6話 妥協の産物
北海道 日高門別町 日高ニワノ牧場
「非サンデー非ミスプロの種牡馬を選んで、妥協してファニーウォーを付けたけど、そのファニーウォーですら、父と祖父の母系にはミスプロが入っていて、5×6か何かのクロスがあるというのがもうね」
「今の時代、完全なアウトブリードを狙って種馬を探すのは大変ですよ」
「非サンデー非ミスプロだと、選択肢が少なすぎるのが悩みの種なんだよねぇ。ノーザンダンサーを外すのはもっと無理ゲーだったし」
なるほど、だからワイの父ちゃんは妥協してノーザンダンサー系のファニーウォーやったんやな。
というか、ワイって妥協の産物やったんか……
「日本の馬産地でノーザンダンサーの血が入ってない馬を見つけるのは、ほぼ無理でしょうね」
「その三系統の血が一切入ってない種牡馬って、たぶん日本にはいない気がしますよ」
アメリカやヨーロッパでも、その三頭を外して種牡馬を探すのは大変だと思いまっせ。
アメリカで細々と命脈を保っているマンノウォー系にヒムヤー系やボールドルーラー系とかの種牡馬にも、母系にはドコかでノーザンダンサーやミスタープロスペクターの血が入ってそうだしね。
ヨーロッパの零細血統であるバーラム系やブランドフォード系の種牡馬も、母系のドコかにノーザンダンサーは入ってそうだしな。
ああ、だから欧州に豪州の馬産地では、現地で非主流の血統であるサンデーサイレンス系の血を導入したのか。
「非サンデーというだけで貴重な時代だから、ノーザンダンサーは仕方ないか」
GⅠとかの大レースで走って勝てる馬ということを突き詰めて行ったら、その三系統の血脈に行きついてしまったんやろうなぁ。
「それで、この子の馬名に戻るんだけど、風に関係する言葉を絡めて、なんとかプリンセスとかにしたら速そうな感じの名前の気がしない?」
「それ、賛成です!」
ほうほう、風に関する言葉ね。ワイも賛成するで。シェフィールドとか良さげな響きやね。
だけど、シェフィールドやったら、シェフィールドプリンセスよりも、プリンセスを前につけて、プリンセスシェフィールドの方が響きが良さそうな感じがするな。
でも、シェフィールドにプリンセスを付けると12文字だから、文字数オーバーになるんか。
「皐月ちゃんもアイデア出していいからね」
「では、ウインドウプリンセスなんてどうでしょうか?」
ずこー!
サツキさんやい、ウインドウは窓でっせ。
ま、まあ、サツキはまだ中学一年生なんだし、英語はこれからに期待ということで、大目に見てあげよう。
それに、ウインドウプリンセスだと10文字になって、どのみち文字数オーバーでアウトやし。
「風はウインドだね。ウインドウだと、最後にowが付いて窓って意味になっちゃってるね。ほら、ショーウインドーやウインドウズとかって言うでしょ?」
「あうあう、英語は苦手なんですよー」
「ということで、皐月ちゃんの候補は、ウインドプリンセスということでおっけーかな? 少し安直な気もするけど、悪くはない名前だね」
「ありがとうございます!」
風のお姫さまとか、確かに悪くはないね。
「次、ひなちゃん」
「ストームプリンセスとか?」
「ダサいから却下」
間髪入れずにダメ出しされててわろた。
「そ、そんなー! じゃあ、テニスプリンセスとか?」
「それ、風に関係ないじゃん」
「ですよねー」
どうやら、ひなちゃんとやらも命名センスが壊滅的だったようだな。
「それに、ストームキャットの血が入っていると誤解されるのも嫌だからダメ」
「しゅん……」
確かに、ワイの血統にはストームキャットやストームバードは入ってないね。
ワイは系統でいったら、ダンジグ系やしな。
まあ、ダンジグの父はストームバードと同じく、ノーザンダンサーだけど。
ダンジグ系といったら、一昔前だったら良血馬の代名詞やったのに、栄枯盛衰、馬の世は無常やね。
「麻生さんも、なんかアイデアありませんか?」
「そうですね、ミストラルなど響きは良い感じがしますけど、どうでしょうか?」
「ミストラル? コートダジュールとかの南仏に吹く強風だっけ?」
「そのミストラルですね」
「いいね。ミストラルプリンセス」
ワイの馬名を決める井戸端会議なのに、肝心のワイが置いてきぼりやん。
まあ、ワイは馬やから人間の言葉しゃべられへんのやからしゃーないけど。
