かなかったので、全然知らんかったわ。
一歳の夏の時点で、300kgぐらいの馬体重では、小さい部類やったんか。
けど、まだ競馬デビューまで、早いとしても一年近くあるんやで?
これからの一年の成長で、150kgぐらいは体重が増えると思っていたけど、どうやら違ったみたいやな。
まあ、確かに小さいとは言われてたけど、そこまで小さいとは思わんかったわ。
「しかし、トモの張りもあって力強そうですし、全体のバランスも良さそうな感じがしますよ」
「とねっこの秋に放牧地の柵を飛び越えて、外に出てしまったことがありましたので、バネはあると思います」
Q なんで柵を飛び越えたのですか?
A そこに柵があったら飛び越えたくなるのが馬という生き物なのだ。
「それは凄い。ある程度以上の期待をしても良さそうな素質ですね」
「まあ、準オープンぐらいまでは上がって欲しいですけど、無事に繁殖に帰ってくることの方が優先でしょうか」
オーナーである庭野環希は、最終レースの常連でも構へんて言ってくれたで?
「日高さんは肌馬として期待しているということですね?」
「非サンデーでミスプロもかなり遠いですし、肌馬に上げても種付け相手には困らないのがメリットですね」
「ふむ? ダンジグ系のファニーウォーに母系がジャングルポケット、トップガン、マックイーンにシービー? ミスターシービーとは、また懐かしい」
「色々な牧場を見て回っている調教師の先生から見ても、やはりこの血統は珍しいのでしょうか?」
「化石…とまでは言いませんが、今現在では、かなり珍しくて貴重な血統ですよ」
調教師のオッチャン、ワイも血統表を見た時に自分の目を疑ったから、本音では化石と言いたかったオッチャンの精神は、たぶん正常やで。
おかしいのは、後生大事に零細血統を保護している日高のオヤジとオーナーである庭野環希の方なんや。
「まあ、五代前にノーザンダンサーとブラッシンググルームの5×5のクロスは入ってますけど」
「非ノーザンや非ナスルーラの馬なんて、それこそ世界中を探しても殆んどいないのでは?」
「アメリカで細々と続いているマンノウォー系とかだけでしょうね。まあ、それでもミスプロは入ってそうですが」
復権を! マンノウォー系とトウルビヨン系の復権を!
まあ、ワイはノーザンダンサー系の支流であるダンジグ系なんやけどな。
でも、サラブレッド三大始祖のうち、ゴドルフィンアラビアンとバイアリータークの系統は絶滅寸前ですやん! WWFは何やっとんのや。
え?
サラブレッドは野生動物ではないから、保護は適用されない? さいですか。
それに、ダーレーアラビアンの血統は繁栄しているのだから、サラブレッドという種としてみれば、世界中で十万頭以上はいるはずだし、全然絶滅の危機じゃなかったわ。
つまり、山田太郎さんは子孫を残せずに亡くなったけど、田中一郎さんはハーレムを作って子供を100人以上作ったので、人類としては大丈夫だよね。
とか、そんな感じと似たようなモノなんだろうなぁ。
「しかし、サラブレッドは血の淘汰の歴史とは言いますけど、よくぞ残ってましたね」
「それが出来るのが、オーナーブリーダーの良さでしょうね。まあ、今の私は雇われ場長なのですが」
ロマンに走り過ぎたおかげで、借金で首が回らなくなったとも言うけどな。
「ところで、この馬の買い手と入厩先はもう決まっているのですか?」
そういえば、ワイも入厩先とか知らんかったな。
入厩先は地方なのか中央なのかどっちだ?