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ミストラルプリンセス Wiki風味

なんでか知らんけど書けたのじゃー!

新作とかで三人称を書いてた成果かな?


 ミストラルプリンセス


 欧字表記 Mistral Princess

 香港表記 南法風妃

 品種   サラブレッド

 性別   牝

 毛色   栃栗毛


 生誕   20xx年4月15日

 登録日  20xx年5月8日

 抹消日  20xx年12月26日


 父    ファニーウォー

 母    デュークオブヨーコ

 母の父  ジャングルポケット


 生国   日本 (北海道日高門別町)

 生産者  日高ニワノ牧場


 馬主   庭野環希 → 庭野環希HD

 調教師  藤枝金吾 (美浦)

 調教助手 大河内翔馬

 厩務員  田中真由美

 主戦騎手 牧村美雪



 競走成績


 タイトル 年度代表馬 (20xx年 - 20xx年)三年連続受賞

      最優秀3歳牝馬 (20xx年)

      最優秀4歳以上牝馬 (20xx年・20xx年)

      顕彰馬  (20xx年選出)


 生涯成績 26戦23勝

      (中央競馬)13戦11勝

      (地方競馬)2戦2勝

      (フランス)2戦2勝

      (アメリカ)1戦1勝

      (カナダ)1戦1勝

      (オーストラリア)2戦2勝

      (香港)1戦1勝

      (UAE)2戦2勝

      (サウジアラビア)2戦1勝


 獲得賞金  81億5,638万4,000円(付加賞とボーナスを含む)

      (中央競馬) 24億3,940万円

      (地方競馬) 9,400万円

      (フランス) 614.25万ユーロ≒7億3,710万円

      (アメリカ) 480万USドル≒4億8,000万円

      (カナダ) 150万カナダドル≒1億2,000万円

      (オーストラリア) 940万豪ドル≒7億5,200万円

      (香港) 2,280万香港ドル≒3億4,200万円

      (UAE) 1,290万USドル≒12億9,000万円

      (サウジアラビア) 1,250万USドル≒12億5,000万円


 WTR    L132 - D/I123 / 20xx年

        I126 - L134 - E131 - D/M125 - D/I128 / 20xx年

        L136 - E129 / 20xx年

 WBRR    L139 / 20xx年


 主な勝ち鞍

   GⅠ  凱旋門賞 20xx年

   GⅠ  ブリーダーズカップターフ 20xx年

   GⅠ  ドバイワールドカップ 20xx年

   GⅠ  サウジカップ 20xx年

   GⅠ  メルボルンカップ 20xx年

   GⅠ  カナディアン国際S 20xx年

   GⅠ  クイーンエリザベスⅡ世カップ 20xx年

   GⅠ  コーフィールドカップ 20xx年

   GⅠ  UAEダービー 20xx年

   GⅠ  ヴェルメイユ賞 20xx年

   GⅠ  ジャパンカップ 20xx年

   GⅠ  有馬記念 20xx年・20xx年

   GⅠ  天皇賞(春) 20xx年

   GⅠ  宝塚記念 20xx年・20xx年・20xx年

   GⅠ  優駿牝馬 20xx年

  JpnⅠ  全日本2歳優駿 20xx年

   GⅡ  阪神大賞典 20xx年

   GⅡ  東海S 20xx年

  JpnⅡ  JBC2歳優駿 20xx年




 ※※※※※※




 ミストラルプリンセス(欧字名:Mistral Princess、20xx年4月15日 - )は、日本の競走馬、繁殖牝馬。


 350~380kg台という小柄な馬体ながら、芝ダートを問わず8つの国と地域のGⅠレースに出走し、その全てのGⅠレースで勝利を収め世界を股にかけて活躍した、歴代最強馬[要出典]との呼び声も高い歴史的な名馬である。


