51話 美浦トレセンにて
台本形式にしないためにも、三人称にしてみた。
一人称を書くのと比べて、5倍ぐらい時間が掛かった気がする…
美浦トレーニングセンター
まだ梅雨も明けきらぬ薄曇りの空の下、藤枝厩舎の横にある来客用の駐車場に、EV車特有の微かに奏でる疑似的なモーター駆動音とともにベンツのミニバンが滑り込んできた。
そのミニバンから、高級なブランド服に身を包んだ日本人女性としてはやや大柄の部類に入るであろう、サングラスを掛けた二十代前半ぐらいに見える妙齢の女性が降り立った。
「うんしょ、うんしょ…… とうちゃ~く」
助手席のチャイルドシートから降りてきたのは、女性によく似た感じの四歳ぐらいの可愛らしい女の子であった。
チラッと覗き見えた車の内装は、どうやらマイバッハ仕様の特注らしい。
「こんにちは~」
GⅠを三連勝したことにより、今や押しも押されもせぬ藤枝厩舎の看板馬、大黒柱に成長したミストラルプリンセス。
そのミスプリの馬主である庭野環希が、ひょっこりと藤枝厩舎に顔を出した。
「オーナー、ようこそいらっしゃいました。わかばちゃんも、こんにちは」
応対に出たのは、ちょうど調教も終わって厩舎で暇を持て余して呆けていた所属騎手の牧村美雪であった。
「こにちわ~」
おまけで庭野の一人娘である、わかばも一緒である。
まあ、幼い子供が母親と行動を共にするのは普通ではあるのだが。
「日本に戻ってきていたのですね」
「ええ、三日ほど前にね」
やや疲れた表情をしながら、庭野環希はそう答えたのであった。
今日はチームタマキの一員である麻生さんとひなちゃんの顔が見えないところをみると、日本に帰国してからまだ数日しか経ってないから、おそらくは休暇中なのであろう。
「じしゃぼけにゃおった!」
「時差ボケなんて難しい言葉を知っているなんて、わかばちゃんは賢いね~」
そういって美雪は、わかばの頭を優しくなでた。
その小さな彼女の背中には、レモン色をしたフエルト地で作られたテニスボールを模った、リュックサックが背負われている。
母親がテニス選手だからなのか、娘に背負わせるアイテムもテニスボールのリュックサックなのだろうか?
そして、そのリュックにはワンポイントとして、小さなお馬さんのぬいぐるみがぶら下がっているのが見てとれた。
栃栗毛色で四白流星なのだから、ミストラルプリンセス号のぬいぐるみに違いない。
「えへへ、わかばかちこい」
母親や周囲の大人たちが、外国に着いた時や日本に帰国する度に何度となく口にしていた言葉だから、それで覚えてしまったのであろう。
もっとも、時差ボケが何なのか? そこまでは理解していない様子ではあるが。
子供が夜中に遊びまわって寝ないのが時差ボケなんだよ。
もしかしたら、庭野が疲れた顔をしていたのは、娘のわかばが原因だったのかも知れない……
「せっかくヒメの様子を見にわざわざ美浦まで来ていただきましたけど、現在ヒメは放牧中ですよ?」
「そういえば、ヒメは放牧中でしたね」
「みちゅぷりいないの?」
母親のレースのシアーブラウスの裾をクイクイっと引っ張りながら、わかばは心配そうに上目遣いで尋ねた。
「わかばちゃん、ミスプリは近所の牧場にいるんだよ」
ミストラルプリンセスに会えると期待していたわかばは、美雪の言葉でミスプリが此処にはいないことが分かって柳眉をハの字にしな垂れさせ、しょぼーんとした表情になってしまった。
「わかば、あとで霞ヶ浦ファームに寄ってヒメを見に行こうね」
「うん! わかば、みちゅぷりにいいこいいこしてあげりゅの!」
後でミスプリに会えると理解したわかばは、瞬時に機嫌を直すのであった。
現金な…子供は素直だね。
そんなわかばを横目で見ながら、美雪は厩舎の奥にある事務室に向かって声を掛けた。
「先生、庭野オーナーがいらっしゃいましたよ!」
「なんだって?」
美雪の呼ぶ声に反応して、この厩舎の主でもある調教師の藤枝が慌てるように奥から姿を現した。
「庭野オーナーようこそいらっしゃいました。むさくるしい所ですが、どうぞ中へ」
庭野の顔を見た藤枝は、平身低頭とまでは行かないまでも、かなり低姿勢であった。
それもそのはず、厩舎の稼ぎ頭であるGⅠ三勝馬、いや、JpnⅠの全日本2歳優駿を含めればGⅠ四勝馬でもある、ミストラルプリンセスのオーナーの来訪なのだから、藤枝の態度もむべなるかな。
馬主である庭野とトラブルでも起こそうものなら、へそを曲げられてしまいミストラルプリンセスに転厩されてしまう可能性だってあるのだから。
昔と違って今の時代では調教師と馬主の力関係は、完全に馬主有利に天秤は傾いてしまっているのだ。特に美浦の場合はそれが顕著である。
