3話 ヒメ
「あたしが貯めていたお年玉も知らない間に無くなってたしさ」
娘のお年玉にまで手を出すだなんて、オヤジ最低だな!
「あの時は本当にすまんかった」
「本当に反省している?」
「ああ、本当に反省しているよ。その証拠に皐月のお年玉は倍にして、ちゃんと返しただろ?」
それは所謂、延滞した割り増し利息や課徴金というヤツですな。
というか、サツキが自分の娘で家族じゃなかったら、オッサンは窃盗罪でお縄でっせ!
「まあ、それはそうなんだけどさぁ」
「結果良ければすべて良しということで、許してください」
「なんか納得がいかないけど、許します」
サツキは優しいね! ワイやったら事あるごとに、この話題を持ち出して、いつまでもネチネチと虐める自信があるぞ。
「ありがとう。お父さんが牧場を経営していた時よりも、お父さんの給料は良くなったんだよ」
「だから倍にして返せたと?」
まあ、オヤジが罪滅ぼしのつもりで、倍にして返したが正解なんだろうね。
「そういうことだね。潰れかかって夜逃げすら考えていた牧場を救ってくれたオーナーの庭野さんには、本当に感謝の言葉しかないよ」
うん? オーナーのニワノさん? オーナーは玉木さんじゃなかったの?
「あたしもあの時は、絶対に札幌か内地のドコかに引っ越す破目になると思ってたから、環希さんには頭が上がらないね!」
ちゃんとサツキの口からタマキさんの名前も出てきたから、玉木さんもオーナーで正解ということだな。
つまり、タマキさんとニワノさんという二人の共同オーナーがいるということになるのかな?
タマキとかニワノとかって、なんかどこかで聞いたことがあるような名前の気がしないでもない。
「一億円の借金も、オーナーが「少し割高だけど、一億で牧場の土地と施設を買い取ったと思えば、一から牧場を始めるよりは安い買い物」そう仰ってくれたんだよ」
「ふぇ~、環希さんの年収って150億以上とか、ネットにテレビやスポーツ新聞とかで言ってたし、やっぱお金はあるところにはあるもんなんだね」
150億とはそりゃまた凄い。そして、その150億ですら年収というのだから、総資産は当然もっとあるってことだよな?
そんな金持ちからしてみれば、そりゃ一億なんて、はした金程度なんだろうなぁ。
というか、メディアに取り上げられるということは、タマキさんって有名人だったのか。
「まあ、オーナーはテニスの女王だし、お金には苦労してないのだろうね」
テニスの女王? テニスの女王でタマキさんでニワノさん……?
それって、庭野環希しかいないじゃないですかー。
謎は全て解けた!
ということで、お乳を飲む作業に集中しよう。
ちなみに、馬のお乳は甘くて美味しいです。
もっとも、人間から馬に転生してしまったので、味覚も人間から馬の味覚に変わったのかも知れないけれども。
「オーナーが理解ある人で、お父さんは運が良かったと思ってるよ。放牧地の土壌の入れ替えや牧草を高品質の青草に変えるなんて、お父さんが経営していた時には、お金が無くて無理な注文だったからね」
ほうほう、なるほどね。だから、あっちの一画は青草が生い茂ってなかったのか。
というか、新しいオーナーである庭野環希さんは、随分とこの牧場にお金を掛けている様子だね。
まあ、強い馬を作るための最初の投資、初期投資ってヤツなのかも知れないけど。
でも、その初期投資は馬であるワイにとっては、ありがたい投資ということになる。
栄養豊富な青草を食べれば、健康で丈夫な身体に成れそうだし、筋肉も発達しやすくなり身体能力も高まって、競走馬として活躍できる可能性が高まるのだから。
活躍できれば、肉にされる可能性は低くなるしな。
生まれたばかりだし、まだ慌てるような時間ではない。そう、牝馬の方が牡馬よりも数百倍は生き残る可能性は高いはずなのだから。
目標はGⅠとか贅沢は言わないで、牝馬限定のGⅢでもいいから最低でも重賞を一つでも勝つことかな?
それに、肌馬として期待云々とかって言葉を、さっきオッサンが言っていた気もするから、たとえレースで活躍できなかったとしても繁殖に上がれそうな気はするけど。
そう考えると、牡馬じゃなくて牝馬に生まれて良かったのかな?
サラブレッドという経済動物で生き残れる可能性が高いのは、牝馬の方が圧倒的に高い確率で生き残れるのだから。
もっとも、その生かされる代償として、牝馬は競走馬を産む機械として、何処の馬の骨とも知らない種馬に孕ませられるのだけどな!
肉にされるのは当然却下だけど、牡馬でGⅠを何勝もするような活躍をして種牡馬になり、産駒からもGⅠを勝利する馬を何頭も輩出して、人気種牡馬として種付けマシーンにされるのと、どっちがマシなのか悩むな……
もしかしたら、サラブレッドにとっての幸せというのは、余生を最後まで過ごさせてもらえるなら、乗馬用の馬になるのが一番幸せなのかも知れない。
乗馬よりも条件が良さそうなのは、そこそこ活躍してから、功労馬として大事にしてもらえるのが、本当の一番だとは思うけどね。
「そうだね。それと、お父さんを牧場長として引き続き雇ってくれたから、おかげで引っ越さずに済んだしね」
「皐月にとっては、引っ越さなくて済んだのが一番嬉しいことだったのかな?」
「あはは、そうかもしれない」
まあ、田舎育ちの子供に都会の水は合わなさそうではあるわな。
「よし、これで産後のケアは一通りおっけーかな? 自然分娩でビックリしたけど、母子ともに異常がなくて良かったよ」
うむ、へその緒の処理ご苦労であった。
「あとは、この仔馬の名前を考えないとね!」
へんな名前は付けるなよ?
「そう言うということは、もう既に皐月の頭の中には名前が浮かんでそうだね」
「雰囲気というのか、オーラが出ている感じがするから、ヒメなんてどうかな?」
ほう? ワイからはオーラが出ているのか。サツキは見る目があると思うぞ。
もしかしたら、神さま謹製のチートが発動しているのかも知れないけどな!
というか、ヒメ? ああ、そういえばワイは牝馬だったか……
牝馬として考えるのであれば、ヒメという幼名は気品があって、良い名前に聞こえてくるのだから不思議なものだね。
「確かに、皐月の言うとおり、この仔馬はなんとなく走りそうな雰囲気がある感じはするね」
「それじゃあ、この仔の名前は、ヒメで決定ということで!」
おーけー、ワイの幼名なのか愛称なのかは、ヒメということで。ワイも賛成するで。
「お父さん、ヒメも名前が気に入ってくれたみたいで、頷いてくれたよ!」
「さすがに、頷いたのは偶然だと思うよ?」
「それもそっか」
偶然と違いまっせ。必然です。
「それで、ここでの、幼駒の間の愛称はヒメでもいいけど、ちゃんとした命名は、オーナーである庭野さんの権利だよ?」
「それぐらいは、あたしでも分かってるってば」
珍名での馬名登録は断固拒否するでござるよ!
庭野環希さん?
新作のスタートラッシュはここまで!