「しかし、ミストラルプリンセスだと、フランス語と英語のちゃんぽんになりますけど、それはよろしいですか?」
「語感的には大丈夫じゃないかな? 麻生さんも良い感じだと思わない?」
まあ、日本の馬主の中には冠名に、英語やフランス語の単語を付ける馬主も多いから、ミストラルプリンセスなら全然オーケーでしょ。
だけど、ミストラルプリンセスでは、10文字で文字数オーバーやで。
「まあ、フランス人やイギリス人の失笑を買うとまで、そこまではならないでしょうから、大丈夫だとは思いますけど」
「それに、フランス語でもプリンセスの綴りは同じでしょう?」
「フランス語の場合は、最後のssの後にeが付きますよ」
「そうだったっけ?」
この麻生さんとかいうオバサンは、出来るザ・秘書って感じの女性やね。
それに代わって、庭野環希はスペル間違いをする残念な女王様であったと。
まあ、ワイもフランス語なんて知らんけどな。
「たまちゃん、ミストラルプリンセスだったら、10文字になっちゃうよ? 確か馬の名前って、9文字までだったよね?」
ワイも9文字で正解だと思うぞ。
「ひなちゃん、今年に登録する新2歳馬からは、馬名の文字数が1字増えて、10文字までおっけーになったんだよ」
「へー、そうだったんだ。知らなかったよ」
なるほどね。それは、ワイも知らんかったわ。
だからそれを知っている人は、何も指摘しなかったということだったのか、うん納得したわ。
「お馬さん関係は麻生さんをメインでお願いしているから、ひなちゃんが知らなくてもそれは仕方ないよ。私も最近になって知ったばっかりだし」
「アルファベットでは何文字になるんだろ? 確かパリ協定で18文字まででしたよね? えーと……」
へー、アルファベットの馬名も文字数の制限があったのね。それは知らんかったわ。
英語の苦手なサツキの頭の中では、現在必死でスペルの組み合わせの最中なんだろうな。
「英語の場合でも、Mistral Princessで空白を入れても16文字なので大丈夫ですね」
「じゃあ、ヒメが競走馬として登録する時の名前は、ミストラルプリンセスで決定ということで、みんなもそれでいいかな?」
「賛成でーす!」
「採用してくれて、ありがとうございます」
「走りそうな名前ですね」
名前だけで走るなら苦労しないけどな。
「日高さんも、ミストラルプリンセスでいいかな?」
「命名はオーナーである庭野さんの権利ですので、反対するだなんてとんでもありません」
お? サツキのオヤジが再起動したぞ。
というか、サツキの家って日高って名字だったのね。
てっきり、日高地方か日高町だから日高牧場だと思っていたよ。
紛らわしいんじゃー!
というわけで、どうやらワイの競走馬名は、ミストラルプリンセスに決まったみたいだな。
「最終レースの常連でも構わないから、怪我をしないでちゃんと無事に牧場に帰ってくるんだぞ」
そう言いながら庭野環希は、優しくワイを撫でてくれたのだけど、
「ヒン?」
というか、最終レースの常連って、2勝クラス、1000万下のことじゃないですか、やだー。
ワイって、あまり期待されてなかったのね。
ちょっとショックだったかも……
こうなったら、重賞戦線で活躍して、庭野環希の見立てを上回ってしんぜよう!
でも、GⅠを勝つとまで言い切れないのが、この血統の辛いとこやね。
「んー? 無事に牧場に帰って来いというのは、怪我をしないで無事に競争生活を終えるってことだよ?」
「ヒン(おk、わかった)」
テニスの女王様も、思いのほか優しいところがあるじゃないの。
「ヒメはサンデーとキンカメ系の種馬を選び放題の血統なのだから、君が産む子や孫の代には大化けする可能性を秘めているんだよ」
「ヒン?」
「だから、怪我をしないで無事に牧場に帰ってくること。ヒメ、分かったかな?」
「ヒヒーン」
ああ、分かってるさ。ワイはサラブレッドの牝馬で、肌馬になる役目があるから生かされるというのは、分かっていたとも。
しょせん、ワイは経済動物ですしおすし。こんちくしょーめ!
「環希さん、馬には人間の言葉は通じませんよ」
「まあ、そうなんだろうけど、なんとなくヒメには通じるような気がしたのよね……」
ちゃんと通じてまっせ。
でも、ワイ以外の馬にも通じるのかは微妙やけどな。
というわけでヒメの馬名は、ミストラルプリンセスに決定しました!
あと今週は、木、土と予約投稿してあります。