 ミストラルプリンセスは尾花栃栗毛に四白流星という小さな馬体から繰り出す、最後の直線で大外から一気の強襲という、追い込みを得意なレース運びとしていた。

 その尾花栃栗毛に四白流星という見る者に、ド派手な印象を与えるサラブレッドは、競馬ファンを熱狂の渦に巻き込み、競馬史における一時代を築いた。


 競馬ファンからの愛称は、ミストラルプリンセスを短縮させた、ミスプリ。

 ミスプリは社会現象にまでなり、競馬ファンのみならず、普段は競馬場に足を運ばない層の人にまで、競馬場に足を運ばせる効果をもたらした。


 ミストラルプリンセスが引退してから、過去三年間にミストラルプリンセスが出走していたGⅠレースと比べて、同じレースの売り上げが三割も減った[注7]というのは有名な話である。


 世界を股にかけて走る姿から、ワールドツーリスト、走る労働者、走るキャリアウーマンなどが、ミストラルプリンセスを飾る時の枕詩として添えられている。

 また、その強すぎる圧倒的な競走成績から、一部の競馬ファンからは、GⅠハンター、虐殺者、暴風姫、女王、女帝、牧村美雪の教師、ミユキの育ての親、騎手に競馬を教える馬などの愛称でも呼ばれている。[要出典]



 20xx年に日本産馬、日本調教馬として初めて凱旋門賞を制覇し、同年の年度代表馬、最優秀3歳牝馬に選出された。

 4歳時にはドバイワールドカップ、メルボルンカップ等に優勝し、5歳時にはブリーダーズカップターフ等を制して、それぞれの年でも年度代表馬に選ばれている。


 なお、三年連続で年度代表馬に選出されたのは、史上初めての快挙である。


 日本国内の競走においては、宝塚記念を三連覇、有馬記念も連覇するなど、2歳時の敗戦を除けば、三年にわたって無敗を誇った。

 また、天皇賞(春)では、1953年のレダ以降、約80年振りとなる史上二頭目[注1]の牝馬での天皇賞(春)制覇を成し遂げている。


 宝塚記念を三連覇しているのは、ミストラルプリンセスただ一頭のみである。


 引退の翌年には、ワールドベストレースホースを日本調教馬として史上四頭目[注2]の受賞。48頭目の顕彰馬にも選定された。


 ミストラルプリンセスの打ち立てた、GⅠレース18勝[注3]という記録と8つの国や地域でのGⅠレース勝利、日本円に換算[注4]して81億円を超える獲得賞金は世界記録として、それぞれギネスブックに登録されている。

 WBRRのレーティングでは、139ポンドという歴代2位[注5]のレーティングを記録している。


 また、繁殖牝馬としても極めて優秀な繁殖成績で、12頭の産駒からGⅠ馬が5頭に重賞勝ち馬6頭が誕生。子や孫を通じてミストラルプリンセスの血は世界へと広がりつつあり、世界的な名牝として知られている。

 なお、牡馬クラシック三冠、牝馬三冠、産駒がこの両方の三冠馬になった繁殖牝馬は、ミストラルプリンセス一頭だけである。




 誕生 - 生い立ち


 20xx年の種付けシーズン前、デュークオブヨーコの繋養先である、日高ニワノ牧場のオーナーブリーダーである庭野環希は、今シーズンのデュークオブヨーコに種付けする種牡馬を選定するのに悩んでいたとのことであった。

 ちなみに、デュークオブヨーコの血統的には、サンデー系やミスプロ系の種牡馬であっても、なんら問題ない。


 しかし、庭野本人によると、次世代以降に血が繋がる可能性、選択肢が増える血の冗長性に掛けて、デュークオブヨーコにダンジグ系のファニーウォーの種を付けることを選択したとのことである。

 そうした経緯の後に種付けをして生まれたのが、ミストラルプリンセスであった。


 庭野環希が後日語った[注12]ところ、


「結果的に大成功だったけど、ファニーウォーを種牡馬に選んだのは私が妥協したからだったんだよね」


 とのことであった。つまり、ミストラルプリンセスは妥協の産物で生まれてきたらしかった。



 20xx年4月15日、北海道の日高門別町にある日高ニワノ牧場で、デュークオブヨーコの8番目の仔として生まれる。

 ミストラルプリンセスが母デュークオブヨーコの最後の産駒であり、ミストラルプリンセスの下に弟妹はいない。


 ミストラルプリンセスが生まれたのは、母馬であるデュークオブヨーコが放牧地での放牧中に、自然分娩で産まれるという非常に珍しい出産であった。

 学校から帰宅した牧場長の娘が第一発見者となる。


 出産直後のミストラルプリンセスを発見し、父親である牧場長に報告したとあるのは、本人の談である。


 牧場時代の幼名は牧場長の娘によって、可愛らしい雰囲気の中にも、お姫様のような気品がある牝馬だからということで、「ヒメ」と名付けられた。

 ちなみに、幼名であったはずのヒメという名前は、藤枝厩舎に入厩してからも、そのまま愛称として受け継がれ、ヒメと呼ばれ続けられることになった。


 牧場長の日高優一によると、[注13]