千早グループとは細々としたパイプしか持たない藤枝にとって、庭野環希という馬主は怒らせてはいけない馬主の筆頭なのだから、必要以上に気を遣った丁寧な対応にならざるを得ないのであった。
ようは、お得意様には二割増しの笑顔で接客するよね? そういうことです。
笑顔で接客と営業ができない調教師というのは、淘汰される運命にあるのだ。
調教師が殿様商売というのは、もう既に過去の遺物でしかないのであった。
そんなこんなで、今日も藤枝の胃は痛い。
「お邪魔しまーす」
「しま~ちゅ」
「美雪ちゃん、庭野さんとわかばちゃんにお茶をお願いできるかな」
「暑いしわかばちゃんは飲めないから、コーヒーよりも麦茶の方が良さそうですね。そういえば、麦茶ってアスリート的にNGの飲み物でしょうか?」
お茶汲みを頼む藤枝の言葉に対して、自信なさそうに首をかしげながら美雪が問い掛けた。
アスリートの中には身体に気を遣って、敢えて常温よりも冷たい飲み物を口にしないアスリートがいることを、美雪は知っていたのである。
「いえ、私は冷たい飲み物も大丈夫ですから、麦茶で構いませんよ」
「むぎちゃ~♪」
麦茶と聞いて、わかばもご機嫌である。
「お待たせしましたー」
ものの15秒で帰ってきた美雪は、応接セットのテーブルにコトリとガラスのコップを置いてから、空のコップに麦茶を注いだ。
そして、自分で勝手にお代わりできるようにと、プラスチック製の2リッター容器のハンディプッシュピッチャーをドンとテーブルに置いた。
えー、美雪さん…… 接客態度として、それってどうなの?
「GⅠジョッキーにお茶くみをさせて、なんだか申し訳ないわね」
「いえ、私なんかまだまだお尻に殻の付いた見習い騎手ですから」
接客態度と言葉がかみ合ってない美雪であった。
もっとも騎手は飲食業や接客業の教育を受けているわけではないのだから、美雪に気が付けというのは少々酷な話なのかも知れない。
ちなみに、藤枝も気が付かない。おまけで庭野環希も気が付いてないのであった。
でも、アスリートには社会人経験というのが不足しがちになるのだから、仕方ないよね?
「ふふ、謙遜も度が過ぎると嫌味に聞こえるから多少は傲慢になってもいいのよ」
そういって傲慢が服を着て歩いている見本のような人物は、美雪が淹れてくれた麦茶を美味しそうに半分ほど飲むのであった。
それからおもむろに、肩から下げてきた大きめのトートバッグの中をガサゴソと漁り始めた。
「これ、お土産です。ヒメだけでなく厩舎のお馬さんたちにも分けてあげて下さい」
あせくって取り出したのは、これまた大きめの氷砂糖の袋が三つ。
「いつも差し入れありがとうございます」
「馬主なんて馬を厩舎に預けてしまえば、後はこれぐらいしか出来ませんので、お気になさらずに」
まあ、差し入れた氷砂糖は金額的に全部で二千円もしないのだから、お金持ちである庭野の懐はこれっぽちも痛みはしない。
「ママ、ママ。わかばにも、しょれひとちゅちょーだい」
わかばが私も氷砂糖が欲しいとばかりに、ウルウルとしたお目目でおねだり攻撃を仕掛けてきた。
「しょうがないわね。一つだけだよ?」
結果は母親の負けであった。
どういった表情をすれば、ママが自分のお願いを聞いてくれやすくなるのか、それを既に知っているわかばの勝利であった。
女は生まれた時から女優とかいう言葉もあるぐらいだし、うん、まあ……
「わーい! ママ、ありがとー」
一粒の氷砂糖を手のひらに受け取ったわかばは、氷砂糖をそのまま麦茶の入っているコップにポチャンと落とし込んだのである。
「麦茶に入れるんかい……」
その母親の複雑で形容しがたい言葉は、美雪と藤枝も同じ思いを共有するに至った。
藤枝厩舎の応接室には、なんとも微妙な空気が流れるのであった。
しかし、今でこそかなり廃れかけているけど、昭和の昔には地域によって麦茶に砂糖を入れて飲む風習もあったのだ。
でも、わかばちゃん知っているかい? 氷砂糖は冷たい飲み物の中では、なかなか溶けないのだよ?
「ん、おいちい♪」
氷砂糖入りの麦茶を一口飲んで満足げに頬を緩める、わかばちゃん4ちゃい。
子供の行動って大人には理解不能なところがあるよね……
おかしい、タマキが藤枝厩舎を訪れて麦茶を飲んだだけで話が終わってしまったw
本来わかばが主役の話になる予定はなかったのだけど、書いている途中で当初予定していた内容から話が勝手にどんどん脱線して行くんよ('A`)
あと、三人称って語尾が、た。た。た。だ。る。になるよね><
文体が硬く感じる三人称を書くのは、やっぱしんどいですわw