「良いバネを持っているし身体も丈夫だけど、いかんせん馬体が小さすぎるから、

 準オープンぐらいまで出世してくれたら御の字」


 というのが、幼駒時代のミストラルプリンセスの評価であった。


 また、やんちゃな性格で、当歳時から放牧地の柵を飛び越えて、外に出てしまうことが度々あったという。

 それでも、放牧地の外で遊ぶのに飽きたら、ちゃんと自分から厩舎に戻ってきてはいるらしかった。


 柵の高さを当歳馬が飛び越えられない高さにまで上げて、放牧地の外に出られないように対策をすれば、今度は地面の土を掘って柵の下の隙間から這い出す始末だったとは、日高優一の談である。

 なんとも馬離れをしたサラブレッドである、ミストラルプリンセスらしい幼少期の逸話ではないか。



 入厩先が藤枝厩舎に決まった理由は、ミストラルプリンセスが1歳の春に、藤枝調教師が日高地方の牧場巡りをして素質馬を探している時に、偶然にも日高ニワノ牧場に立ち寄ったことが切っ掛けだった。

 後年、藤枝はこう述べて[注14]いる。


「ミストラルプリンセスとの出会いは、本当に偶然だったんですよ。

 隣りの牧場の馬を見にきていて、そのついでに日高ニワノ牧場さんにお邪魔したのです。


 そしたら、小柄な馬体ながらも力強く放牧地を駆け回っている牝馬に目が留まりましてね?

 それが、ミストラルプリンセスだったという訳なんですよ。


 見た瞬間に、この馬はそこそこ以上には走ると思いましたね。

 まあ、重賞の一つか二つぐらいは勝ってくれるだろう、そんな感じではありましたが。


 いやー、まさか、ここまで大活躍してくれるとは思いもしませんでしたよ。

 もっとも、オーナーの庭野さんは、最終レースの常連ぐらいに思っていたようでしたけど。


 でも、あの時の自分を褒めてあげたいですね。

 よくぞ、日高ニワノ牧場まで足を運んだと、ね」


 そして、藤枝はミストラルプリンセスの入厩する予定の厩舎がまだ未定だと知り、預託先に自分を売り込んだということであった。


 馬名の由来は、速く走れそうなイメージのある、風に関係する単語を探して、フランス語からミストラルを拝借。プリンセスが幼名のヒメからの連想で、ミストラルプリンセスに決定。

 命名者[注15]は、日高ニワノ牧場の牧場長の娘であった、現牧場スタッフの日高皐月と庭野環希の秘書である、麻生百合子。



藤枝調教師と田中さんの下の名前が判明w


wiki風の文章を書くのって難しいですね… 論文とかを書き慣れている頭の良い人向けなのかな?

真面目に全部書いたら、これの10倍とかの文章量になっちゃうはずだから、これで堪忍してください…

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― 新着の感想 ―
[一言] 19世紀のハンガリーで産まれ、54戦54勝、独、墺、洪、仏、英で現代で言うG1を勝ちまくったキンチェムも真っ青な戦績ですねw
[一言] ミスプリのレース成績と繫殖成績が凄すぎ…日本競馬界の至宝だろ 一億八千万円相当の加護によるものとは思えない程の功績だし、周りの期待に応えるようミスプリ自信が頑張ったのが一番の要因かも
[一言] 引退後は繁殖牝馬になって幸せな一生だったんですね。 TSで繁殖牝馬。 うむ、心理的にはどうだったのか・・・。 意外と発情期で種付けは平気だったのかな。 で、その後に精神に来てそうw
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